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利用者:おかかつお/sandbox


駅前で担いでいる様子

起源[編集]

動橋集落のお祭りがいつから始まったのかは定かではない。古来より、動橋川は幾度となく大洪水を起こし、その度に収穫前の田畑があれ、作物がとでず、飢饉に見舞われ、民家や人命も奪われていた。川が氾濫しないことを願うため、川のそばに鎮守の杜や祠を建て、稲の収穫前後に地鎮祭として神様に祈りを捧げてきた[1]


ぐず第一号がつくられたのは昭和3である。大正末頃までは、秋祭りの際に小学生が町内の各戸を回って薪や笑を集めてそれを境内で燃やす「かがり火」であった[2]。しかし、昭和3年に青年会が、集めてきた薪を燃やす「かがり火」だけでは物足りないという話から協議を始めた結果、「かがり火」の中に村の伝承で出てくる「ぐず」を造り、燃やすことになった。今まで見たこともないような大きなぐずを作り、みんなで村中を担いでまわり、夜になったら神社で燃やすことになったのがきっかけであった[1]

運営組織[編集]

町をあげてのイベントのため青年団、壮年団、婦人会、子供会、喜楽会、預金講、区長会、商工会など多くの組織が参加している。

青年団は18〜25までの男子が団員となっている。昭和59年までは青年団と青年会があり、青年団は女子も参加していた。青年会は祭りの時にグズを作製や獅子舞の練習など、祭りの準備と執行のための組織として活動していた。青年団は、青年の減少、職業の多様化、意識の変化などの理由により活動不能となったので、祭りのための臨時的な組織であった青年会が残り、祭りの主役をになうようになった[2]。2020年8月、祭りを盛り上げることを目的として、祭りの歴史をまとめた冊子「ぐずやきまつりのすべて」が、地元住民の手で発刊された[1]

制作工程[編集]

ぐずの張子は青年会が作成している。開始の期日や制作場所は一定していない。制作にあたる会員の仕事関係と近年のグズの大型化によるもので、近年は13メートルと最大である。経費は約30万ほどで、設計図を書く→木材・竹の購入→張子の骨格となる型を作成→布貼り→着色などを約1ヶ月かけて製作している。この作業と並行して会員は笛や太鼓・獅子舞の練習が行われる[2]

その他 [編集]

一時期、ギャルぐずというものがあり、女性も一緒にグズを担いだ年もある[1]



[AK1]年代確認する



  1. ^ a b c d 『ぐずやきまつりのすべて』動橋町区長会動橋地区まちづくり推進協議会、8月。 
  2. ^ a b c 『石川県祭り・行事調査事業報告書 石川の祭り・行事』石川県教育委員会、1999年。