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利用者:チナン

チナン(ハングル:김진앙、漢字:金真央 キム・チナン、日本名:野口真央 のぐち・まお)(1984年11月7日 - )は、日本に生息するフリーターである。在日韓国人2世の父親と、日本人の母親のハーフで名前を2つ持つ。東京都出身、神奈川県横浜市育ち。183cm 63kg AB型。左投左打。


来歴[編集]

1984年11月7日、在日韓国人2世の父親と日本人の母親の間に東京都世田谷区にて生まれた在日韓国人3世。出生時から韓国籍を所有。2歳下に弟、5歳下に妹がいる。4歳の頃に横浜市港南区へ引っ越し11歳まで過ごす。両親が離婚し、父親と二人で東京都世田谷区へ移住。 中学1年生の時に群馬県六合村の白根山の頂点に位置する白根開善学校へ入学し、寮生活を送る。中学2年の冬に退学し、母親と弟と妹が住む横浜市青葉区へ引っ越し、地元の中学に通って卒業する。 高校受験はせず2年間アルバイト生活を送り、渡辺プロダクションが運営するバンタンハイスクールへ17歳で入学。ヴォーカル科に所属する。同期に西野名菜がいる。 19歳の高校2年の時に普通自動車の免許を取るために夏休みを利用して静岡県内の合宿に参加するが、仮免許試験に4回落ちて合宿を挫折して実家へ戻る。 20歳でバンタンハイスクールを卒業。 合宿にも復帰して卒業し、試験所も何度も不合格になりながらもなんとか免許取得。その後はCM撮影現場のフリーの照明部として活動し、のちに横浜市内のCM撮影スタジオにアルバイトとして入社。10ヶ月を同社で過ごした後退社してロンドンへ6週間の留学を果たす。 帰国後はパチンコ店で10ヶ月アルバイトをし、現在はインターネットで情報起業家として活動中。

人物[編集]

  • 韓国とのハーフだが、日本で生まれ育ち、朝鮮学校にも通わなかったため日本語しか話せない。在日2世の父親も同じ育ち方をしているため、父親も日本語しか話せない。24歳から独学で韓国語を勉強を始め、ある程度話すことができる。キーボードでハングル入力もできる。
  • 英語と韓国語を同時に勉強しているため第2、3言語はどちらとも言えず、日本語の通じない韓国人には英語と韓国語を混ぜて話す。
  • 生まれてからずっと韓国籍だが、韓国に行ったことがない。
  • 韓国籍なので選挙権が無い。外国人登録証明書を常に携帯していて、日本永住権を持っている。
  • 幼稚園時代と小学校時代は父親と暮らしていたため韓国名(金真央 キム・チナン)で学校に通っていたが、父親と離れた中学以降は母の性の野口真央(のぐち・まお)を名乗って学校に通った。アルバイトも全て日本の名前を使った。ちなみに家族はマオと呼ぶ。
  • 弟と妹は生まれた時から日本国籍。
  • 赤ちゃん、幼児、小学生などの子供と接する事を好む。小学生とはすぐ仲良くなるが、しかし赤ん坊には嫌われる傾向がある。
  • 無類の猫好きで、現在も3匹飼っている。
  • 軽度だがアスペルガー症候群。言われたことを理解できない、2つのことを同時にできない、プレッシャーのかかる場面での失敗が目立つ。
  • 社会でうまくいかないことが続き、組織の中の一員できることが難しく感じ、独立思考を持つようになる。インターネットで起業を試みようと勉強と準備を続ける。
  • 1日の睡眠時間は8時間以上はないと満足に動けない。6時間以下の低睡眠が何日か続くと、疲労が溜まり12時間以上眠ることがある。
  • 中学生の頃から夜行性で、朝起きれずに学校になかなか通えない。欧州サッカーに興味を持ってからは朝方まで寝ない生活になり、社会に出てからなかなか改善できず苦労する。ロンドンでは時差の影響で早寝早起き体質になる。一番深く眠れる時間が普通の人は深夜頃なところが、昼頃なため普通の人が寝てる時間に満足に眠れない。
  • 従兄弟にファジアーノ岡山のサッカー選手李彰剛がいる。
  • 父の友人に白竜がいる。
  • 母の友人に元北海道日本ハムファイターズのヘッドコーチの白井一幸がいる。
  • 国籍だが日本で育ってるため、キムチなどの辛い食べ物が苦手。味覚は日本人。
  • 勉強が苦手で小学校、中学校と学年でも最低クラスの成績だった。しかし地理は詳しい。少年時代は勉強自体を極端に嫌がっていたが、成人してから英語や韓国語を学ぶ意欲を持ち、ただの趣味とはいえ勉強というものに集中できるようになった。
  • 183cmの身長に対して63kgしか体重が無いが、大食いである。仕事場で同僚の弁当の残りを貰うほど。
  • 運転免許の更新期日に数ヶ月気付かないなどうっかりしやすい性格である。しかし無免許運転はしていない。
  • 酒は弱く、好まない。付き合いで飲むことはあるが家で飲むことはまずない。ビールは飲めるが500mの缶1本が限界で好みでもない。日本酒やウイスキーやワインは嫌い。カシス系やサワー系を好むが、居酒屋行っても空気によってはジュースを頼む。
  • 非常に汗っかきで、冷蔵庫の中には必ず1000mlの紙パックのジュースを入れておき、1,2日で飲み干す。
  • 23歳の時英語と韓国語を勉強するようになってから、電車の中や路上やバイト先でも欧米系や韓国系の顔の外国人を見ると話しかけることがある。
  • 家の中ではサッカーのユニフォームにジャージというラフな格好をしている。
  • 1日最低5時間以上はパソコンに触れている。家にいる時間はほとんどパソコンに触れている。
  • テレビはスポーツとニュースしか見ない。時々バラエティー番組を見る程度で、音楽番組は滅多に見ないため音楽業界に疎い。ゴールデンタイムは生中継のスポーツがあればそれを見て、生中継が無い日は海外サッカーの再放送を見る。大概の新曲はネットで知る。民放よりスカパーを見る時間の方が圧倒的に長い。

趣味[編集]

  • 野球、サッカー、格闘技、競馬などのスポーツ観戦が趣味。特に野球とサッカーは国内外、有名無名チーム問わずに見るほど精通している。スカイパーフェクトTVWOWOWにも加入している。
  • イタリアのサッカークラブの名前を言えと言われたら35ぐらい言える。メジャーリーグの全球団の名前をノンストップで全部言える。
  • カラオケが好きだがほとんどラップしか歌わない。それは本人が低音域のため、一般の歌のような高い音が出ないことがきっかけで、低い声の曲が多いラップ調の曲を好むようになった。
  • 22歳まで完全に日本語しか話せなかったが、ロンドン留学がきっかけで英語を話すことが趣味になり、日本でも以前は避けていた路上で外国人を見かけると積極的に話しかけるようになる。
  • ロンドンでホームステイ先で韓国人に出会ったが、韓国語が全く話せない状態だったため英語で話していた。帰国後「韓国籍なのに少しも話せないのは悔しい」と思い、冬のソナタを短期間で1話から最終話まで鑑賞し、ほぼ初めて韓国語を耳にした。
  • ラーメンが好物で、バイト先の休憩時間では必ずカップラーメンを食べるほど。外食はほとんどラーメン屋で、韓国料理店を訪れた際も韓国風料理よりもラーメンを注文する。
  • ゲームが好きで、実況パワフルプロ野球と、ウイニングイレブンシリーズは右に出る者がほとんどいないほどの実力を持つ。パワプロに関しては自分より強い者には人生で1人しか出会っていないというが、今は完全に自分が上だろうと自負している。またドラクエシリーズは全作経験しており、やり込み派である。ファイナルファンタジーも好む。
  • ニンテンドーDSドンキーコングヨッシーアイランド等マリオシリーズをやり、年齢の割にポケットモンスターが好きで小学生と友好ツールにしている。ロンドンで駅のホームで会った日本人の小学生とポケモン交換をしたことがある。
  • 好きな漫画は金田一少年の事件簿ドラゴンボールキャプテン翼MAJORで部屋に単行本が並んでいた時期がある。無類のドラゴンボール好きでドラゴンボールに関してはゲームも多数プレーし、今でも夜中にyoutubeで見たり韓国語版で見たりする。ドラゴンボールの格闘ゲームでは少年悟空、幼年期悟飯、悟天など子供キャラを愛用する。
  • 野球で右腕で投げれなくなり、左投げを始めたのはMAJORの影響が強い。肩の力は右を超えることはできたが、ピッチャーができるほどの制球力が全く得られず、3日ほど間隔を空けないとキャッチボールができない根性の無い左肩である。
  • パチンコが好き。好きな機種はCRフィーバー倖田來未CRぱちんこ必殺仕事人IIICRぱちんこ冬のソナタ2 。スロットは一切やらずパチンコのみ。また釘意識が低く、等価店に拘る。フルスペック機はあまり打たず、甘デジが中心。2010年からは自粛している。
  • ギャンブルが好きで競馬もやるが、予想して馬券を買うだけで競馬の知識は全くない。
  • 音楽鑑賞も好み、i podに1781曲入れてある。子供の頃からジャニーズのユニットを好む。好きなアーティストはジャニーズ以外ではGLAYDragon AshKICK THE CAN CREWRIP SLYMEケツメイシ福山雅治MCモン 聴くアーティストの数は相当な数だが、カラオケで歌うのは低音歌手かラッパーに限られる。
  • 高校時代は週に2~3回行くほどビリヤード好きでもある。
  • あまりしないが旅行が趣味で、一人で北海道や大阪へ行き、グルメ巡りや野球観戦を楽しむ。学校の授業が終わった後すぐ新幹線乗ったり、授業に間に合うように朝イチで飛行機に乗って戻ってくることもある。

学生~アルバイト時代[編集]

  • 小学校時代は母親が監視するために毎日授業参観するほどの問題児だった。
  • 小学生時代は体操、水泳の習い事をしていた。当時通っていたスイミングスクールでは屈指のクロールの実力を持っていたが、離婚と転校を機に辞めた。
  • 遊び程度だったが野球が好きだった。
  • 小学校6年から父親によく明治神宮野球場に連れてってもらったことがきっかけでプロ野球に興味を持ち、ヤクルトスワローズのファンになる。
  • 全寮制の中学に入り、野球部に所属していたが野球部というより人数の問題で教員、高校生、中学生、小学生を交えた草野球チームのような野球部だった。当時はキャッチャーをしていた。
  • 中学2年の冬から地元の中学校に転向。それまでいた群馬県の全寮制学校が学業レベルが低く、学業中心の進学校だった横浜市の地元中学のレベルについていけず元々嫌いだった勉強を完全に諦め、高校進学も断念する。
  • 転向時期が時期だったので、後輩に道を譲るために練習参加だけで野球部に所属する。試合には練習試合の1試合に代打で出ただけ。実力は1年生レベルで、3年の同級生には適わなかった。
  • 高校進学せず、アルバイトと草野球の生活をしている時に、練習中に右肘を痛め、1日に軽く5球投げただけでも腕が振れなくなるケガをする。特に病院には行かず症状もわからないままだったが、左投げの練習を始めて野球を続ける。この頃から友達のサッカー観戦もするようになり、横浜F・マリノスを応援するようになり、日産スタジアムに通った。
  • 左投げを始めて3ヶ月程度で、右投げ時代と同じくらいの肩力を身につけたが、現在も続く超ノーコンである。送球フォームとグラブ捌きが安定せず、成長期を終えた身体レベルに対して鍛えられてない左肩が腕の振りの速さに耐えられず、1日キャッチボールをしたら中4日空けないと回復しない状態になる。
  • 草野球時代は左投げ転向後は一塁を守っていた。超が付くほどキャッチャーフライが多いことで、チームメイトから笑われる。
  • 野球観戦が好きで、年間20試合は神宮球場に通っていた。
  • スイッチヒッターってカッコイイなと思って左打ちの練習を始めたが、ほとんど試合でもバッティングセンターでも左打席しか入らなかったため約半年後には右が打てなくなり、左投左打になる。
  • 中学卒業から2年後に、ヴォーカリストやバンドマンや役者を目指す少年少女が集まる芸能養成所のようなバンタンハイスクールに入学。学業と音楽を両方学べるという学校で、入試が無かったのが入学を決めた理由。
  • 音楽のセンスは無く、将来音楽業界に入る目的もなかったが、入ったからには上達しようとヴォーカル科に入る。この頃には野球は辞め、キャッチボールやバッティングセンター程度に通う程度になった。
  • 気がついたら右肩もかなり回復していたが感覚が左肩、左手に移っていて山なりのボールしか投げれない上に痛みも出るため完全にサウスポーに。ちなみにボウリングは右投げである。
  • 普段利き腕は左右の手でバラバラで、物事によって使う手が異なる。(ハサミ=右手 ホッチキス=左手 箸=両手 筆記=右手 卓球=左手)
  • 高校時代は自身が通っていた神宮球場でビールの売り子として1年間働く。
  • 高校時代に知り合った友人の影響で欧州サッカーにハマる。フランチェスコ・トッティ要するASローマが好き。当時はスカパーしか加入してなかったので、セリエAプレミアリーグを中心に観戦。
  • 19歳の高校2年の時に普通自動車の免許を取るために夏休みを利用して静岡県内の合宿に参加するが、仮免許試験に4回落ちて合宿を挫折して実家へ戻る。20歳で高校を卒業。
  • 数多くのアルバイトを経験しており、通算で15のアルバイトを経験。ほとんどが短期限定か解雇で辞めている。飲食店では成功例が無い。

社会人時代[編集]

  • 父親や親戚がCM、PVの撮影現場で照明をやっている影響で照明を始める。
  • 京セラドーム大阪でのCM撮影で5日間ほとんど睡眠もなく仕事をしたことがある。仕事を終えて帰宅後15時間眠り、次の日も12時間寝た。球場中を走り回っていたため、筋肉痛が激しくしばらく仕事で戦力にならなかった。その5日間で貰ったギャラが26万円で、3ヶ月後に14万使って初めての北海道旅行をした。
  • 横浜スタジアムでのCM撮影の日に、球場職員に頼んでベイスターズのロゴ入り練習球を6球貰った。
  • フリーで活動していたが、仕事があまり取れなかったのでアルバイトも同時にやっていたが、照明を優先するスタンスだったため照明の仕事が入り次第バイト先にシフト変更を頻繁に頼んでいたため、ほとんどのバイト先でシフト変更が多すぎるという理由で嫌われ、解雇されていた。
  • 焼鳥屋でバイトをしていた頃、店長にシシトウを見せられ「これ何?」と聞かれ「わかりません」と答えて「あまりに常識不足」と言われ解雇されたことがある。それ以前に照明の現場に出るためにシフト変更交渉を何度もしていたため、解雇は近かったと思える。
  • 照明の仕事がほぼ無くなり、修行のために横浜市内の撮影スタジオに勤務するが、通用せずに毎月のように解雇を匂わせる通告を受けていた。入社10ヶ月目で解雇された。
  • スタジオ時代にイチローの撮影現場に入り、イチローに夢中で仕事面でミスを連発し、事務所に呼び出されて大説教を浴びる。
  • スタジオ時代は夕方に仕事が終わる日は10年目の先輩と毎日ゲームセンターに足を運び、ベースボールヒーローズをやっていた。
  • スタジオ時代は仕事が終わった後、先輩や後輩と会社のテレビでウイニングイレブンをやっていた。
  • スタジオ時代は「スポーツの知識はあるくせに、仕事の知識が無さすぎる。」「ゲームのテクニックはあるのに、作業と接客のテクニックが無さすぎる。」と何度も怒られていた。
  • スタジオ時代、仕事でミスをして先輩に「お前は半分朝鮮人だから日本語がわからないのか?」と言われて、親をバカにされた気がして殴りかかりそうになったが、なんとか気持ちを抑えて先輩に嫌な仕事を押し付けるように仕向ける軽い嫌がらせをした。
  • 日本語はネイティブだが、仕事面の複雑な日本語が理解しきれず間違いを犯すことが多々あり、現在も続く反省の材料となっている。
  • スタジオ時代、仕事で使ってた自転車をスタジオ前に留めている間に長澤まさみにとられて乗り回されて、追いかけた。
  • スタジオ時代、トイレで用を足していた時に隣にアントニオ猪木が来て猪木が用を済ませた後に握手を求めた。
  • スタジオ時代、撮影で速水もこみちが使用した革靴が撮影終了後に破棄することになったため、イタリア製の高級ブランドでサイズも普段履く28cmだったのもあり拝借して後のパチンコ店でのバイトで使用していたが、すぐボロボロになってしまった。
  • スタジオを辞め、ロンドン留学を経て照明に復帰するが、ブランクもあってほとんど仕事を忘れていてやはり数が取れず、辞めてパチンコ店でアルバイトをした。
  • 運転能力、方向感覚が無くカーナビに頼るドライバーで、ある照明の仕事で車で通勤しようとしたがカーナビが途中で壊れて目的地にたどり着けず、30分前に出勤するはずが2時間遅刻して大打撃を受け、一番多く依頼を貰っていた相手から信用を失って仕事が激減する。電車で通勤してれば全く問題無く、人生でも1,2位を争う後悔をした。
  • パチンコ店のアルバイトはインカムを使う仕事だったが、聴力が他人より劣っていたのか理解に苦労して長い期間苦戦を強いられる。
  • 当時照明も多少やっていてシフト変更交渉で上司とよく揉め、反抗的な態度をよく取っていたため店員が必ず持っている台開けに使う鍵を持たせてもらえなかった。
  • パチンコ店では常連客と頻繁に食事をしたり、物を貰ったりするほど客と仲が良かった。
  • 照明時代は父親が業界で有名なため、在日であることを公表していたがパチンコ店では最初は隠していた。しかし韓国人の友人と電話中に韓国語で話していたところを上司に聴かれ、そこからは隠さずに誰にでも言っていた。
  • パチンコ店では毎週従業員同士で大勢でボウリングをしていた。職場がパチンコ店なのでボウリングをするのは必ず夜中。
  • プロ野球選手やJリーガーもたまに来店していて、よく喋りかけた。
  • よくシーズン開幕前やシーズン中に来店していたあるプロ野球チームの8人の選手のうち、7人がシーズン終了後に戦力外通告を受け、「不吉な店だなあ。」と店で話題になった。
  • パチンコ店員は客に換金所や換金率を聞かれても、警察にバレると営業停止になると上司に言われており、答えてはいけない事になっていたがお構いなしで平気で教えていた。
  • 鍵を持たされていた頃は、仲の良い常連客の台の釘を派手に曲げたりしていたが、頻繁なシフト変更交渉で上司との関係が悪化して鍵を没収された。
  • あらかじめポケットに大量の玉とメダルを仕込んであり、客に煙草やドリンクをサービスして好感を得ようとしていた。
  • 仲の良い常連客の出玉を流す際は、ジェットに細工をして玉数を増やしたりするバレたら解雇されそうな派手なサービスもしていた。
  • 閉店時間になると店員は客全員に遊戯を止めされるよう声かけをしないといけないが、確変中の客にはギリギリまで声かけず(または放置する)などして客に大当たりを掴ませていた。機嫌が良くなった客は感謝の意味でチップをくれることもある。
  • 仲の良い客から、玉を増やしてもらってる礼として煙草や金銭等を受け取っていたが、貰った金銭で化粧品や入浴剤を買って返した。
  • ロッカーの鍵を持ってくるのを忘れ、店のロッカーをドライバーで破壊して怒られたことがある。
  • 時間ギリギリに出勤し、ロッカーの鍵を忘れ、破壊する時間もなかった日に、慌ててクリーニング屋から届けられた先輩のシャツ、ネクタイを無許可で拝借し、背の低い後輩からズボンを借りてしのいだことがある。裾の丈が全く合わず、腰もパンパンで1日をしのいだ。制服を借りた先輩には感謝の意味で先輩の煙草ケースへ数本わからない程度に足しておいた。
  • パチンコ店勤務最終日に常連客達に「明日一緒に食事しようよ。」誘われ、客に送別会を開いてもらった。食事が目的のはずが全員でパチンコをした。
  • 試行錯誤を繰り返し情報販売でそこそこの業績を出せるようになり、2008年11月10日をもってパチンコ店を退職。念願のニートになる。
  • 現在は数ヶ月後の月収100-200万円という目標を打ち立て、新商品の作成と販売戦略の勉強をしている。目標を達成したら韓国とアメリカへの留学を計画している。

ロンドン留学[編集]

  • ロンドン留学を計画するきっかけになったのはサッカー映画のGOALを見たことにより、イギリスの風景とサッカー鑑賞を味わいたかったというのが理由で、英語研修ではない。
  • 自信の不手際で2度飛行機に乗れず、多額のキャンセル料を払い、ロンドンでの生活に困った。
  • 3度目の空港でようやく渡英できたが、乗継先のミラノ空港で数々のトラブルが発生し、英語が話せなかったため苦労する。ロンドン・ヒースロー空港でも入国審査で審査員の質問に答えられず苦戦していたが、たまたま飛行機で隣の席にいた日本人に助けられる。
  • ロンドンに到着したのが土曜日で、月曜日から始まる学校を日曜日に挨拶しに探しに出かけたが、電車はなんとか乗れたが学校の場所がわからず4時間近く探した。英語で道を聞くのも苦労する状態で、返される言葉がわからず放浪していたところを、たまたま同じ学校の日本人に出会い、案内される。
  • 6週間の滞在で7試合サッカーを観戦する。サッカー観戦にかかった費用はグッズを除いて8万円で、小遣いのほとんどをサッカー観戦に費やした。
  • ホームステイ先や学校に多くのスペイン人がいたため、スペイン語を教わっており、わずかながら話すことができる。(自己紹介、挨拶、数字、旅行会話程度)
  • ロンドンで外国人に国籍を聞かれたらほとんど「アイム ジャパニーズ」と答えていた。韓国の文化を全く知らず、外見も言葉も雰囲気も日本人と変わらないので、その方が都合が良かった。
  • ホームステイ先に韓国人の中年男性が入ってきたが、彼に対しては「アイム チェイルキョッポ(私は在日韓国人)」と言っていた。
  • サッカー観戦の際、ダフ屋と交渉し最初100ポンド(当時1ポンド約250円)と言われていたところを、「日本人は金持ちだと思ったら大間違いだ。」と言い25ポンドにまけてもらう。
  • スーツケースの中身の半分は米とインスタントラーメンを入れていたため、服をほとんど持っていかず苦労した。またロンドンの気候を全く考えてなかったので、9~10月の寒いロンドンをほとんど薄着で過ごした。
  • 米を大量に持って行った理由はイギリスは食費が日本に比べ非常に高いのと、イギリスの米は不味いという評判を聞いていたから。ラーメンもかなり持って行ったが、ヨーロッパに箸がないことを聞き、箸も常に持ち歩いていた。
  • 朝と夜はホームステイ先で食事が出るため、昼食のみ自腹だったが昼食は高額な外食は一切せず激安スーパーで買ったパンや野菜やサンドウィッチで毎日しのいだ。1日1ポンド程度で昼食を食べていた。
  • ヨーロッパ人に野球の文化を伝えようと、グローブ2つとボールを持参しており、ホームステイ先が一緒だったドイツ人とキャッチボールをし、帰国後もメールで野球に関して色々伝えている。
  • 帰国後も英語を勉強しているが、文法を無視して単語だけをひたすら並べるスタイルなので、意思を伝えるのはともかく受け取るのが苦手。聴くより読む方が得意。
  • 帰国後は英語の他に韓国語の勉強も始め、最初に勉強した英語と同じレベルまでには会話や読解ができる。
  • 帰国後もロンドンで出会った外国人に、MSNメッセンジャーやEメールで連絡を取り合っている。ホームステイ先で一緒だった韓国人に、韓国語を勉強してハングル入力ができるようになった後、ハングルでメールを送り非常に驚かれた。
  • 現在は今度は長期で海外留学をするために、資金と時間を作るためインターネット事業に取り組んでいる。


プレースタイル[編集]

  • フットサルでは従兄弟同様、GKである。GKをやってる理由は足元の技術と運動量が無く、身長があるから。しかし実力は無い。
  • リフティングが大の苦手で全くできないが、ヒールリフトができる。
  • 草野球では草野球なのにバントをしたがる。一塁を守っているが、一塁にゴロがきて併殺を狙う場面でも慣れてない左投げの送球に自信が無く、二塁に投げずに一塁を踏むだけで終わることがよくある。確実に間に合う確信があればコントロール重視で投げるが、間に合うか微妙な場合であればリスクを冒さないスタンス。
  • 非常に多くのジャンルの音楽を聴くが、音域が低いためカラオケで歌える曲は限られ、レパートリーが少なく毎回カラオケでは同じ曲を歌う。その替わり自分が歌う曲は入念に練習していて、歌詞やテンポは暗記している。キーをいじると音程が鈍る時があるほど音感悪いが、聴いた曲をピアノですぐ弾ける分には音感が良いと評される。韓国語を学ぶようになってからはJ-POPに比べ音域が低めのK-POPも歌うようになり、歌詞の意味も調べるので歌詞から韓国語を覚える。ただしカラオケに行くメンバーによっては空気を読んで歌わないこともある。
  • パワプロでは足の速い左打者であればかなり積極的にセーフティーバントを狙い、俊足選手が一塁走者だと盗塁することしか考えてなく、相手もわかっているので駆け引き勝負を楽しむ。また無駄にピッチャーを替えたがる。投球は高めの変化球で有効に釣りに行く。またポジションシフトに物凄く拘る。
  • パワプロはCOMレベルパワフルでも余裕で勝てるが、プロ野球スピリッツだとCOMの打撃レベルが高いと全く勝てない。
  • ウイイレはシュート能力とドリブル精度が高い選手を好み、積極的にミドルシュートを撃つ。ワンツーを1試合で70回以上は試みる。(味方を前線に上げたり、DFラインの裏を抜け出させる目的で)抜けば大チャンスの場面ではバレバレだがドリブル突破を狙う。センタリングの場面でも状況によってはドリブル突破を狙う。PAに侵入してから粘ってフリーの味方を探してショートパスからダイレクトシュートというパターンが典型的で、実力のある相手には警戒されやすい。またフリーキックやコーナーキックなどのセットプレーを非常に好む。守備はプレスよりマーキングの意識が高いが、よくミスから失点する。攻撃で常に数的有利を作ることを考えるので、カウンターを食らいやすいが、相手が同格または格上の場合はカウンターを警戒して1,2人でサイドを抜けるスタイル一点張りになりやすい。
  • ウイイレで1984年生まれの選手を集めた1984年選抜チームを愛用している。
  • ウイイレは地元には敵がいないが、サッカー経験豊富な従兄弟達と彼らが住む名古屋に集まってプレーすると結構負け、名古屋の親戚の家が鬼門になっている。普段はよく遊びに来る小学6年生を相手に育成がてらにボコボコにしている。
  • ボウリングはヘッドピンを捕える率は相当高いが、両脇の単独ピンを捕える率が異常に低く、ストライクよりスペアの方が少ない。ようするに真ん中にしか投げられない。右端に残ったピンを取るために、左投げでフックボールを練習している。
  • ビリヤードはクッションボール(跳ね返りを利用して打つ、狙うこと)とジャンプボール(自球を浮かせること)を得意にしているが、イージーミスが多い。
  • 卓球は裏打ちが苦手で、野球でいう内角に責められるともろいという欠点がある。全球ドライブ回転で打ち返すことを意識している。
  • オセロが好きで、4手先まで読んで罠を張る。一時期Yahoo!オセロにハマって1日中やっていた。中級でも通用する。しかし将棋は苦手。