利用者:סַמוּר/sandbox
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ルネサンスの歴史はフランスで終わり、その流れは、われわれをイタリアからロワール地方の美しい都市へと運んでゆく。しかし、ルネサンスの始まったのもまた、非常に重要な意味あいで、フランスである。フランスの著述家は、イタリアの天才が作り出したものも元をただせばフランスに発していると言うのが好きで、アッシジの聖フランチェスコは、名前のみならず、その思想を深くつらぬく騎士道精神やロマンティックな愛の観念に至るまですべてフランスに源を得ているとか、ボッカッチョは物語の輪郭を古代フランスの小話 (fabliaux)から借りているとか、ダンテは、細密画の期限がパリの町にあることをみずから明らかにしているとか、さまざまな言説を唱えているが、十二世紀末ないし十三世紀初頭のルネサンスというこの考えも、彼らがよく口にするところで、つまり、このルネサンスは中世の枠のなかでの一つのルネサンス――人間生活、人間精神のためになされた素晴らしい努力で、多少無為に終ったところもあるにせよ、その後十五世紀にそれがみごとに実を結んだというのである。たしかに、いまでは、「ルネサンス」という言葉は、十五世紀に起った古典古代の復活だけを意味するものではない。最初はそのことに用いられていたが、今はもっと複雑な運動全体に使われるのが普通で、古典古代の復活はそのほんの一要素、一徴候にすぎない。われわれにとって、ルネサンスとは、多面的でありながら統一のとれた運動を表す名称で、そこには、知性と想像力に訴える物それ自体への愛や、人生についてもっと自由な、また人生に相応した捉え方をしていこうという願望が感ぜられる。そして、この願望を体験する者は、そのはたらきに促されて、知性や想像の愉楽を得る手段を次々に探し求め、ついには、こういった愉楽の忘れられた古い源を発見するにとどまらず、新たな源――すなわち、新しい経験、新しい詩の題材、新しい芸術形式を予知するに至るのである。十二世紀の終りから十三世紀の初めにかけて、突如としてこの気風の大々的な発現が見られた。ここかしこで、めったにない恵まれた環境のもとで、中世の荒削りの力強さが、ゴシックの尖塔アーチ式建築、ロマンティックな愛の信条、プロヴァンスの詩といったような、甘美なものに形を変えた。そして、そこに醸成された甘美への嗜好が、この時代の古典復活の種子となり、さらには、ギリシア世界の完璧な美の源泉を弛まず追求するきっかけとなった。そして、このような本然的な欲求が圧殺されていたあの紛れもない「暗黒の時代」――多くの知性と愉楽の源泉がまさしく枯れ果てていた時代が、それまで長期にわたって続いていたことからして、この気風の突然の出現を一つのルネサンス、すなわちフランス語で再生、復活と称するのは、たしかに当を得たものと思われる。
精神
[編集]ものの考え方感じ方、時代の嗜好、美術や詩の形式を人間の狭い心は絶えず対立的に置こうとするものだが、それを互に結びあわせる理論は、知性に大きな刺激となるし、ほとんどいつでも理解するだけの価値をもっている。中世のルネサンスというこの理論もおなじで、それは、この時代の最も特徴的な作品であるシャルトルの彫刻、ル・マンの聖堂の窓と、後期ルネサンスのジャン・クーザン[1]やジェルマン・ピロン[2]の作品のあいだに連続性をうち立て、従来しばしば誇張されるきらいのあった。中世とルネサンスの断絶を埋めている。しかし、これらフランスの著述家が中世のルネサンスを語る時、その念頭にあるのは中世の宗教芸術、すなわち中世の彫刻や絵画ではなくて――これもまた多分に楽しみのために作られたものにちがいなく、世俗的な、反抗的な精神さえあらわれているが――むしろ俗界の詩、すなわちプロヴァンスの詩、およびその第二の結実としてイタリアとフランスで発展した詩なのである。この詩には、気のおけない、自由な、変化に富んだ地上的な情熱が――つまりは心の自由が、ありありとうかがわれる。そして、偉大な学者であるとともに偉大な恋人であるアベラールこそ、この心の自由の表現と、人間に提示されるあらゆる問題をめぐって活動する知性ののびのびしたはたらき、すなわち当時了解されたかぎりでの知性の自由とが結びついた人物であった。
アベラールの伝説は、誰しも知ってのとおりで、タンホイザーの伝説と較べて、情熱的な点はまず遜色はないし、中世の特徴をよくあらわしている点でもたしかに引けを取らない。この高名で眉目秀麗な学僧の胸のうちには、「叡智」がゆったりと心地よくつつましく玉座についているような趣きだったが、その彼がノートルダム聖堂の司祭館に住みこんだ時、おなじ場所に老司祭の姪でみなし児と思われる一人の女性エロイーズが起居していた。老司祭は姪に対する情愛のしるしに、当時としては最高の教育を授け、おかげで彼女は、もろもろの国の言葉に通じて古代の神秘を悟った結果、ケルトのドルイド教の巫女のようなものになったという噂を立てられるほどだであった。そして、抽象観念の本質をもう少しつきつめて考えようと、アベラールとエロイーズが水入らずで座っている時に、「愛の神が彼らの仲間に加わった」のである。セーヌの「島」のまばゆいばかりに賑やかな光景につつまれながら、夢のようにひっそりと、さながら影の世界に暮していたこの学僧の受けた誘惑を考えてみるがよい。一切の抽象概念にそれぞれ的確な価値を付与することをよく心得ていた彼には、他の人々の良心の上にわだかまる束縛はすでに緩められていたのであろう。彼は、俗語で多くの詩を作ったらしく、館の下の埠頭で青年たちが早くもそれを口ずさんでいた。その歌は、ド・レミュザ仏: Charles François Marie Rémusat[3]によれば、おそらくトルヴェール詩人の好みにしたがったもので、「アベラールは、年代から言って、トルヴェールの最初の一人、もしくはいわゆる先駆者だった」。風変わりな中世フランス語で書かれた例の「