利用者:かくしぶん
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周顯王十五年(紀元前354年)、趙国は衛国侵攻をはじめ、漆と富丘を略奪した。魏国は出兵し衛国を助けようとして、趙国の首都邯鄲(現在河北省邯鄲市)を包囲した。魏国軍隊が邯鄲、襄陵(現在河南省睢縣南)で斎国、趙国、宋国軍隊と交戦している間に、秦国は機を乗じ魏国を奇襲し、魏国長城の河西側の重要拠点元里を落とした。守備軍7千人を殲滅、少梁も占領し、魏軍を大きく破った。それと同時に公孫壯を韓国侵攻に行かせ、韓国の奥地まで攻め入り、上枳、安陵(現在河南省鄢陵縣北)、山氏(現在河南新鄭市東北)の占領、築城に成功した。これで(勢力を)魏国、韓国の国境隣接地区に広げたことになる。