利用者:にのかな/sandbox
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宇夫階神社 歴史(由緒) 伝えるところによると、相当古い時代から鵜多郡の郷に鎮座し、宇夫志奈大神と称えまつった。第12代景行天皇の御代、皇孫綾君の祖武殻王(たけかいこのみこ)が阿野郡に封ぜられ、部内の海岸を船で御巡視の折、暴風雨にあい、王は驚いて宇夫志奈神に御記念なさると、忽ち小烏が跳び来って、風波を凌ぎつつ導き奉るので、王は大変喜び、水夫に命じて烏に従い漕ぎ行かれたところ、泊島(丸亀市本島宇泊)に着き難を逃れた。これより宇夫志奈大神を一層篤く崇められ、爾来小烏大神とも称え奉るようになった。次いで第49代光仁天皇の御宇により、宝亀10年(779)には社殿再興のことが伝えられている。国史によれば現在の社である。 末包家記によると、第51代平城天皇の大同元年(806)10月中の申日、藤原鎌足四世の孫左京大夫藤麻呂の孫で、津の郷の長者末包和直に宇夫志奈大神の託宣があり、「汝わが祭祀を司りて国の守護神と仰ぐべし。」と、即刻当時の国守に上申し、自ら神主となり長く祭祀を行い来った。翌2年(807)神徳の輝きにより、現地に御遷座申し上げた。昭和32年5月中の申酉の日、ご遷座1150年祭を斎行し未曽有の神振を催した。当神社の大祭を申酉祭というのも以上の由緒による。