コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:カルペディエム/sandbox

北原大翔

[編集]

北原 大翔(きたはら ひろと、1983年7月18日-)は、アメリカ合衆国在住の日本人心臓外科医NPO法人「チームWADA」の代表理事。

略歴

[編集]

東京都出身。慶應志木高校在学中に医学部を志す。

2008年慶応義塾大学医学部卒業。慶應義塾大学医学部外科学心臓血管外科に入局。その後、同大学、東京大学旭川医科大学で心臓血管外科医として研修を行い、2016年9月に渡米。シカゴ大学、メドスターワシントンホスピタルセンターを経て、再びシカゴ大学で勤務。

2017年7月にNPO法人「チームWADA」代表理事としての活動を開始。Instagramや、TwitterYouTube等を開設し、医療に関する様々な情報や知識を広く発信する、医療系YouTuberとしても活動している。

2022年3月にはチームWADA初の留学本「留学医師LIVE」を発売。

2022年9月にチームWADAが日本のNPO法人に認定される。

学生時代はアメリカンフットボール部所属していた。アメリカン・フットボール・リーグ(American Football Leagueは鑑賞するが、特に好きなチームはない。

人物・エピソード

[編集]

小さい頃にウサギを飼いたくて親にねだって買ってもらったが、3日で飽きてしまった経験がある。現在は、猫のシンゾー(スコティッシュフォールド・雄)を飼っており、大切に育てている。趣味は映画観賞であり、映画館に行くのが好きで、コカ・コーラポップコーンは必ず買う。好きな食べ物は、寿司、焼肉、ラーメン、カレー。パクチーが嫌い。また、コーヒーは飲まない。普段は右利きだが、食事の時には左利き。口癖は「もはや」と、何かを言った後に締めくくる「はい」である。SNSなどでのエゴサーチが好きであり、自身がWikipediaに掲載されているか確認するために検索をすることがある。

東京歯科大学市川総合病院での初期研修の時、当時バブリーな時代であったため、東京ディズニーランドのホテルを借りてミッキーマウスミニーマウスを呼んで忘年会を行った。各病棟での出し物(芸)は恒例で、練習は仕事が終わった後に、病棟の片隅で行っていた。その時の出し物は、当時、テレビで放送されていたクイズバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』から結成された男性3人組のアイドルグループ羞恥心の代表曲「羞恥心」の曲に合わせて踊りを披露した。また、慶應志木高校時代の先輩である心臓外科医の福原進一も共に芸を披露した。

その後、国立埼玉病院で外科医研修をしていた際は、当時自身が所有していた黄色いハマーの写真を引き伸ばして作った顔はめパネルを顔にあて、当時、フジテレビ系列にて放送されていたバラエティ番組『笑う犬』内の一連のコントに登場する集団「はっぱ隊」をオマージュした「ハマー隊」と名乗り、「やった!やった!ハマーが買えた!」と歌いながら踊る芸を披露した。

医師になって4年目の慶応義塾大学病院の時には、夏の納涼大会で全身タイツを着用し、東京ディズニーランドのエレクトリカルパレードのように体中に電飾を付け、はっぱ隊の踊りを踊るなどのパフォーマンスを行っていた。また、忘年会では、、1980年代から1990年代に活動していた日本男性アイドルグループ「光GENJI」「パラダイス銀河」の曲に合わせ、ローラーブレードを履いて踊っていた。ローラーブレードも仕事の合間をぬって練習していた。

当時から北原はこういった芸など、皆で面白いものを作って楽しんでもらう事が大好きで、「現在YouTuberをやっているのは、こういった事の延長にあるのではないかと思う」と語っている。YouTubeでの活動を「闘い」と捉えており、自身の能力を試し、向上する場として大切にしている。

YouTubeのチャンネル名は「チームWADA【本物の外科医YouTuber】」であり、YouTuberとして活動する際は、「本物の外科医こと、北原大翔です」と名乗っている。外科医としての専門知識を生かしたコンテンツを提供し、医療分野における社会貢献に熱心に取り組んでいる。彼のショート動画は特に人気が高く、多くの視聴者から支持を受けている。YouTubeチャンネルの登録者数が10万人に達した際、Googleから贈られる銀の盾を解体し、その素材を用いてメスを製作するという斬新なアイデアを発表したことで話題となった。賛否両論はあるものの、この発想は多くの人々の注目を集めた。

医師になった理由は、一番はちやほやされたかった、モテたかったからであると述べている。また、簡単に人に説明できる仕事につきたかったという思いもあり、医者はシンプルな(実際にはシンプルではなかった)仕事だと考え、外科医としてのキャリアを志した。さらに、海外で活躍する外科医・福原進一の影響もあり、外科医としての道を進むことを決意したとも語っている。

国立埼玉病院にて研修していた頃、町田市の中古車店で黄色のハマーH2を見つけ、これに乗っていたらモテると思い即決で購入した。当時はトヨタの車が欲しかったが、周囲の外科の先輩から「大物になりたいなら外車にしろ」と勧められたこともあり、外車を購入したと語っている。また、ハマーに乗っていると周囲から写真を撮られたりしたため、「これはキテる」と妄想していたが、実際には当時付き合っていた女性や知人からは不評だった。本人は気に入っており約3年所有していたが、燃費が悪くランニングコストがかかるため、泣く泣く手放した。

アメリカで勤務するようになって、当時は電動自転車で通勤していたが、3回連続で盗難にあったため、車を購入する事を決意。現在はテスラ社の車に乗っているが日本に一時帰国した際に車上荒らしにあったことがある。

著書

[編集]
  • 『留学医師LIVE−世界に飛び出す未来が見える 「働く国を自分で選ぶ」時代のロールモデル』メジカルビュー社2022年

外部リンク

[編集]