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神畑重三(かみはた しげぞう、1926年生まれ)は 日本の実業家。 カミハタ養魚グループの創業者である。神畑養魚株式会社、株式会社キョーリンのCEO。探検家としても知られる。
来歴
[編集]1926年、兵庫県姫路市に生まれる。1949年、明治大学卒業後、兵庫県庁に勤めるが、3日後で退職。家業であった食用鯉の養殖業を継ぐ。食文化の変遷から食用鯉に未来がないと判断、観賞魚である錦鯉に目をつけ業態を変換する。1961年に神畑養魚株式会社を設立後は、錦鯉の養殖から熱帯魚の輸入卸にシフトしていく。さらに、1968年に観賞魚飼料の商社である株式会社キョーリンを設立、工場部門としてキョーリンフード工業株式会社を1979年に立ち上げ、一代でカミハタ養魚グループを築き上げる。 [1]
カミハタ探検隊
[編集]60歳の時、探検家ハイコー・ブレハーに誘われてアマゾン川流域の探検に赴く。 その後、熱帯魚の食性や生態を調査するために、カミハタ探検隊を編成。 アマゾンやアフリカ、イリアンジャヤなど27回にわたり世界中の秘境を探検した。ネオンドワーフレインボーをはじめ、新種の熱帯魚を発見している。
この体験を綴った「カミハタ探検隊熱帯魚の秘境を行く」を執筆、平成12年に姫路市芸術文化賞を受賞。 [2]
エピソード
[編集]錦鯉をヨーロッパに初めて輸出した事で知られる。錦鯉の品種は日本語読みののまま、例えば紅白(KOHAKU)大正三色(TAISHOSANSHOKU)と発音されるが、 これは神畑重三が錦鯉をヨーロッパに売り込んだ時に、英語への翻訳を断ったためとされる。 [3]
また、インドネシアで作出されたばかりの新品種である珍珠鱗(パールスケール)の丸手個体をみて、ピンポン玉のようなパールスケールと感じた事から「ピンポンパール」と命名した。
語録
[編集]「過去に選択肢はない」
「本業を離れるな、本業を続けるな」 [4]
出典
[編集]外部リンク
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