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利用者:جبل فوجي/「アマチュア野球選手」なるものの掲載は認められるか

Wikipedia‐ノート:削除依頼/現役の高校野球選手で、「アマチュア選手」の掲載は認めない。という基準は無理があるのではないか?という議論をしました。以下では「アマチュア」という言葉を容易に用いることに、どれだけの問題があるのか?「アマチュア」という言葉でくくる事が以下に無理があるのか?「アマチュア野球」の選手を掲載しないその根拠は何よ?という議論について若干の意見を述べてみたいと思います。

なおこのページは暫時手を入れています。時々新しい文書が加わっていたりします。

区分[編集]

「アマチュア」っていうのはなんなんでしょうか?「プロフェッショナル」っていうのはなんなんでしょうか?先ずこっから始めないと議論が混乱するわけです。勝手に「アマチュア」とか「プロフェッショナル」という言葉を使ってはいけないのです。

「アマチュア」とか「プロッフェッショナル」とか言うのは、「状態」を示します。日本の野球しか見ていない人からすれば信じられない事かも知れませんが、この2つを行ったり来たりするのは、本当はさほど難しいことではないのです。これらは「状態」ですから、日本の野球しか見ていない人からすれば信じられない事かも知れませんが、アマチュアとプロフェッショナルの中間の状態と言うのも存在するのです。

以下には、スポーツというものを世界的に見た場合の「アマチュア」「プロフェッショナル」とその歴史について示します。

アマチュア[編集]

IOC基準でアマチュア選手というのは、スポーツを職業としないで尚且つスポーツをすることによって一切の経済的見返りを受け取らない人たちの事を言います。つまり

  • 用具(ボールとかユニフォームとか)はすべて自費で買い揃える。
  • 練習用のグラウンドや体育館の使用料も自分たちでお金を出し合って払う。
  • 遠征先にも自分達のお金で移動する。

という事をこなして初めて純粋なアマチュアと言っていいのです。この基準はIOC以下の多くのスポーツ団体で容認される基準です。(下に行くと例外がありますよ。)

この状態で尚且つトップアスリートの状態を維持するのは並大抵の事ではない事は容易に想像できると思います。大会の前に集中して練習期間を設けたとしましょう。もし彼、彼女が普通に仕事を持っているとしたら、彼、彼女は仕事を休まなければなりません。もし彼、彼女の雇用主が彼、彼女のスポーツ活動に理解を示していなければ、長い期間休まれる人間を雇っておかないでしょう。かわいそうですが、彼、彼女は失業者になります。スポーツをする前に新しい仕事を見つけなくてはなりません。もし彼、彼女の雇用主が彼、彼女のスポーツ活動に理解を示してくれたら、その間仕事に出た事にして給料を払ってくれるかもしれません。しかしこれが一昔前のIOCにバレたら大変な事になっていたでしょう。彼、彼女はあっという間にオリンピックを追放されてしまいす。つまり完全なアマチュアの状態で競技を続けていく事はものすごく大変なのです。もしこの状態でスポーツを続け、尚且つトップアスリートの状態を続けられるとしたら、彼、彼女自身がお金持ちである必要があります。それこそオリンピックが始まったころは、王侯貴族様かブルジョワな方々に限定されていました。IOCが長らく「アマチュア至上主義」を掲げたのは「スポーツとは上流階級の嗜みであって、下賎の者等と一緒にされてはたまらない。」という貧乏人を見下した態度が背景にあったのです。嫌みったらしい金持ちとはまさに彼らのことを言うのでしょう。

もう一つ重要なのは、金銭の授受にかんしてかなり厳しい規定を設けていたと言う事です。佐官屋さんが砲丸投げのプロとみなされたり、郵便屋さんが長距離走のプロとみなされていたくらいです。地元のイベントに参加して賞金を貰った選手がメダルを剥奪される事もありました。これも日本野球の悪しき影響ですが「あなたはプロ野球選手の仕事をします。対価として球団は幾ら払います」と言うプロ契約がアマチュアでない事の目安では決してないのです。何らかの経済的見返りを受けているか、いないか。これがアマチュアを規定する最大の目安だったのです。

プロフェッショナル[編集]

プロフェッショナル選手(プロ選手)とは、スポーツを職業とし尚且つスポーツをすることによって経済的見返りを受け取る人たちの事を言います。

上記のようにアマチュアでトップアスリートというのは非常に難しいです。これが年に1回の大会のためとかだったら未だ何とかなるのです。サッカーのように毎週末に試合があるスポーツではもっと大変です。野球のように毎日試合があるのであれば大問題です。怪我をしたらどうでしょう?仕事に差し障ります。彼、彼女の雇用主が彼、彼女のスポーツ活動に理解を示していなければ、怪我をして働けない従業員を雇っておけないでしょうか?雇用主さんからみればその怪我は仕事と全く関係ない場面でしてきた怪我です。こうした選手の保障制度として生み出されたのがプロフェッショナルプレーヤーです。

プロ選手を雇うと言うのは選手に対して保障を与えると言う意味でした。今でこそ彼らはハイソサイエティーの一員ですが、当初は貧しい選手の救済と言う意味を持っていました。従って従来上流階級意識を持っていたアマチュアから見れば「下賎の者等」であり、差別の対象になったのです。

プロ選手は19世紀末にイングランドとアメリカで生まれました。これが各国に広まっていったわけです。

アマチュアでない人[編集]

以下の議論には「アマチュアでない人」という言葉が出てきます。「アマチュアでない人」≠プロフェッショナルです。プロフェッショナルとアマチュアという二元論で問題を捉えるのは、悪い意味で日本の野球の影響です。以下でも述べますが日本の野球では政治的経緯、歴史的メンツからアマチュアとプロフェッショナルのカテゴライズはしっかりしていないと困るのです。プロフェッシュナルとアマチュアという二極間対立の構造があるかのように思わせているのは多大に野球の悪影響によるものなのです。ところが野球以外の多くのスポーツではアマチュアからプロまでの状態が非常にぐだぐだなまま放置されています。完全にアマチュアではないけれど、完全にプロでもない状態の人がたくさんいます。これが「アマチュアではない人」です。

例えば浅田真央の公式HPプロフィールによれば彼女は6社のCMへの出演経験があります。彼女をCMに出演させるのは彼女が有名なフィギュアスケート選手であるからに他なりません。そして、おそらくCMに出演させた企業からのギャランティーは彼女がフィギュアを続けるための原資の一部になっているでしょう。この時点で彼女はアマチュアではありません。非常に興味深い事に彼女のプロフィールには「職業」欄なる項目が存在しています。ここに「フィギュアスケート選手」と書ければ、彼女は立派なプロフェッショナルです。ところが彼女の職業欄には「学生」と書いてあります。彼女の職業はスポーツ選手ではないのです。彼女のように経済的見返りを受ける一方で、職業がスポーツ選手でない選手が「アマチュアではない人」となります。オリンピックレベルで活躍するトップアスリートは現在ほとんどが「アマチュアではない人」の状態になっています。FIFAなんかでは「ノン・プロフェッショナル」と言ったりします。

アマとプロの歴史[編集]

アマチュアとプロフェッショナルと言う境目は過去においてはっきりと存在していました。ところが1940年代後半から出現したステートアマは「アマチュアのふりをしたプロフェッショナル」と言う状態を発見しました。1960年代後半から登場した企業アマがこれに追随しました。決定打となったのは1980年代中ごろのIOCによるアマチュア至上主義の放棄で、ここから多くの国、多くのスポーツ競技でアマチュアとプロフェッショナルの垣根が完全にぐだぐだになりました。

ステートアマ[編集]

第二次世界停戦後の1948年にオリンピックは再開されました。以降1980年代まで、オリンピックで金メダルを多く獲得したのはソ連、中国、東ドイツといった東側の国々でした。こうした国々では名目上全ての国民が公務員なわけです。工場は国営ですし、農場も国営ですし、企業も国営なわけです。従って職業欄には「公務員」と書けるわけです。こうした公務員さんの中には当然スポーツが得意なものがいるわけです。手始めに彼らを集めるわけです。「なんとかスポーツ局」とか「なんとか体育学校」に集めるわけです。で、一日24時間、一年365日そこでスポーツが出来るわけです。生活については国家が補償してくれます。金メダルなんか獲った日にゃあ、もうウハウハです。これがステートアマです。従来の純粋なアマチュアに比べて広い範囲で選手を集める事が出来る利点がありました。たまたまお金持ちに生まれてこなくても、全国民が対象です。こうして東側の国が金メダルをがっぽりせしめる事ができるようになりました。

企業アマ[編集]

1960年代から、特に日本で盛んになったのが「企業アマ」という形態です。これは日本で最初に全国リーグを始めたサッカーから端を発して広まっていきました。結果多くのスポーツでトップチームが大学チームから実業団チームへ移っていきました。

企業スポーツの最初の形態は同好会です。会社の中で何人かが集まって同好会を作ります。その中でお金を出し合って、ボールを買い、ユニフォームを作り、体育館やグランドを借ります。大会に出るときには自費で移動して現地で各自集合です。

ところが全国規模で定期的に試合が行われる「日本(実業団)リーグ」の形態が各スポーツで導入されると、とてもじゃありませんが同好会に毛が生えた程度の形態ではやっていけない事がわかって来ました。部員達で出し合うお金以外にも、どこかからかお金をせしめなくてはいけなくなったわけです。かれらはどこからお金をせしめたのでしょうか?自分達の会社に「福利厚生のため」とか「会社の宣伝になる」とかという理由をつけてお金を出させたのです。例えば、彼らは会社の就業時間が終わってから6:00にグラウンドに集合し、9:00まで練習していたとしましょう。この3時間分の残業代を出させたのです。実質的にはスポーツをしている事への対価ですから厳密に言えばこの時点で「アマチュア」ではありません。この企業アマは次第にエスカレートしていきました。例えばサッカー選手として、バレー選手としてとった社員は仕事は午前だけで、午後からは練習ということにするチームが増えてきました。これだけならあまり問題は無いのですが、仕事をしていない時間も就業していたとしてお金が払われます。さらには試合に出場した。勝った。という事に対してもボーナスが支給されるようになりました。これはプロ選手が契約でつける勝利給、出場給となんら変わりません。

プロ選手との一番の違いは、あくまでも職業は「会社員」だと言う事です。職業欄には「会社員」と書けます。従って彼らは「プロ選手」ではないわけです。「アマチュアではない人」に相当します。例えばJSLに参加していたチームは結構な大企業が揃っていました。こうした会社では一定額の賃金を受け取れたわけです。給料体系って言うのは保障されているわけですね。従って怪我をしても一定のお金は受け取れたわけです。「大企業」っていうのは結構ミソで、外様に対しても恥ずかしくはないお給料を貰っていたんじゃないかと。一方でJSLには幾つかクラブチームが存在しました。例えばこの内の一つである読売クラブは実質的に完全なプロでした。選手は他のチームの選手が持っている社業というものを持っていなかったので完全にサッカーに専念できました。この点他のチームの選手から見るとうらやましかったのですが、読売クラブの選手の給与には大手の会社が保障してくれる分が無かったんですね。これは実労が無かったシーズンオフとか怪我をして全くプレーできない期間は結構大変だったようです。

これが日本で言う「実業団チーム」の実態です。社会人野球だろうと、バレーだろうと、ラグビーだろうとさほど変りはありません。会社側は外ウケとか内ウケの為にお金を出しているのです。木村沙織が"TORAY"のロゴが入ったユニフォームを着てぴょんぴょん跳ねれば東レの株は上がるのです。客も来るし、テレビも来るのです。喜んでボール代も出すし、代表にとられていない間も給料を払うのです。

アマチュア至上主義の放棄[編集]

1980年になると、ステートアマによるアマチュアリズムの形骸化、とこれに反発する西側諸国、プロ選手を出すと儲かりそうだと言う誘惑、これらを背景にしてIOCはアマチュア至上主義の放棄を打ち出しました。「プロ解禁」と言うやつです。

この結果何が起こったか?と言うとプロフェッショナルとアマチュアの境界がぐだぐだになりました。つまり完全なアマチュア選手がオリンピックからほぼ完全に姿を消し去ったのです。アマチュアのトップアスリート達は何らかの形で公に経済的援助を誰からか受ける道を選択しました。彼らは「アマチュア」である事を辞めて、「アマチュアでない人」になる方法を選択したのです。

例えばCMに出てギャラを貰う。スポンサーを付けてロゴをユニホームに貼り付けると言った方法でお金を得ることが出来ました。ここで得た活動を原資としてスポーツ活動にある程度専念できるわけですよ。思い切って「自分はプロフェッショナルだ!」と宣言しちゃった人もいます。

試論[編集]

これまで幾つか「アマチュア」スポーツ選手の掲載を巡って議論がありました。上の議論を踏まえて考えてみた事をちょっと書いてみたいと思います

「アマチュア野球選手」[編集]

さて、上に示した議論で主な対象になっているのは「アマチュア野球選手」という存在です。「アマチュア野球選手」というのは一体全体どういう類の生き物なのでしょうか?ここでは「アマチュア野球選手」っていうのはなんなのさ?という点から議論を始めてみたいと思います。

議論の前提[編集]

「アマチュア野球選手」の議論において最も重要なのは「アマチュア野球選手」という日本語で用いられる「アマチュア」と、これまで議論してきた「アマチュア」とでは意味が異なるという点です。これを無視してしまうと議論がこんがらがります。

「アマチュア野球選手」は「アマチュア」か?[編集]

もう一つ重要なのは「アマチュア野球選手」は「アマチュア」ではないという点です。(「アマチュア野球選手」と「アマチュア」、同じ「アマチュア」という言葉が含まれていますが、その意味は全く違います。)たとえば、野球留学をしているような高校野球の選手、特待生待遇の選手を考えて見ましょう。高野連によれば彼らは一応「アマチュア野球選手」というカテゴライズに含まれます。彼らは「野球をすることを前提」として高校への入学を許可されたはずです。野球の成績が優秀な生徒であれば、多くの学校と争奪戦になるでしょう。従って高校側では彼らに対して何らかの特典を提示しなければなりません。たとえば彼らの多くは部費どころか、学費も払っていない可能性があります。中にはお小遣いを貰える所まであるらしいですよ。いいですね。この時点で経済的な見返りを受けているので、これまでの議論で言うと彼らは既にアマチュアではありません。部費を払っていなければ、ボールやユニフォームは別の誰かが買い揃えているはずです。野球強豪校は多くの場合夜間照明の施設を有しています。これに灯りを入れれば相当量の電気代を喰う筈です。彼らは割り勘してこの電気代を払っているでしょうか?また強豪校は大会期間が空く間定期的に遠隔地に遠征に出かけます。彼らの宿代や移動費はどこから出ていますか?

さて問題です。彼らはここまでで議論してきた「状態」としての「アマチュア」の範疇に含まれるでしょうか?答えは高校野球に対して保守的な考え方を持った人が出してくれます。日本の高校野球で、保守的な考え方を持っている人の中には現状の野球留学や、特待生制度で優秀な選手を引っ張ってくる現状に顔をしかめる人がいます。彼らは何故現状を苦々しく思うのでしょうか?答えは簡単です。現状こうした制度の特典を甘受している高校野球の選手は「アマチュアではない」からです。いつの間にか高校野球は完全に「アマチュアリズム」を逸脱してしまったのです。

「アマチュア野球選手」の定義[編集]

ここまでで「アマチュア野球選手」は「アマチュア」からかけ離れている。という点を確認しました。では「アマチュア野球選手」は何ゆえ「アマチュア野球選手」を名乗り、その定義はどのようなものなのでしょうか?

一言で簡単に述べると日本の野球の場合「アマチュア」とはアマチュア側の機構が管理している選手の事を、「プロフェッショナル」とはプロフェッショナル側の機構が管理している選手の事を言うようにしているのです。つまり恐るべき事にどれだけアマチュアリズムが崩れ去っていたとしても日本の高校野球の選手は「アマチュア野球選手」なのです。「アマチュア」という言葉を使えるのです。

日本の野球では、歴史的メンツ、政治的経緯、経済的オイシサから「アマチュア」と「プロフェッショナル」の垣根ははっきりとしていなくては困るのです。これは日本の野球の勝手な「都合」です。つまり日本の野球はその勝手な「都合」により、本来「状態」であるアマチュアとプロの違いを、これまた勝手にアマチュアとプロどっちの機構に所属しているか?という「所属」の問題に置き換えたのです。もちろんこれは 日本の野球の勝手な都合ですから、これを他のスポーツに当てはめる事は出来ません。しかし何故か日本ではこれを流用して他のスポーツに当てはめる事が出来ると考えてしまう人が往々にして存在するわけです。これが根本的な間違いなのです。

日本の野球において「アマチュア」と「プロフェッショナル」の垣根ははっきりとしているというのは、選手のカテゴライズだけに限らず、選手、大会を管理、統括する機構も同じです。日本の野球には、野球というスポーツを全体的に統括する機構が存在しないのです。他のスポーツではあるナショナルな範囲においてあるスポーツの全ての選手、全ての大会を管理統括する機構が存在しまます。従ってこの範囲であれば、プロもアマチュアも関係ないのです。つまり「状態」の問題として片付けることが出来るし、現在ではプロだろうとアマチュアの「状態」がぐだぐだになっていることに特段困る事はないし、許容されているのです。最近では「アマチュアではない」人でも国体にも出れるようです。いいのか悪いのかは別として、明らかに「アマチュアでない」人がインターハイやインカレに出場しています。何時の間によくなったんでしょうか?

ちょっとした付け足し[編集]

つい最近まで、上のような理解が(程度の差はあれ)「暗黙の」ものになっていました。ところが、西武の裏金問題のはなしが雪だるま式に広がっていった結果、高野連は「アマチュアとして定義される自分達のアイデンティティー」を再確認せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。アイデンティティーの再確認というとちょっと聞こえがよくなってしまいますが、なにをやったかというと、強引なまでのアマチュアリズムへの舵取りです。その結果が専大北上の野球部廃止ですから、やってる選手からしたらいい迷惑な話だけかもしれません。

これに対して、高体連(高野連は高体連のコントロールに入っていません)は非常に面白い見解[1]を発表しました。いつかリンクが消えてしまう可能性があるので、掻い摘んで説明すると「高体連としてはスポーツ特待生制度が問題であると理解していない」という内容になっています。つまり、高体連的には高野連で問題になっているようなことは、問題ですらないよ。ということを明確に宣言したわけです。高体連としては「野球基準」と同じモノサシで他のスポーツを測ってもらうことは迷惑である。といいたかったんだと思います。

おいらの意見[編集]

「浅田真央」にしろ「石川佳純」にしろ「中田翔」にしろ、「ハンカチ王子」にしろ彼ら/彼女らは既に「状態」として「アマチュアでなない」という事に変わりはありません。前の二人は疑う余地も無くアマチュアではありませんが、完全なアマチュアの形態で国際大会なんか出られるわけはない上に、完全なアマチュアでなくても特段困る事なんて無いわけです。堂々と百科事典に載っければいいわけです。

後ろの2人が困ってしまう点は、訳の分からない日本の野球のカテゴライズの方法によれば「アマチュア野球選手」ではある。ということです。一番大きいのは高野連が高体連に加盟していない点です。高体連は高体連で「アマチュア」という規定を設けていて、今ではこれを完全に放棄しているわけですが、高野連は高体連に入っていないのでこれに左右されていないのです。したっがて勝手に「アマチュア野球選手」という設定をしているわけですが、中身は完全に「アマチュア」ではないわけです。

「アマチュアではない」という点については「斎藤佑樹」も「中田翔」も「浅田真央」もさほど変わりは無いわけです。浅田が良くて、斉藤、田中がダメな理由は何なのさ?といわれたら、さあ?何でしょう?と答えるしかありません。

リファレンス[編集]

  1. ^ http://www.sankei.com/sports/sports/070424/spt070424000.htm

これまでの議論[編集]