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利用者:スポンタ中村

スポンタ中村(1959~)とは誰か。(本人記す)

スポンタとは、spontaneousの略である。

知り合いである英国人夫婦が、「思っていることを言わぬ日本人の中で、中村さんだけは思っていることを言ってくれる」と彼を形容したことに由来する。

それが褒め言葉か、悪口なのかは、読者に判断して欲しい。



スポンタ中村のその人生(1959~)


東京都三多摩地区の共産党シンパの両親の家に生まれた。60年安保では母親の背中でデモに参加し、ニュースフィルムに登場したらしい。

小中高と公立学校に学び、大学受験に挫折する。 スポンタは、放任主義の父親に育てられたと、苦々しく自分の幼少期を振り返る。 父親の放任主義にはデカダン(厭世観)が含まれていた。青春前期の彼は、他者について悪態をつき続ける父親を見て育ち、人間不信に陥っていた。父親に植えつけられたデカダンは、ボディーブロウのように彼の精神の底に沈殿した。

その後、スポンタは今村昌平の映画学校(現・日本映画学校)に学ぶ。 「人間が好きだ。と言って憚らない映画学校の人たちを見て驚いた。人間が好きだから、人間を描く。そのようなことを私はできない」。スポンタは映画監督を志望しながらも、自らの未来をCM科に席を置いた。彼は幼い頃、テレビドラマ「奥様の魔女」のファンだったから、主人公のダーリンの職業に憧れていたのだ。と嘯いているが、それは戯言である。

彼が何故、日活の映画監督の独立系プロダクションに入社したのかは定かではない。単なる運命のいたずらだったのかもしれない。スポンタはそこで演劇に出会う。芝居の製作過程に立ち会うことにより、演技の本質をおぼろげながら体得することになる。その後、テレビ番組、ラジオ番組、プロモーションビデオなどの現場に加わる。プロダクションを5年ほどで退社後、シナリオ作家と活動をともにする時期を経て、ビジネスイベントとビジネスビデオを制作するプロダクションに入社する。彼はここで晴れてディレクターとなり、各種ビデオをつくることになる。このプロダクションは、彼が入社後数年で倒産する。スポンタは倒産半年前に、退社しフリーランスのディレクターとして活動を開始した。

彼がインターネットとの関わりを最初に持ったのは1997年、「マピオン」の広告主獲得用プロモーションビデオ。雇い主の担当者は、インターネットショッピングモールの失敗を経験していて、新しい地図サイトの立ち上げに腐心していた。当時のスポンタは、ネットスケープナビゲータとインターネットエクスプローラーの違いも理解していなかった。

ブロードバンド元年ともいえる2000年。スポンタは、インプレスTVのストリーミング番組「インターネットウォッチプラス」のディレクターとなる。彼は、IT情報が集まるインプレス社の空気に触れる。番組の中で、当時、インターネットウォッチの編集者だった岡田大助氏とメインキャストが「逝ってよろしい。お前もな」と、絶叫させたのは、スポンタの2ちゃんねる讃美論の原点といえるかもしれぬ。

2005年、ホリエモンのニッポン放送大量株入手騒動の中で、スポンタは週刊アスキーの歌田氏のコラムで、ライブドアのパブリックジャーナリズムを立ち上げたことを知り、応募する。 2005年3月は毎日のように市民記者としての記事をあげ、その月末には2ちゃんねるバッシング。ライブドアの市民メディアも、執拗な2ちゃんねるからの批判を受け、その中で、市民記者たちは市民メディアに対する改善提案を積極的にしはじめる。しかし、その議論の場になった関係者向けの掲示板の情報が2ちゃんねるに漏れたことから掲示板も閉鎖される。当時のスポンタは次のように言明している。 「自由という概念は、不自由である自由というを許容しない。ならば、自由という概念は矛盾を孕んでおり、多様性の許容という概念が適当だと思われる」。何故、彼がそのようなことを吐いたのか、その理由は明解である。新しい市民メディアは、無名な市民たちの言論を抽出するためにあるのではなく、既存のマスコミから片隅に追いやられた人たちが既存メディアへの対抗心をむき出しにする場所として成立していたからだ。彼らは国家権力などとすぐに口にする。だが、民主主義の国家において、権力が民衆の対立概念と単純に言ってすまされるような時代ではない。そもそも自由とは絶対主義時代の概念であって、民主国家で通用するような言葉ではない。 その後、同僚の市民記者有志とmixi上で徒党を組むもさまざまな意見の対立から瓦解。たまらず、パブリックジャーナリズムに対する批判を自らのブログに掲載するや、物議をかもし、以後、スポンタの記事はライブドアの主宰者の方針により一切掲載されぬ処分となる。

その騒動の中で、スポンタは時事通信社の湯川鶴章氏と出会う。 初めて会った時事通信社の食堂で、スポンタは次のようにいっている。 「取材対象との距離を必要とするジャーナリズムは、他者の悲しみさえも自分の悲しみとする市民感情とは相容れない」。市民参加型ジャーナリズムを提唱する湯川氏に投げかけた言葉は、既存のジャーナリズムの延長線上に、市民が発言する新しいメディアがないことを暗示していた。だが、そのことを当時の彼はまだ気づいていなかった。彼は、韓国で成功したというオーマイニュースの日本上陸に期待していた。当時彼は、MSNが主催したシンポジウム「ネット・ジャーナリズムの可能性」に姿をみせていた。一般からの質問コーナーでは、自らがライブドアの市民記者だったことを明かし、ネットバッシンクが市民発信の障害にならぬのかと、オ・ヨンホ氏に質問している。

その後、スポンタは市民新聞JANJANにいくつかの記事をあげている。そして、2006年3月11日、JANJANの市民記者交流会に参加している。この会の懇親会で彼は2ちゃんねるの西村博之氏と記念写真に納まっている。有名人と会ってこれほど嬉しがるのはとても珍しいことだ。 この会のシンポジウムで彼はひどく憤っていた。一つは、パネラーの一人の下村健一氏が「市民メディアのアイデンティティーは、商業的でないこと」と会を締めくくったこと。もうひとつは、JANJANの編集者のトップが、「市民記者を育てる」と言って憚らなかったことである。 たしかにJANJANは非商業的ではある。だが、そのために所謂プロ市民と揶揄される人たちの言論の主戦場と化している。これでは一般市民の感情との乖離は埋められるべくもない。もうひとつの問題は、市民記者になってしまった市民は、もう市民といえないのではないか。という問題である。彼は「魚屋のご主人が魚屋のご主人のまま記事を書くことが重要だ」と説いている。マイクを向けられたり、スポットライトがあったときに、個が変容してしまう。それは自然なことであり、マイクやスポットライトが介在しないで言論できるシステムが必要なのだと、彼はこの時、気づくのである。

そして、彼は、言論の最小単位として、「主体、文体、意志」という3つの構成要素を定義した。


言論の最小単位

主体:実名・固定ハンドルネームが必要。  ...つまり、棄てハンドルネーム・匿名でないことが求められていた。 文体:国語力を必要とする。  ...国語力がないものは事実上発信できない。 意志:未来への意思表示。Yes or No.  ...賛成・反対だけの意見は言論として認められなかった。


※従来のメディアでは、基本的にこの3つの要素を兼ね備えることが情報発信者に求められていた。また、表面的な摩擦を恐れて、意志を表示しない発信も多く、言論の希釈効果に一役かっていた。 3つのうちどれか一つさえあれば、発信できる。...私は理想を語っているのではない。リアリズムなのだ。


いままで、3つが揃わないと言論する資格がなかった。だが、スポンタは、そのうちの一つでもしれば、それは言論として成立する。そして、1/3のものが統合(インテグレート)することによって、言論が成立していけばよいと諭している。 市民参加型ジャーナリズムにおけるジャーナリストの役割とは、インテグレートすることであると、既存のメディア人たちに期待している。

彼は、ジャーナリズムについて次のように定義している。 「ジャーナリズムとは、世論を形成するものである」。その点において、ニュースとは異なる。ニュースはそれ自体が、世論を生成し、日本の健全な民主主義の有効なリファレンス(参考資料)とあることを義務づけられていない。日本の既存メディアは明治期の言論統制を経て、言論の希釈システムとして機能するようにできている。それは民族的に同質性の高い文化の中ではある意味しかたないことだという。 市民ニュースと、市民参加型ジャーナリズムは決定的に違う。そのことを踏まえた上で、スポンタは市民参加型ジャーナリズムの5つの段階を提唱する。 物いへば唇寒し秋の風では、市民は発言をしなくなる。スポンタの危惧が次の5段階という概念を生み出した。


市民参加型ジャーナリズムの5つのフェイズ(段階)。

1. オープン(誰でも参加できる。新たに加わった人を最優先する)、 2. トランスペアレンシー(運営や編集の都合が外部の人にも分かる)、 3. インテグレート(集まった記事をそのままほったらかしにするのではなく、それぞれを比較・対照・総合することによって情報の価値を高める)、 4. オーソライズ(集まった情報を、メディアの御墨付きとして発信する、情報のよりどころとなる)、 5. アクション(情報が社会に機能するための努力をする。働きかけをする。)



その他、スポンタの重要な用語の一つとして、「ステークホルダー(利害関係者)」がある。彼がこの語を使うのは、ステークホルダーであることを責めるのではなく、ステークホルダーには単に発言権がないと指摘するだけのことだ。 スポンタはステークホルダーたちが日本の未来を決めていくことに危うさを感じている。そしてこうも言う。 「日本の平和憲法はアメリカが作った。だけどアメリカが偉いわけじゃない。彼らが日本社会のステークホルダーでなかっただけだ。彼らがステークホルダーである自国では市民から拳銃を取り上げることすらできない」

もうひとつ、スポンタの重要な視点として、コミュニケーションへの疑問がある。 「差分のないもの同志がコミュニケーションしても、それはコミュニケーションではない。アイランド現象(閉じたコミュニティーでの馴れ合い)だ」 「コピイ&ペイストが一般的な現代において、他者の中に自分の言説を見つけて嬉しがったり・楽しんだりすることに価値はない。あるべきコミュニケーションとは、差分のある個同士が情報を交換し、それぞれの個が、新たなる自分と出会うことだ」

スポンタは、ボストモダンの現代思想が、孤立論や逃走論で頓挫していることを嘆いている。そして、ポストモダンの先にあるべき思潮は、「個は揺ぎ無い個として存在すべきであり、そういう個をインテグレート(言論を対照すること)により、言論は社会にアクティブに関わるべし」ということに尽きると、指摘してし続ける。

スポンタは、市民参加型ジャーナリズムを生み出そうとしている。その形は彼の頭の中では形をなしているが、それが社会で相似形を生むのはいつのことになるのだろうか。 その手がかりとして、まずはネット上で形を生まなければならないのだが、それさえも覚束ない。 それが、2006年初夏である。

..............2006.05.30 (本人が倫理用語集のスタイルをもじって記す。wwww

追記: 2006年7月、東京財団にて研究会に出席。

・インターネットはすでにオルタナティブメディアではなく、ネットジャーナリズムは、オルタナティブジャーナリズムではないと確信する。(ネットはオルタナティブメディアとする本を読む…。) ・2ちゃんねるはリゾーム(地下茎)であると気づく。(現代思想の行方を探りながら…。) ・リゾーム(地下茎)に対称するツールとして、バイン(葡萄の木)の必要性を感じる。 ・それを平成目安箱として、安倍晋三氏に提案。

2006年8月。メディアの時代が終わり、P2Pの時代が到来することを確信する。(プレスセンターのパネルディスカッションに接し)

現在は、真理谷円四郎的議論とゲーム理論の有用性について考えている。

スポンタ的思考の原点は禅なるものであり、フラットについては戦国時代を、ヒエラルキーについては江戸時代に範を求めればよいと感じている。 ...............2006年10月19日追記。


12月: コミュニティー進化論(異分子の考察)・コミュニケーション論(トリガー・トリビア)


2007年

1月: ネット時代のジャーナリストと市民記者

2月: 「冬のソナタ・四月の雪」アナリーゼ

3月: カテドラル、バザールそして、P2P論(インテグレート篇)

4月: 新聞人の皆様へ。 グーグル・クローズドアルゴリズムロボット論。

5月:アルゴリズム論。5/25:新聞労働組合連合「ネットは新聞に何をつきつけているか」シンポジウム登壇。

6月:単一アルゴリズムの専横とフラットなアルゴリズムの弊害。

7月15日:「サイバージャーナリズム論・「それから」のマスメディア」(ソフトバンク新書)発売。

Youtubeは、コンテンツに重要度のメタタグをつける権利をユーザーに与えたことにより、画期的である。これにより、「視聴者編成参加型番組」が可能になる。

コンテンツ発信者がコンテンツに君臨する時代が終わる。

プラスチックな時代。プラスチックジャーナリズム。

P2Pコミュニケーションにおける、コンテンツの可塑性(プラスチック)の関与。 マテリアル(記事)・形状(論調)・パッケージ(メディア)を明確に意思的した分析。