コンテンツにスキップ

利用者:コボちゃんシーサイド/sandbox

神田上水懸樋跡 - panoramio

神田上水掛樋(かんだじょうすいかけひ)は、神田上水神田川を跨ぐ地点(現在の千代田区神田三崎町文京区本郷 (文京区)の間の神田川上空)にかつて設置されていた樋である。現存はしないが、跡地には石碑が設置されている。水道橋駅という駅名の由来にもなった。

沿革[編集]

江戸の都市整備の重要課題は飲料水の確保であった。そのため徳川家康は上水道の整備を始め、神田上水の前身である小石川上水が開削された。 なお、徳川家光の時代に参勤交代が始まると、江戸への人口流入や町人の人口増加により水不足が起こったため、玉川・本所・青山・三田・千川上水が次いで開削された。これが江戸の六上水である[1]。 掛樋とは、水を流すにあたって川や谷を跨ぐ場合に架けられる樋 (土木)の一種である。神田上水掛樋の場合、神田川を跨ぐ際の掛樋であり、木製の木樋や石製の石樋が主に使われた。

現状[編集]

2019年5月現在、神田川の文京区側には川沿いの遊歩道に隣接して石碑が文京区によって設置されている。この石碑には、当時の掛樋の姿を描いた浮世絵[2]が描かれ、説明文も記されている。一方、神田川の千代田区側は中央本線盛土があるため人の立ち入りは困難であり、特に石碑などの設置もない。

地図への記載[編集]

嘉永2(1849)年に発行され文久3(1864)年に改訂された地図である『小川町絵図』には神田上水掛樋が描かれており、掛樋にかぶせられた屋根が矢羽根のような描画で表現されている。

脚注[編集]

  1. ^ Template:地図と写真から見える!江戸・東京 歴史を愉しむ!、2019年06月1日閲覧。
  2. ^ 鈴木春信作の『絵本続江戸土産』のうちの「神田上水御茶水」部分

参考文献 [編集]