利用者:のりまき/見果てぬ夢 亜細亜大博覧会と日本大博覧会

執筆の経緯[編集]

亜細亜大博覧会」と「日本大博覧会」の記事を立てることになったのは、原宿のファッション史の作成中に原宿にある渋谷区立図書館で資料探しを行ったのですが、その際にたまたま手に取った資料の中で、「日本大博覧会」のことに触れられていたことがきっかけでした。お恥ずかしながら自分はそれまで「日本大博覧会」のことを全く知らなかったのですが、明治時代に万国博覧会の計画が進められていて、その計画が明治神宮の成立に影響を与えていたことに興味を持ち、記事にしてみようと思い立ったのです。

資料集めを始めると、まもなく「日本大博覧会」の前に「亜細亜大博覧会」という万博計画があり、それこそが日本のみならずアジア初の万博計画であったことがわかりました。当初、「日本大博覧会」のみの記事を立てて「亜細亜大博覧会」は前史として触れる形にする予定だったのですが、執筆を進める中で、「亜細亜大博覧会」自体が大切な事項であり、記述が重くなることがわかったため、「亜細亜大博覧会」と「日本大博覧会」の両記事を立てることに決め、執筆途中の記事を分割しました。

亜細亜大博覧会[編集]

佐野常民

「亜細亜大博覧会」の記事で重要な点は、明治維新後、必死になって欧米諸国に追いついて行こうとする日本の姿が見えてくることにあると思います。博覧会構想の中核にいた佐野常民は明治初年には既に40歳を超えており、いわば中年になってから明治維新を迎えた人物です。そんな佐野が明治初年の博覧会行政の中核を担い、早い時期から万国博覧会構想をぶち上げるのです。佐野は世界規模の博覧会開催によって国際親善、産業育成、貿易振興という成果が得られると主張したのですが、その一方で当時の日本の国力では正式な万博開催は荷が重いとも考えており、まずはアジア規模の博覧会開催を構想したのです。結局、財政面の問題とそもそもの博覧会の構想自体にも無理があったため計画倒れに終わってしまいましたが、万博構想そのものはより発展的なものとなっていって「日本大博覧会」構想となるわけです。

あと個人的にはもともと佐賀藩士であった佐野常民は、下地はあったにせよ、いわばちょんまげを結って刀を差していたお侍さんが、中年以降は万博計画推進の中心にいたわけで、考えてみれば凄いことだなと感心しました。

日本大博覧会[編集]

吉武東里設計、「日本大博覧会」青山会場鳥瞰図。

「日本大博覧会」の方は日清戦争日露戦争に勝利して、日本が国力に自信を深めていく中で、世界の一等国にふさわしく万博を開催しようとの計画が立てられ、今度は国の正式な計画となります。その一方でいまだ欧米諸国からみれば技術、産業などは未熟であるとの自覚もあり、「亜細亜大博覧会」計画の時と同様、自信とそのうらはらに自国の遅れに対するコンプレックスのようなものも引きずっていたわけです。従ってやはりフル規格の万国博覧会では無くて、それまで日本で行われていた内国勧業博覧会と万国博覧会との中間的な位置づけの博覧会として計画が進められていくことになります。「日本大博覧会」は厳しい財政難の中、いったんは5年間の開催延期となりますが、結局、政策上の優先順位が低いと判断されて中止となります。

「亜細亜大博覧会」とは異なり正式計画となったため、「日本大博覧会」は後に色々と影響が残ることになりました。最大の影響は、やはり「日本大博覧会」計画が明治神宮の造営に引き継がれたことにあります。「日本大博覧会」は現在の神宮外苑にあたる青山会場と、現在は明治神宮内苑となっている代々木会場の両会場で行われる予定となっていました。会場の設計競技である「日本大博覧会敷地内配置懸賞計画」が実施され、審査員の満場一致で一位当選となった吉武東里の案では、地形の特徴を生かして代々木会場を人工的な西洋風、代々木会場を既存の武蔵野の自然を生かした東洋風にまとめており、これが明治神宮の内苑、外苑の構想に引き継がれていくのです。

あと、個人的には「日本大博覧会」の事務局で会長を務めた金子堅太郎が、産業や技術の交流、文化・学術面での交流、国家的な祝祭、参加各国及び国民同士の交流という「日本大博覧会」の四大目的を唱えた講演内容に感銘を受けました。日本が世界に門戸を広げた博覧会を開催する意義について熱を込めて主張した内容で説得力があり、もし明治末年に「日本大博覧会」が実現していたら戦前の日本がもう少し世界に開けたものになって、歴史が少しは変わっていたかもしれないと感じました。

参考文献について[編集]

参考文献ですが、古川隆久、『皇紀・万博・オリンピック 皇室ブランドと経済発展』 、中央公論社、1998、ISBN 4-12-101406-5が、やはり一番わかりやすいと思います。明治神宮絡みでは山口輝臣、『明治神宮の出現』 、吉川弘文館、2005、ISBN 4-642-05585-1がよくまとまっており、一見の価値があります。その他、伊藤真美子氏の著作が特に参考になりました。