コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者‐会話:Yatiyochan

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


第96師団 (日本軍)の投稿をいただきありがとうございました。投稿いただいたのはありがたいのですが、投稿場所がカテゴリになっていたので、移動させました。ご了承ください。また、数字やアルファベットに関しては全角でなく、半角を使うこととされています。今後その点に注意していただいた上でご参加いただけますでしょうか。--Tiyoringo 2007年7月21日 (土) 20:10 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございました。大日本帝国陸軍師団一覧の赤リンクになっているところをクリックして編集いただくと、まだ記事がない師団の編集ができます。なお、近衛師団は記事がありますが、現在近衛師団 (日本軍)へのリンク先となっていて、他の記事と同様な名称にする提案がされているところです。--Tiyoringo 2007年7月21日 (土) 20:31 (UTC)[返信]

兵団文字符と他の師団について

[編集]

こんばんは。さて、色々言いたいことはあるんですが、とりあえずご自分で編集なされた3個師団だけでなく、他の師団記事も参照してください。兵団文字符を採用せずに「通称号」に「兵団」とつけているのは、単に他の師団の記事において以前からそう書いてあったという単純な理由です。(おそらく間違っているんでしょうね・・・)あと、記事としての整合性を(統一性とでも言いましょうか)とらないといけないと確信しています。

勿論、正しいのであるなら、他師団のテンプレートをご自分で(正直、私はもう面倒くさいです)書き換えてください、全部を。

後、連隊や独立大隊の部分は個別に新規記事を作成しても良いかと思います。このまま内容が増えると当然に可読性が(ここも個人の主観で変わりますが)低下しますし。

私事ではありますが、英語及び仏語版記事を翻訳していて不揃い記事はまずいと痛感しました。同じ陸軍の師団や連隊の記事なのにあまりにも書き方がバラバラで苦労しました。逆に考えれば日本語版を他国語版に翻訳する際は、誰かが私と同じような感想を抱くかもしれません。

どうか、ご協力お願いします。--219.106の者 2008年5月11日 (日) 09:15 (UTC)[返信]

師団に関する編集削除

[編集]

 私が編集投稿した第59師団・第96師団・第102師団・第125師団・第137師団・第148師団・第161師団を削除しました。第125師団投稿後、準備していた第47師団・第50師団・第62師団・第66師団・第89師団・第91師団・第109師団・第344師団・第355師団・第4飛行師団・第6飛行師団・第10飛行師団・第13飛行師団・高射第3師団・高射第4師団・第20戦闘飛行集団・第55航空師団などの投稿は中止することといたします。(--yatiyochan

削除された師団についてお願い

[編集]

誠に申し訳ありませんが、削除された師団について、定義まで削除されますと項目全体が削除されますので、冒頭部分のみ復活掲載させていただきました。ご了承いただけましたら幸いです。--曾禰越後守 2008年5月27日 (火) 17:45 (UTC)[返信]

ノート部分の陸軍部隊記事と関して申し上げること

[編集]

ノートに積まれた第32軍及び第33・第50・第55~第56師団・第108~第109師団の資料たちは私に本当に多い役に立ちました. その中で私が第47師団の歩兵第105連隊を投稿する過程で仕方な yatiyochan様のノート部分にリンクをつけてから消して編集をしました. 後でそれだから, yatiyochan様が以後ノートに積まれた各師団部分の表記(地名, 人名その他等々)や年月である, 人員, 装備定数及びその他等々の数字を ○表示をしたことと考えられます.

ところで yatiyochan様の資料は私が各師団の記事に投稿まで思った位に私には非常に貴重な資料です. ○表示をしたということ自体が各師団記事の投稿をちょっと難しくすると考えられます.また, 事実性と客観性が極めて不足だという短所を持っています. 第108師団以後から第32軍までのすべてのノート記事に載せられた名前や数字などが皆 ○表示になっています.

こんな表示を解除してくださってその代りに表記を事実そのまま記録してくださったら本当に感謝のことを申し上げます. 後で時間があったら日本陸軍師団記事の加筆にも参加してくださったらと思います. 良い返事を期待します. --沖岩居士 2008年8月11日 (月) 00:19 (UTC)--[返信]


出処表記について

[編集]

ただいま yatiyochan様が第96師団の記事と係わって出処表記を要請した下の 5個の文章に対する出処をつけておきました. 証拠は注記部分で捜してみることができます.

① 「当初の計画では混成旅団を編成する予定だったのが急きょ師団へ変更となった経緯から、師団兵力は師団長以下約8,600名足らずで野砲や対戦車兵器を持たず、代わりに迫撃砲と高射機関銃を装備していた」という部分。

② 「歩兵第294連隊 補充担任:久留米師管区歩兵第3補充隊(旧歩兵第146連隊補充隊)」という部分。

③ 「第96師団迫撃砲隊 朝鮮京城府龍山において臨時編成完結。編制は本部、戦砲中隊(3)、段列からなり中迫撃砲18門を装備」という部分。

④ 「第96師団通信隊 隊長:桂 一正 大尉」という部分。

⑤ 「第96師団野戦病院 通称号:玄第22009部隊」という部分。

この5個の文章に対する出処は皆『戦史叢書』に出ています. 事実, 私は第59師団と第96師団, 第102師団, 第125師団, 第137師団, 第148師団, 第161師団記事をコピーする過程でその記事に出た内容が皆『戦史叢書』にたから出処をつけなかったのです. 事実, yatiyochan様が投稿した記事の中で大部分の出処はあくまでも『戦史叢書』だったことです.

私は今やっと yatiyochan様がノート部分になぜ '○'表示をつけたのか分かるようになりました. 事実, 私はこの記事たちの大部分を各師団の記事に編集記事化する予定でした.

最初, 私は yatiyochan様が '○'表示と引用符をつけてくれると思いました. しかし日本陸軍師団の関連記事から私が投稿予定中の部分の中で '○'表示になっている部分が上って来れば曾禰越後守様が皆間違いを修正してくれるはずと判断, このような考えを捨てました.

実は yatiyochan様が削除した師団記事は私には貴重な資料だから仕方なく全体内容をコピーしたのです. その過程で出処をつけない点については心よりお詫び致します. 良い返事を待ちます.--沖岩居士 2008年8月11日 (月) 01:00 (UTC)[返信]

出処表記と係わって

[編集]

どんなページにも出ていないです. ①の内容は yatiyochan様が直接執筆したのではないか思われます. ②~⑤部分は削除しました. ①部分に問題があったら直ちに削除します. (削除しました.)

yatiyochan様のノート部分にいる記事一部は追後師団編集記事の加筆に使われる予定です. 良い返事待ちます.--沖岩居士 2008年8月11日 (月) 13:27 (UTC)[返信]

リアリティーと客観性論難及び第96師団について差し上げる最後の解明

[編集]

私が分かっている第96師団は太平洋戦争末期に急造された 54個師団中の一つで, 1945年 3月に済州島の防備強化を目的に編成された師団です. 対ソ防備強化を目的に編成された第79師団とは同じ時期に編成されました.

太平洋戦争後半期, 米軍の中部太平洋方面に対する攻勢が強化されるによって, 大本営と朝鮮軍は済州島に小規模部隊を配置しました. これら部隊のかなり多い数は戦闘能力面で微弱でした. そのため, 朝鮮軍は防衛総司令部に済州島の防備を担当する混成旅団の新設を要請するようになります. この混成旅団を新設しようとする計画が 1945年の初め, 済州島の防備が至急になるによって師団新設計画に拡張されます. このようにして編成された師団が第96師団です.

私は第96師団の基本情報については日本陸軍部隊関連サイトである 「日本陸海軍辞典」と 「帝国陸軍の制度と人事」を通じて分かるようになりました. また, 私が高校時代に図書室でたくさん見た「日本軍の朝鮮侵略史 」(林鍾国 著. 日月書閣. 1988年 出版)という我が国の(韓国)書籍を通じて第96師団に関する多くの情報が分かるようになりました. その本では第96師団が '総兵力約 9千名. 師団砲兵を迫撃砲と高射機関銃及び速射砲どおり代わりをするほどに弱体師団だった. 4月中旬に済州島に上陸配置された.'と出ています.

また, その本にある済州島の日本陸軍部隊配置表ではその師団の実際人員が 9,061人に記録されています. 第96師団は済州島配備以後, 第58軍所属で済州島漢拏山一帯の山麓地帯で沿岸防衛陣地を構築の中で終戦を迎えました. この以外に第58軍の第12砲兵司令部所属独立速射砲第32大隊に配属されたし, 独立混成第108旅団が第96師団長の指揮を受けたという記録が国内(韓国)の済州島関連新聞記事に出ています.

また, yatiyochan様が問題視した第96師団迫撃砲隊の編制及び装備については次のように分かっています. 1945年以後に編成された師団迫撃砲隊(1945年 5月 23日本土決戦第3次兵備によって編成された機動打撃師団の迫撃砲隊及び 1945年初に新設された第59, 第61, 第63, 第96, 第115, 第117師団迫撃砲隊)と本土決戦のために新設された軍司令部の直轄または砲兵司令部所属迫撃砲大隊(この以外に迫撃大隊があったが, それは81mm, あるいは 90mm 軽迫撃砲18門を装備しました.これは yatiyochan様が投稿した第34軍の終戦時の隷下部隊中の一つの迫撃第15大隊の編成と装備部分を通じて分かるようになったのです.)は, 2式120mm中迫撃砲 18門を装備したし, 大隊本部及び3個中隊と段列で構成されているということは日本陸軍と係わる多くのサイトを通じて確認しました.

師団の兵団符号である玄兵団と補充地である福岡及び歴代師団長とその隷下部隊は 「帝国陸軍の制度と人事」サイトに出ています. ただ, 第2代師団長である玉田美郎中将に対しては yatiyochan様が投稿した部分を通じて分かるようになったのです. 各歩兵連隊長及びその他所属部隊指揮官の名前は 「日本陸海軍辞典」の陸軍部隊最終位置を通じて確認しました.

事実, 私は yatiyochan様が投稿した部分は無条件 100% 事実で受け入れています. そして第59,第102, 第125, 第137, 第148, 第161師団に対する詳細的な事項は yatiyochan様が投稿した部分を通じて詳らかに分かるようになりました. これらは私が完全に分かっているところではないが, 私がこれらをコピー投稿する過程で私は yatiyochan様がどうしてこれらを全面削除した理由が分かりたくなりました. だけでなく, 投稿予定であるあげく師団に対しても投稿を中断した理由について分かるようになりました. これに対する yatiyochan様の解明を期待します.

この7個師団に対する編集記事と係って yatiyochan模様が投稿した内容はリアリティーと客観性が充実で, 詳細事項まで詳しく出ていて, その時まで私が分からなかった事実に対してもっと詳しく, そしてもっとたくさん分かるように(ように) しました. もし, yatiyochan様がこれらを全面削除しなかったら, この地境まで早くなかったはずと思います. 私は, 私にとって多いことが分かるようにした内容が死蔵されることことを願わなかったです. もし内容の書き起こしを復活させた 曾禰越後守様が以前の時までの略歴を投稿したとっても yatiyochan様が削除した部分よりは内容がとても貧弱だと思いました.

それで yatiyochan様が削除した記事を全面復元しようと思ったのです. しかし, その時は私が利用者に加入してから間もなくてどんなに事由をつけなければならないかよく分からなかったから, 仕方なく私は内容をコピーしたのです. 事実, 事由をつけて編集することは後で行って分かるようになったが, とうに分かったら記事全面削除以前の状態で戻したはずです.

また, 私が yatiyochan様のノート部分で客観性とリアリティー不足を問題視したことは単純に ‘○’表記だからでした. しかし, yatiyochan様は私がノートの全体部分で客観性とリアリティー不足を問題視したと判断したようです. 確かに言うが, 私は追後このノート内容の大部分を各師団の編集記事に加筆するところ書こうと思いました. それは yatiyochan様の記事がリアリティー及び客観性面で充実だったからです. ここで私は ‘○’表記だけ問題視しようと思っただけ, その以外ののは問題視するつもりが全然なかったです.

しかし, 第59・第96・第102・第125・第137・第148・第161師団について, 削除したくても削除することができません. yatiyochan様の投稿部分は非常に貴重で私にとって多いことが分かるようにしたからです. この時まで編集された日本陸軍の師団記事の中で yatiyochan様の投稿部分がもっと詳しくて明確でした. この 7個師団中一部投稿部分は私が直接執筆一部分でした. どうしても削除をすることができないことは無くすにはとても惜しい内容だからです. それでもずっと問題があったら削除します. 加筆及び訂正については 曾禰越後守様が分かってよくしてくれるでしょう.

私は日本陸軍の師団に関する知識及びその客観性とリアリティーの記録においては, yatiyochan様や 曾禰越後守様を私の実力では付いて行くことができません. 私が yatiyochan様がノートで単純に ‘○’表記したことだけ持って客観性とリアリティーが不足だと感じました. 私がその理由も分からなかったまま感情にかたよって訳もなく問題視したようです.

私は今やっと yatiyochan様が日本陸軍社団及びその他陸軍部隊においてこの分野の真正な最高権威者というのをもう一度悟りました. 私はこの分野に対して yatiyochan様よりはまだ知識が不足だということをこの返事を通じて認めます. まともに調べなくて敢えて客観性とリアリティー不足を問題視した点心よりお詫び致します.

これから時間あれば日本陸軍師団記事の投稿参加及びノート部分記事の追加投稿もしたらと思います. ノート部分にいる第46師団の略歴及び編制に対する投稿があるのを待ちます. 以上私の解明に対する yatiyochan様の良い返事を期待します.--沖岩居士 2008年8月12日 (火) 02:15 (UTC)[返信]

私の最後の返事

[編集]

返事よく読みました. 第96師団については追後私が直接筆を執る予定です. そして '○'部分については数字や名前をつけて私に返事を伝達してください. ノート部分の師団内容は私が追後師団記事の加筆に活用しようとします. なにとも承諾してください. これからノート部分の記事一部は師団記事加筆に多くの役に立つはずと信じます. 良い指摘感謝いたします.--沖岩居士 2008年8月12日 (火) 15:35 (UTC)[返信]

第34軍と係わって

[編集]

第34軍記事の復元過程で若干の問題が発生しました. 第34軍参謀の中で終戦時の参謀が早川哲三少佐と 谷隼夫少佐と記録されていますが, 谷隼夫少佐が 1944年(昭和19年)11月18日に戦死したという記録があって質問を申し上げます. 第34軍の歴代参謀たちと司令部各部の 部長らと部員ら及び彼らの在任期間について分かろうとします. また, yatiyochan様が過去にあげた「編成当時の第34軍隷下部隊の概況」及び 「その後に第34軍隷下となった部隊」の「通称号」, 「個々部隊に関しての履歴・戦歴」, 「部隊指揮官・幹部将校の氏名」 などに対してで詳しく分かろうとします. これらの略歴に対しては, 「終戦時の第34軍隷下部隊」の形式として送ってください. 特に編制と装備及び人員については, 詳細な提供をお願い致します.--沖岩居士 2008年10月24日 (金) 09:24 (UTC)[返信]

所属部隊の略歴と係わって

[編集]

本人が第34軍を縮小改編した当時に 武漢防衛軍司令部関連記事を引き離して独立記事(武漢防衛軍)として編成しました. そして過去 yatiyochan様があげた '武漢防衛軍司令部の概要' 部分と類似の部分がその記事に上げられています. ここに第34軍の'武漢防衛軍司令部の概要' 記事削除を施行しようと思います.

また, 本人が第34軍 記事に記載している独立歩兵旅団及び独立混成第17旅団, 牧丹江重砲兵連隊, 永興湾要塞司令部の独立記事化を計画の中にあります. 第5, 第9, 第10野戦補充隊はこれらを改編した独立混成第83,84,85旅団(追後新設予定) 記事に転載しようとします. このために, 第34軍 内部にいる連隊級以上の部隊の略歴を廃止しなければならないようです.

そして, 第34軍司令部の略歴を 軍 自らの略歴と統廃合するつもりですが, yatiyochan様の考えはどうですか? また, 第34軍 内部記事の所属部隊の中で各指揮官の名前は必ず実名表記を要請します. 勿論, 軍幹部たちの任期及び参謀たちの役目(例えば, 作戦参謀, 情報参謀など) もね.

一方, 第28, 第29, 第30, 第31, 第32, 第33, 第35, 第36, 第37, 第38軍 などの所属部隊略歴表記及び 軍 幹部たちと 軍 自らの 戦歴 加筆を計画の中にあります.これに対する yatiyochan様の協力を求めます.

そしてこの時まで yatiyochan様が 投稿したあらゆるノート記事及び削除した 師団 関連記事の転載に対する 事前許可を求めようとします.

また, yatiyochan様が削除を要請した歩兵第105連隊については追後 大大的である 改訂施行を通告します.--沖岩居士 2008年11月15日 (土) 15:00 (UTC)[返信]

向後の編集計画と係わって

[編集]

先日にyatiyochan様がノートに投稿してから削除した第37軍の全体記事(独立混成第56, 第71旅団包含) 及び第47師団(歩兵第105連隊の経歴は投稿したので除外), 第62師団の全体記事を転載します. ここに yatiyochan様の事前許可を受けようとします.

もし yatiyochan様はブログを運営中にいますか? そこには多くの陸軍部隊関連情報があるはずと推測されますが. また, 詳しい陸軍関連情報に対しては jjy9029@naver.com(私の E-mailです.)で送ってください.

また, 戦史叢書について質問させていただきますが, 今後の才幹行計画はないですか? うちの韓国国内にもありますが, 極少数に過ぎないです. (汝矣島国会図書館には 十數卷が所長されています.) この 戦史叢書 102卷は日本国内のどこで手に入れることができますか?

また, 向後の 師団 及び独立混成旅団, 旅団級部隊 及び 軍関連 記事の編集計画はないですか? 先日にyatiyochan様が投稿しようとしたが中止した 高射師団と 飛行師団に対して本人が投稿しようと思います. もし, 私が投稿した記事たちを受けたら yatiyochan様の評価を期待します.--沖岩居士 2008年11月20日 (木) 03:43 (UTC)[返信]

お返事

[編集]

すでにお察しのように、本文に記載している参考文献1冊のみで各連隊の記事を作成しています。私の利用者ページにも表している通り、「将来の加筆に期待してたたき台となる記事の作成がメイン」と編集方針を表明しています。誰かが端緒をつけなければ、そもそも始まらないとの考えで活動しています。某掲示板においてどこかの誰かのように馬鹿とか、書くなとか、いらないとか、そのような愚かな事は言うつもりは一切ありません。ただ、苦言を申し上げれば以前に履歴欄で記載した通り、全角文字の使用や記事が存在しているにも関らず赤リンクのママであったり、読み手からみて意味するところの解らない記号や括弧の使用に気をつけていただければ、ノートを書かれた記事について参考文献を明示された上で加筆されるのであればどんどん書いて戴いて欲しいです。私もyatiyochanさんの執筆に期待している一人です。--219.106の者 2009年7月8日 (水) 14:49 (UTC)[返信]