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有岡古墳群(ありおかこふんぐん)は、愛媛県善通寺市に分布する古墳群。善通寺市の市街地が見渡せる場所にあり、弘法大師の祖先ともいわれる豪族の墓群とも言われている。善通寺市では大小約400基の古墳が確認されているが、なかでも有岡古墳群は同じ系統の首長墓とされる古墳が集まっていて、1984年11月29日に国の史跡に指定された[1][2]。
古墳
[編集]野田院古墳
[編集]野田院古墳は、3世紀後半につくられた全長44.5mの前方後円墳。前方部は長さ23.5m×最大幅13m×高さ約1.6mで、盛り土をした後に表面に石を置き、後円部は直径21m×高さ約2mで石だけを積んでつくった「積石塚」になっている。平成9年(1997年)からの発掘調査では、それまで確認されていた竪穴式石室の他にもうひとつの石室が発見され、ガラス玉や鉄剣、土師器などが出土、古墳の周囲からは壷形土器が数多く出土した。こうした副葬品は弥生時代の特徴をもつもので、もっとも古い時代の古墳と考えられている。また、中世には野田院という山岳仏教寺院があったといわれている[2]。
王墓山古墳
[編集]6世紀半ばにつくられた王墓山古墳は、全長46mの前方後円墳で、有岡古墳群の中央部に位置している。横穴式石室を持ち、石室からは須恵器などの土器類、首飾りなどの装飾品、武具・馬具類、大和政権が配下に入った地方豪族に渡したという金銅製冠帽や銀象嵌を施した鉄刀が出土している。これらの出土品は市立郷土館に展示されている[2]。
宮が尾古墳
[編集]宮が尾古墳は、6世紀後半につくられた古墳で、主体部の長さ9m、両袖式横穴式石室になっている。傍らにある御館神社は古墳の一部を壊して建てられたもので、古墳に埋葬された豪族がそのまま祀られたと考えられている[2]。
昭和40年(1965年)頃の調査で、この古墳の壁面には線刻画が描かれていることが判明した。このような装飾古墳は全国でも珍しく、四国では香川県でしか確認されていない。羨道には2体の武人像、玄室の奥の壁には人物群、馬に乗る人物、船団などが克明に線刻されている。この人物群は古代の殯の様子を描いたものと考えられ、全国的にも注目されている[2]。
磨臼山古墳
[編集]生野町南部に横たわる標高121mの磨臼山に所在する前方後円墳で、山の自然地形を利用し、東側山頂部から西に向かって緩やかにのびる尾根上に立地している。その規模は、全長50m、後円部直径28m、後円部高さ4m、前方部幅8m、前方部高さ2mを測る[2]。主体部からは香川県国分寺町鷲ノ山産の石材を用いた割竹形石棺が出土しており、国の重要文化財に指定されている[3]。
古墳の日
[編集]善通寺市は4月29日を「古墳の日」に制定している。この日は、普段入ることのできない宮が尾古墳と王墓山古墳の横穴式石室内部、野田院古墳の墳丘を特別に一般公開している[2]。
位置
[編集]脚注
[編集]- ^ 有岡古墳群 文化遺産データベース
- ^ a b c d e f g 有岡古墳群 善通寺市
- ^ 割竹形石棺 文化遺産データベース