利用者:オオナムヂ
オオナムヂは大国主命の別名
出雲大社本殿
項目
メモ
概要
市民から「しらかみさん」と称され親しまれている神社。かつては旧国泰寺(現在の全日空ホテルの付近)に連なる広い神社だったが原爆により一時焼失し規模を縮小した。現在神社周辺には幅100mの道路(通称「平和大通り」)が整備され近代的なビルも立ち並び、神社はこじんまりとした印象。境内にある岩石は広島の三角州形成による海岸線移動の跡を記し、「原爆の熱線により赤く変色した岩石」や「被爆したクスノキ」などには被爆の跡が記されている。歴史的な検証にとっても重要な神社。
歴史
白神社のある中区中町一帯がまだ海であった頃、現在神社のある地点は海面から突き出た岩礁であった。そこに衝突する船が後を絶たないため、当時の船人により岩礁上に白い紙がたてられ、海難事故を防止する役目を果たしていた。
やがてこの岩礁は三角州の発達や干拓工事などにより徐々に地上に露出しはじめ、海難事故とは無縁になっていくが、船の安全な運航に貢献した白紙に代わる守り神の象徴として祠が建てられた。祠は白紙にちなみ「白神(しらかみ)」と呼ばれ、住民の信仰を集めた。これが建造物として信仰されるようになった始まりだが、その創建時期については記録がなく不詳。
祠は時を経て徐々に規模を拡大していき、16世紀頃には広島城を築いた毛利輝元により新しい社殿が建立された。この社殿を城主の氏神、広島城下の総産土神(そううぶすながみ)とし、最盛期には近隣の旧国泰寺に連なる広い境内を持つ神社に発展した。
1945年8月6日原爆投下により爆心地から約500mに位置する白神社は、地下に保存していた重要書類を残し建造物は完全に焼失したが、同年10月には祭祀執行のため急造の仮社殿が建てられ、10年後の1955年12月に現在の形に再建された。