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利用者:じゃんぼちゃん

== じゃんぼちゃん・まやかし展覧会 ==

じゃんぼちゃんは、千葉県東金市にある”まやかし展覧会”の館長である。
元々おもちゃコレクターだった”じゃんぼちゃん”は、博物館を作ることが夢だった。
これまでに横浜や箱根にある有名な博物館へ行って色々見ていたが、
実際に作るとなるとコストがかかることに気がつき夢を断念していた。
ところがある日、伊豆へ行った際に大きなヒントに出会った。
伊豆にあった怪しげな博物館(怪しい少年少女博物館)を訪れた際に手作り感のあるケースなどを見て
大工の経験があった”じゃんぼちゃん”は、これならローコストでできるかもしれないと
その翌日から夢に向けて博物館建設を始めだした。
元々本業の為に2003年倉庫として建てた建物の改造を開始
約半年で半分を完成させた。
工事は、まだ続いており完成時期は不明である。
まやかし展覧会は、主にレトロな玩具・レトロな町並みを再現したコーナーから
ミステリーゾーンの不気味で恐怖なコーナーを公開している。
これまでに珍スポットマニアを中心に親しまれている。

じゃんぼちゃんコレクション

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主におもちゃを収集しているが、その他に昭和レトロな物から
不気味なホラー系の物まで色々収集している。
コレクションの幅が広い。

その他の活動

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じゃんぼちゃんの本業は輸入雑貨販売である。
主にアメリカン雑貨などの卸業と小売を行っている
その他に趣味でじゃんぼちゃんマニアック観光探検隊という
珍スポ・B級スポット・廃墟・戦争遺跡などを巡っている。

生い立ち

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神奈川県横須賀市の出身。母親が米兵と再婚5歳まで横浜の米軍住宅に暮らし幼稚園に通った。
その後は、横須賀米軍基地内の小学校に通ったが、母親が米兵と離婚。
その後は、日本の小学校と中学校に通い卒業した。
商売好きになったのは、子供の頃に見た大人の多くが商売人だったからである。
10歳の頃からどぶ板に住み始め、当時のどぶ板はネオンが輝いて活気があった。
インベーダーゲーム機が白黒からカラーに変わり始めた頃、バーのオーナーから
不要になったゲームを貰い家に設置して同級生相手に有料で遊ばせて小遣いを稼いでいた。
後にガンプラブームが到来すると市外に買い付けに行って手に入らないガンプラを倍の値で売り稼いだ。
中学卒業後、母子家庭で育った為、家庭の事情で高校へは進学しなかった。
16歳で土木や建設会社で勤務。当時、米空母ミッドウェーの艦内でタイル貼りなどをしていた。
その頃、母親はどぶ板でダウンタウンという名の店を営んでいた。
夜は、母親の店の手伝いをしながら昼間はバイトをしていた。
16歳の時イギリスの4人組バンドの影響でギターを学びだした。
その後、ロックブームの到来で海外の音楽ビデオを米兵から手にいれダビングして売って稼いだ。
母の店が閉まっている時間帯を利用してダビングしたビデオを販売していたが、
ブームが終わったのと母の店の経営難によって閉店となった。
18歳の時”じゃんぼちゃん”の商才を見ていたゲームリースオーナーがバブルで転職する際に
その時持っていたゲーム機約100台を”じゃんぼちゃん”に条件付で譲渡した。
18歳~30歳までゲームリース業を続けていたがゲームブームの終わりとともに廃業した。
その後は、知人が営むキャバクラ、清掃業、居酒屋などを手伝っていたが
このままでは終わりたくないという思いから再び経営者として事業を開始
ミリタリー関連の輸入販売からUSトーイの取り扱いを開始
その頃から、おもちゃに縁があって集めだした。後にコレクターとなった。
当初は、新横浜や品川インターシティ周辺にあった1坪ショップに出店していたが、
本元の会社が撤退し、千葉県に移転となった為、千葉県中心に事業展開を開始
  後に本元の会社が倒産した為、現まやかし展覧会のある場所でネット販売中心に業務を開始。
現在は、まやかし展覧会の博物館業務と輸入雑貨販売、卸業務をしている。

じゃんぼちゃん秘話

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母親が横須賀でダウンタウンという店をやっていた頃、よく作家の山田深夜が通っていた。
ギター習いたての”じゃんぼちゃん”相手に自慢のハーモニカでセッションをしてくれた思い出がある。

その昔ライブハウスとして有名になったスクリュードライバーで一時店長を務めたことがある。
その頃、地元で有名だったバンド(JOKER-J、ホーチミンロック、サラマンダー)などが出演した。

子供の頃から遊んでいた場所が、旧日本軍の基地跡地や遺跡だった場所の為か
気がつけば、戦争資料や遺品を集めていた。また県外の戦争遺跡にも足を運ぶようになった。
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