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利用者:げえさん/sandbox-ギリシア美術模倣論

「ギリシア美術模倣論」は、美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンが、芸術における古典への回帰を説いた初著である。本著の中で、芸術における古典への回帰を説いたヴィンケルマンの思想は、17世紀半ばから18世紀初頭にかけてヨーロッパ中で巻き起こった絵画の潮流である新古典主義の理論的支柱となった。『ギリシア美術模倣論』とは略称で、正確な題名は『絵画と彫刻におけるギリシア美術の模倣に関する考察』である。

経緯[編集]

1741年、31歳のヴィンケルマンはドレスデン近郊ネーテニツ城で、政治家兼歴史家であったビューナウ伯ハインリッヒの図書館司書となる[1]。ヴィンケルマンはビューナウ伯の助手として史料調査に精励する傍ら、個人蒐集として当時ヨーロッパで1,2に数えられた有数の蔵書を自由に閲覧できた。ヴィンケルマンはここで、近世美術の歴史と理論に触れる。1751年頃、教皇使節としてビュナウの図書館を訪れたアルキントーは、案内をしたヴィンケルマンに驚嘆し、美しい自然と芸術の栄えるイタリア行きを奨励した[2]。ヴィンケルマンの研究姿勢は、ドレスデンのザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト二世によって評価され、200ターラーの奨学金を受けた[3][4]

1754年にネーテニツを去ったヴィンケルマンは、イタリアを訪れるまでの一年余りを首都ドレスデンにて過ごす。そこでヴィンケルマンは芸術家たちと交流を深め、アダム・フリードリヒ・エーザーのもとに下宿し、論文の執筆を進めた。

『ギリシア美術模倣論』の草稿が完成すると、国王の懺悔傾聴者であるラホオに献じようとするも辞退された。ヴィンケルマンは本著の内容を前もって他の人に知られることを避けるため、ブリュール伯に検閲の免除を申請したが、その際、『ギリシア美術模倣論』をザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト二世に献呈するように命じられる[5]。本著初版は四つ折り本、扉及び献辞8ページ、本文40ページという構成で、発行部数は50部に限定された[6]

内容[編集]

ルネサンス期以降のヨーロッパを支配したバロック・ロココ様式の「自然の模倣」に対するアンチテーゼという意味合いを込めて、ヴィンケルマンは古代人を模倣することによる古典芸術への回帰を説いた。ヴィンケルマンは、ギリシア人が生来の気候や環境に恵まれているだけでなく、その身体育成にも十分な注意がなされているため、近代人には到底及ばないと主張した[7][8]。したがって古代作品は美術の本源であり、自然そのものを描写するより、ギリシア芸術を模倣することによって理想的な美に近づくことができると説いた[9]

結局、ギリシア美術の傑作に通じる優れた特徴は、姿勢と表情とにおける高貴なる単純さと静謐なる偉大さである。表面はいかに荒れようと常に静けさを保つ深海の如く、ギリシア彫刻における表情はいかなる激情に際してもある大いなる端正な精魂を示している。

脚注[編集]

  1. ^ 佐藤直樹「ヴィンケルマンの古代受容とドイツ古典主義の形成」、木俣元一・松井裕美編『古典主義再考1 西洋美術史における「古典」の創出』、中央公論美術出版、2021年、337頁。
  2. ^ 澤柳大五郎「解説」、ヴィンケルマン『ギリシア美術模倣論』、座右宝刊行会、1976年、109頁。
  3. ^ イタリア行きを実現するための奨学金を得るためには、カトリックへの改宗が交換条件であった。そのため、ヴィンケルマンは、1754年にプロテスタントからカトリックへと改宗した。 島田了「ヴィンケルマンが目指したもの:『ギリシア美術模倣論』について」、愛知大学語学教育研究室『言語と文化:愛知大学語学教育研究室紀要』、第47号、69~88頁、73頁。
  4. ^ 佐藤直樹「ヴィンケルマンの古代受容とドイツ古典主義の形成」、木俣元一・松井裕美編『古典主義再考1 西洋美術史における「古典」の創出』、中央公論美術出版、2021年、338頁。
  5. ^ 澤柳大五郎「解説」、ヴィンケルマン『ギリシア美術模倣論』、座右宝刊行会、1976年、118頁。
  6. ^ 澤柳大五郎「解説」、ヴィンケルマン『ギリシア美術模倣論』、座右宝刊行会、1976年、120~121頁。
  7. ^ 佐藤直樹「ヴィンケルマンの古代受容とドイツ古典主義の形成、木本元一・松井裕実編『古典主義再考Ⅰ 西洋美術史における「「古典」の創出』、中央公論美術出版、2021年、343頁。
  8. ^ James L. Larson, Winckelmann's Essay on Imitation, ' Eighteenth-Century Studies', Vol. 9, No. 3 (Spring, 1976), pp. 390-405, p396.
  9. ^ 澤柳大五郎「解説」、ヴィンケルマン『ギリシア美術模倣論』、座右宝刊行会、1976年、140頁。