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利用者:いすか/出典を捨てろ

出典を捨てろ、とは[編集]

ご存知のとおり、ウィキペディアでは、出典を明記する必要があります。出典のない記述は、要出典テンプレートが付与され、削除されるか、あるいは、記述だけではなく記事ごと削除依頼にかけられる運命にあるでしょう。検証可能性特筆性を確保するために、出典が必要だからです。

さて、記事を書くにあたり、出典は必要不可欠なものですから、「調べる」ということはとても重要なことです。Webページを検索する、図書館に行く、本屋に行く、書籍を読む。さまざまな方法があるでしょうが、とにかく、そうした行動をされてから、記事を書くことになるでしょう。繰り返しますが、それはとても重要なことです。

しかしながら、こうして得られた情報を、すべて記事に組み込んではいませんか?たとえば、こういうように。

foobar(ふーばー)は、fooとbarから成り立つ、bazである[1][2][3][4][5]

もしかすると、検証者[† 1]は、この書き方を歓迎するかもしれません。が、これを難なく読み下せる方は、ウィキペディアに慣れている方と断じて過言ではないでしょう。普通に読んでいる書物にこのような書き方がされていたら、筆者なら即座にその本を捨てます。読みづらいことこの上ありません。

では、こうすればどうでしょうか。

foobar(ふーばー)は、fooとbarから成り立つ、bazである[6]

なるほど。読む側はすっきりしますね。しかし、検証者からはたまったものではありません。その記述を検証するのに、どこをみればよいのでしょう。それは、検証者の甘えだと断じることも出来るでしょう[† 2]。数キロバイトの記事であればよいですが、大きな記事になればなるほど、検証の難易度は上がります。さらにこの書き方では、多すぎる出典情報の合成が疑われてしまうなどの弊害もあります。その記事がウィキペディア記事として正しいかどうかは、検証者によってもたらされるものであって、検証者に対する配慮(検証が容易であるように努めること)もまた、必要なことです。記事が検証されること、ウィキペディア記事として正しいと考えられることは、その正確性、中立性において、結果的に読者の利益になることを忘れてはいけません。

では、どうすればよいのか。こうしましょう。

foobar(ふーばー)は、fooとbarから成り立つ、bazである[7][8]

もともと5つあった出典を、2つに減らします。つまり、出典を捨てたということです。

実は、検証可能性や特筆性を確保するのであれば、これで十分なのです。よりステイブル[† 3]で、より信頼性の高いもの[† 4] に、置き換えてください。出典を提示するのは、これで十分です。

出典を捨ててはいけないとき[編集]

ただし、「単純に出典を捨ててはいけない場合」があることもまた、忘れないでください。例えば、性質の異なるジャンルからの、複数の言及がある場合などです。例えば、「存命人物の評価」を書くとき、その人の評価が記された、本来のジャンルではない書籍からの言及、といったものがありえるでしょう。「あるスポーツチームのキャプテンが、どのようにキャプテンシーを発揮したかを記したビジネス書」などといったものがあるとすれば、そうしたものは単純に捨てたり、置き換えたりできません。記述の中立性を保とうとしたときなどもまた、置き換えや削除が難しい場合もあるでしょう。その場合は、本文に組み込んだり、参考文献として取り入れることを検討するなど、出典の整理整頓を試みるのが良いでしょう。

出典を整理すること[編集]

出典の整理、というとき、こうした記述にも、気を配るべきだと思います。

fooはふーと読む[9]。hogeはほげと読む[9]。海外ではfooが用いられ[9]、日本ではhogeが用いられる[9]。hogehogeと2回繰り返すこともある[9]

refタグのname属性は、とても便利ではあります。がしかし、何度も何度も出てくるようであれば、「参考文献節を作り、そこに出典を提示する」ことを検討する、つまり、GENREF方式への転換を図るなどを検討してみてください。もし、ページ数が示されないことによって検証難易度が上がってしまう場合[† 5]は、読むべきページなどをきちんと提起するなどし、検証の容易さを確保する努力をするべきでしょう[† 6]

検証者は、参考文献には一通り目を通すでしょうから、こうしておけばある程度検証を容易に保ったままで、出典を整理できるはずです[† 7]

まとめ[編集]

つまり、こういうことです。調べたものを、捨ててください。大胆に調べたことをすべて記事に取り入れてはいけません。情報の取捨選択は、とても重要なことです。必要なのは、出典の提示であり、調べたことや知識をひけらかすことではありません。

最後に、ライトノベル作家有川浩が、俳優児玉清と対談をおこなったときの、そのやりとりを引用しておきます。私たちはウィキペディアの編集者ですが、きっと通ずるものがあるでしょう。

-- 有川 作家にとって一番大事な作業は、膨大に調べて膨大に捨てる、ということだと思うんですよ。

-- 児玉 これまた魅力的な、有川語録ですね(笑) 詳しく伺えますか?

-- 有川 調べたことを全部書いたらいけないんです。調べたことを読者に必要な部分だけピックアップして使う、そうなると、私の場合は調べたことの9割は捨てています。逆に、捨てられるという能力は大事にしていかないといけないのかなって。

-- 児玉 今のお話っていうのは、これから作家を目指すという方に、ぜひ知っていただきたいなと思いましたね。私はね、とある新人賞の選考委員をやらせて頂いているんですが、毎年最終選考の数作を読んでいて思うのは、やたらとうんちくが多いんです。

-- 有川 調べたことを全部、書いちゃってるんですね。

-- 児玉 そうなんですよ。時代小説の新人賞ということもあるんですが、歴史上の人物を出すという時に、「俺はこれだけ調べて知ってるぞ」みたいなうんちくを、えんえんと書いている。それがね、まったく小説に関わりないんですよ。邪魔なんです。

(中略)

-- 有川 捨てる作業をする時、私にとって一番の手がかりになるのは、読者さんの存在なんですよ。読者さんにとってこの情報は必要かどうか、というところで取捨選択をしています。

--文庫版『図書館革命』(有川浩、角川文庫、2011年6月。ISBN 978-4-04-389808-4)p376、p377より引用

出典の例[編集]

  1. ^ hoge、xxページ
  2. ^ piyo、xxページ
  3. ^ fuga、xxページ
  4. ^ hogera、xxページ
  5. ^ poyo、xxページ
  6. ^ hoge、xxページ。piyo、xxページ。fuga、xxページ。hogera、xxページ。poyo、xxページ
  7. ^ hoge、xxページ
  8. ^ piyo、xxページ
  9. ^ a b c d e 同じ出典1

注記[編集]

  1. ^ 読者のことではありません。「出典」の意味がわかっており、その検証を試みる方は、多かれ少なかれ、ウィキペディア編集者のカテゴリに含まれるべきものでしょう。読者とは、もっと単純に、読み物としてウィキペディアの記事を読まれる方を想定すべきと、筆者は考えています。
  2. ^ 筆者は基本的にこの立場です。出典を示す方法のひとつとして、GENREFという方法がありますが、筆者はこれを好みます。読者がもっとも読み下しやすい記述となるからです。
  3. ^ いつ削除されるかわからないwebページよりも、出版された書籍のほうが、よりステイブルであるといえるでしょう。もちろん、単に見聞きしただけの情報(テレビや、ラジオなどの情報)がステイブルな情報源でないということは、Wikipedia:検証可能性でも言及されていることです。
  4. ^ Wikipedia:信頼できる情報源が、そのものずばりのガイドラインでしょう。
  5. ^ ページ数の多い書籍で、章立てになっているなどする場合が該当するでしょう。
  6. ^ 筆者がそのようにして執筆した項目に、マリブ (リキュール)があります。
  7. ^ 筆者が体感した、素晴らしい検証の例をひとつ、挙げておきます。リキュールの、この差分です。この時点で、この記述部分に言及した書籍は、参考文献中にありませんでした。この記述をおこなったのは筆者ですが、文献を挙げ忘れていたためです。後に出典を補記しました。ピンポイントでの要出典テンプレート貼付であり、素晴らしい検証といえます。

関連リンク[編集]