利用者‐会話:Yuriko Kubota/sandbox
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若原は 昭和24年(1949年)、5年契約で松竹の専属となり、作品に恵まれて、年間10数本の映画に出演。高峰三枝子との共演では『別れのタンゴ』『情熱のルムバ』など音楽映画3作など、永井隆のベストセラー『長崎の鐘』、木下恵介監督がパリ滞在中に学んだ前衛作品に影響された『カルメン純情す』、更に三島由紀夫の話題作『夏子の冒険』、同じく中村登監督の『旅路』などが評判を得た。
その中でも1953年1月封切りの『夏子の冒険』は、2つの記録を残した。物語を掻い摘んで書くと、「良家の娘で、若く美人の夏子が突然食事中に、両親、祖母、伯母の前で『世の中が嫌になった。修道院へ行く』と宣言。然し、その後、北海道の修道院へ行く青函連絡船で、井田毅と言う若者と知り合いになり、話を聞く内に熊退治に興味を持ち、修道院行きを止めて、毅と共に熊の仇討をする」と言う内容。
この映画の2つの記録とは、先ず、『夏子の冒険』が、前年の1952年に日本で初めて製作された総天然色映画『カルメン故郷に帰る』に続く2作目として、評判を得たこと。第2 は物語の面白さ、人気ある俳優陣の出演などの効果で大きな話題となり、1952年度の日本配給総収入ランキング第4位の大ヒットとなった。(注:映画は1953年1月に封切られたが、会計年度が3月までのため、1952年度作品として扱われた。) 因みに『夏子の冒険』の配給収入額は1億0718万円。2位から4位までの収入額は、僅かに100万円づつの僅差だった。
[1] ----Yuriko Kubota(会話) 2021年1月28日 (木) 18:43 (UTC)
- ^ (キネマ旬報社『キネマ旬報ベスト・テン 85回全史 1924-2011』(キネマ旬報ムック) 2015年5月、96頁、ISBN 987-4873767550。)