利用者:アイザール/Wikipediaとの出会い

はじめに[編集]

今年の春、実家で、大昔の日記や手帳なんかが見つかって、それを送ってもらったので最近読んで、私もすっかり忘れてたいろんないきさつなんかを思い出しました。で、思い返すと私もWikipediaに出会った最初のころは、方針もよくわかってなかったし、とんちんかんな事ばかりしてたなあ、と反省しきり。というかとんちんかんなのは今でも全く変わってないですし、そもそも、Wikipediaのすべての方針を完全に理解・尊守することって可能なのか、と思ったりもしますが、まあ、お互いなんだかんだと助け合って、楽しく編集していきましょう。との思いを込めて、ちょっと昔を振り返ってみようかと。だれもが必ず失敗をやらかすんですから。無謬性なんて、ちょっとあっちに置いちゃっておきましょう。

最初の印象と、宣伝で削除することについて[編集]

Wikipediaの存在に気付いたのは、たぶん2004年ごろじゃなかったかな。ゼミかどこかで聞いたのか、自分で自然と見つけたのかは、もうわかりません。たしかあのころはトップページが今みたいにレイアウトされてなくて、普通に文章が書かれていたように思う。ボランティアのサイトとは思わず、どこかの企業か何かの営利目的サービスだと普通に思っていました。というか、注意深くネット関連のニュースなどをチェックしている人でない限り、初見では営利企業だと思って当然じゃないでしょうか。「○○の項目を登録してください」とか「どうして私のプロフィールのせちゃいけないんですか!」と仰る方は多いですが、むしろそういう受け止め方の方が自然なのかもしれません。

だから削除依頼などで、「特筆性がないから削除!!」「宣伝!!」と切って捨てられては、「なんなんだこの失礼な連中は!」と怒らせてしまって当然かも。当人としては、mixiかプロフサイトのつもりで悪意もなく気軽に投稿したら、存在を否定するようなことを言われ、しかも「おまえは無名だ」と烙印を押すかのような文言が残されてしまうわけですから。そういう方に、プライドを傷つけることなくご理解いただくような接し方が必要なんでしょう。誰もがWikipediaの性質をすぐに把握できるとは限らない。なんといっても、私自身がそうだったですから、わかります。

そういう意味合いもあって、出典のない存命人物項目の即時削除、が検討されているのかもしれません。導入の折には、その投稿者当人へのソフトなフォローの手順も組み込まれてほしいところ。

最初の編集、そして撤退[編集]

さてここからが今回思い出したことの本番です。以来、グーグル検索した時にjawpの項目が引っかかるのに気付き、ちまちま覗くようになりました。でも、「誰でも編集できる」と解るのは随分先のことで、暫くは見てるだけの人でした。素直に感心したり、「誰が書いてるんだろうなー」とか「どう考えてもおかしいー」と思ったり。私は文学芸術関係の項目を見るのが多かったけど、明らかに間違いやひどい悪口があったり、だんだんと「ひどいなあこれ修正できないのかな、どこにメール送ればいいのかな」と思うように。で、連絡先を探すうちに「誰でも編集できる」ことを知った。記事の他にWikipedia空間があり、編集者がそれぞれアカウントを取得し、議論していると気付くのに、約十か月。うん、自分でも頭悪いと思います。

いきなり新規記事を書く勇気も能力もなく、最初は誰が見ても「おかしい」点を直してみよう、と考えました。そこで文学関係の調べ物の最中に気になった、「大言壮語」で「独自研究」的なある項目を直そうとしました。当時私が関わっていた某事典の見解と矛盾するため、そのおかしさに気付いたのです(こういう事典の編集補助とか下書きとか、結構院生がバイトでやってたり。しかも恐ろしいことにその某事典、まだ出版されてません)。そこで私は利用者:Firegirl投稿履歴)というアカウントを作り、記事の検証できない部分を消し、体裁を整えようと試みました。すると一週間後に差し戻されたことに気付き、「ああ、こういう時は先に意見を述べるんだった」と反省して、編集意図をノートに記すと。。。それからが大変でした。複数の人から「お前のやっていることは誹謗中傷だ」と叱られ、利用者ページにも罵倒が舞い込み。全く訳が分からず、私は混乱しました。記録は上記アカウントの履歴をご覧ください。

私は新たな文言は加筆していないのですが、自分の編集が「誹謗中傷」と指摘されたことに驚き、Wikipediaに恐れを抱きました。当時の私は「中立」を守ったつもりでしたが、それがなぜ誹謗中傷になるのか。それまで生きてきてそんなことを言われたのは初めてでした。今にして思えば、私の編集も根回しや配慮が無さすぎたかもしれません。投稿者にしてみれば、自分が書いた文章が突然きた人に消されるのですから、「こいつには悪意がある」「中傷するために来た」と思っても仕方ないかもしれません。やはりこれは私の落ち度でしょう。今回数年ぶりに見返してみて、関係者かどなたかのミートパペット的行動だったのかなあ、とも思いましたが、当時の私は何も分かりません。それだけ投稿者さんも必死だったのでしょう。それと今回、後に記事は削除されたこと(削除依頼の場所が今と随分違いますね)、仲裁に入ってくださったのが利用者:Miyaさんだったことにも気付きました!! 随分昔からお世話になってました。ありがとうございます。以上、すっかり忘れていたことを今回、生々しく思い出しましたので、記載しておきます。

以下は上記の経験とはまた違うお話ですが、私も含めて、人は不意にルールを踏み外します。多重アカウントもしくは関係者で徒党を組んでの議論撹乱も、やはり人が人であるがゆえに起こることなのでしょう。現在では即時ブロックの対象ですが、思い余ってやってしまった後、適正な編集に同意してくださればまた編集仲間として迎える。Wikipediaがそういう場であってもいいんじゃないかと思います。

で、結局、「Wikipediaは私が来るところじゃない」と思った私は、その項目に触れただけで、編集を離れました。

そして2年後。出戻りWikipedianとして出発[編集]

Wikipediaは怖いところ、という思い込みはずっと消えません。決してその記述が万全に信頼できるものでもない、ということも知りました。しかしそれでも、Wikipediaが「民衆からの知の集積」であることに、共感を抱いていたことは確かです。ある論文を執筆中のこと、言及対象である人物の項目を何気なく覗いたところ、「削除提案中」の大きなタグが。驚きました。ちょうど執筆していた対象が「無名の人物」として削除されようとしていました。私の認識自体を否定する事態に驚いた私は、一瞬の逡巡ののち、思い切って意見を書き込みました。それが「Wikipedia:削除依頼/國學院大學関連」です。2年もまったく触れなかったWikipediaにまた飛び込んだのはなぜだったのか。私にもよくわかりません。削除させたくない、の一心だったのかもしれません、そして私は利用者:アイザールとして影山正治に加筆しました。審議の場では「ウィキに戻ったのが三年ぶり」と書いてありますが、これは単純に2年との勘違いですね。数字に弱い子ですみません。

従って、上記の削除依頼に参加しているIP(特別:投稿記録/202.215.39.122)は私です。その後にIPさんの会話ページでログイン忘れの書き込みがありますね。あと、 2007年3月の編集がありますが、これは正直覚えがありません。私ではないと思いますが、友人知人の可能性はあります。(ここで利用者:アイザール以外での私の編集は前述の利用者:Firegirlおよび上記IPで全てであることを明記します。記憶が確認できなかったため、明記が遅れたことお詫びします)

加筆してしまった。そして記事が存続してしまった。こうなった以上、Wikipedianとして、もう一度この世界に飛び込んでみよう。そして私は、本格的に編集を始めました。アイザールとして。--アイザール 2011年8月15日 (月) 18:35 (UTC)