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氷見市農業協同組合
氷見市農業協同組合
統一金融機関コード 5920
代表理事組合長 伊藤 宣良
店舗数 7
(2009年1月1日現在)
設立日 1966年1月1日
出資金 8億8745万円
(2021年12月末日現在)
貯金残高 1053億6997万円
(2021年12月末日現在)
貸出金残高 62億9855万円
(2021年12月末日現在)
職員数 385人
(2021年12月末日現在)
組合員数 1万174人
(2021年12月末日現在)
本所
所在地 935-0023
富山県氷見市朝日丘2-32
外部リンク JA氷見市
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氷見市農業協同組合(ひみしのうぎょうきょうどうくみあい)は、富山県氷見市に本所を置く農業協同組合。略称はJA氷見市

沿革

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  • 1962年10月17日 - 氷見市農協合併促進協議会発足[1]
  • 1965年
    • 12月2日 - 氷見市農業協同組合設立委員会が氷見市民会館にて第1回委員会を開催[2]
    • 12月13日 - 役員会で組合長理事、副組合長理事、常務理事、代表監事が決定[2]
  • 1966年1月1日 - 氷見、稲積、余川、碁石、島尾、田子、神代、仏生寺、布勢、十二町、上庄、丸三、双光、速川、久目、阿尾、薮田、宇波、女良、八新の各農業協同組合が合併し[3]、1室5課24係21支所体制の[4]富山県下10番目の合併農協[5]かつ富山県下最大(当時)の農業協同組合として、氷見市農業協同組合発足(当時の職員は235名)[6]。本所は旧氷見農協の建物(後の氷見支所事務所、鉄筋2階建て延床面積562.7m2)を使用[7]
  • 1968年6月1日 - 窪農業協同組合を合併[8]
  • 1971年12月6日 - 現在の本所である農業会館(鉄筋コンクリート造5階建て一部6階建て、延床面積3804.7 m2)が完成[9]
  • 1974年
    • 8月13日 - 朝日丘160番地にて配送センター(鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て、延床面積1665.56 m2)が完成[9]
    • 8月20日 - 農業会館西口(延床面積105.12 m2)着工、同年10月29日竣工[9]
  • 1977年
    • 2月1日 - 機構を大改革、部制を敷き、1室4部14課51係23支所1支店体制となる[10]
    • 8月1日 - 論田、熊無支所を合併し、双光支所となる[11]
  • 2024年10月11日 - 十二町、仏生寺、布勢、神代の4支店を統合した南部支店が竣工[12]

店舗

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店舗コード 店舗名 所在地
551 本所 氷見市朝日丘2-32
552 氷見支所 氷見市鞍川467
556 窪支所 氷見市窪760
563 十二町支所 氷見市十二町215
564 上庄支所 氷見市泉1510
570 阿尾支所 氷見市阿尾479
575 中央支店 氷見市本町14-7

氷見市農業会館(本所)

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1971年12月6日竣工。鉄筋コンクリート造5階建て一部6階建て、延床面積3804.7 m2、設計監理者は押田建築設計事務所、建築主任工事は飛島建設、空調工事は大阪電気暖房、エレベーターは富士輸送。工事費は282,835,366円、設計管理費は7,658,310円[9]

1974年8月20日に着工し同年10月29日に竣工した西口は、延床面積105.12 m2、設計監理者は押田建築設計事務所、建築主任工事は飛島建設[9]

脚注

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  1. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)6頁。
  2. ^ a b 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)14頁。
  3. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)8、9頁。
  4. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)16頁。
  5. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)7頁。
  6. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)15頁。
  7. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)36頁。
  8. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)8頁。
  9. ^ a b c d e 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)24頁。
  10. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)18頁。
  11. ^ 『農協合併三十周年誌』(1995年2月20日、氷見市農業協同組合発行)20頁。
  12. ^ 『北日本新聞』2024年10月12日付32面『統廃合第1号 南部支店竣工 JA氷見市』より。

外部リンク

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氷見市農業協同組合
氷見市農業会館(本所)
統一金融機関コード 5920
代表理事組合長 伊藤 宣良
店舗数 23
(2019年11月25日現在)[1]
設立日 1966年1月1日
職員数 385人(2021年現在)
組合員数 10,174人(2021年現在)
本所
所在地 935-0023
富山県氷見市
朝日丘2番32号
外部リンク JA氷見市
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氷見市農業協同組合(ひみしのうぎょうきょうどうくみあい)は、富山県氷見市に本所を置く農業協同組合である。略称はJAひみ

概要

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1966年1月1日に、氷見市内の20農協及び藺製品連合会の合併により発足。1968年の窪農協の合併に伴って、現在に至る一市一農協となり、氷見市全域を管内においている。 (ハトムギ関連の記載) 後述のとおり審議に時間を要したことから、合併農協としての発足は富山県内において10番目となったが、規模は当時の県内で最大となる、マンモス農協であった [2]

沿革

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氷見郡内で設立された その後、農業団体法に基づき町村ごとに設けられた19の農業会 [3]を経て、終戦後の昭和23年に、21の単位農業協同組合が発足する。

全国で経営不振に陥る小規模組合が続出したことを受け、昭和36年に農業協同組合合併助成法が施行されると、富山県も、事業の発展性の観点から、富山県農業協同組合合併促進委員会を設けるなど合併促進を図った。

当時の氷見市(昭和27年に市制施行・昭和29年に現在の「一郡一市」の市域に至る)内の各農協については、その大半の経営状態が不健全な状態であり、破綻のおそれがある不振組合も存在していた。事業分量も県内259組合のうち200台以下に羅列されている状態であり、合併の必要性が高いことから、昭和37年に氷見市農協合併促進協議会が設立される。 市や県の方針は、市内一円の農協の大同合併であったが、各組合間での方針の相違や、不振組合との統合を厭う組合も存在したことから、調整は難航し、審議は70回以上に及んだ。特に、上庄谷の各農協(上庄・丸三・双光・速川・久目)および氷見農協はブロックでの合併を希望する声が大きく、事務所用地の購入予定まで進んでいたものの、最終的には大同合併に同意することとなった。 こうして、昭和40年10月、氷見市役所議場において、21農協1連合会による合併予備契約調印式が行われた。翌11月、農協ごとに開催された合併総会において、窪農協のみは反対多数で合併が否決されたため、昭和41年に、20農協1連合会をもって氷見市農業協同組合が発足した。 協議会の設立から6年後となる昭和43年、残る窪農協も氷見市農協に合併したことで、一市一農協となる。


店舗

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農業会 単位農協 氷見市農協発足時 令和4年現在
氷見町農業会 氷見町農業協同組合 氷見支所
稲積農業協同組合 稲積支所
余川村農業会 余川村農業協同組合 余川支所
碁石村農業会 碁石村農業協同組合 碁石支所
窪村農業会 窪村農業協同組合 窪支所
柳田支所
宮田村農業会 島尾農業協同組合 島尾支所
宮田村田子農業協同組合 田子支所
神代村農業会 神代村農業協同組合 神代支所
仏生寺村農業会 仏生寺村農業協同組合 仏生寺支所
布勢村農業会 布勢村農業協同組合 布勢支所
十二町村農業会 十二町村農業協同組合 十二町支所
上庄村農業会 上庄村農業協同組合 上庄支所
熊無村農業会 熊無村双光農業協同組合 論田支所 熊無支所
熊無支所
丸三農業協同組合 丸三支所
速川村農業会 速川村農業協同組合 速川支所
久目村農業会 久目村農業協同組合 久目支所
阿尾村農業会 阿尾村農業協同組合 阿尾支所
薮田村農業会 薮田村農業協同組合 薮田支所
宇波村農業会 宇波村農業協同組合 宇波支所
女良村農業会 女良村農業協同組合 女良支所
八代村農業会 八代村農業協同組合
⇒八新農業協同組合
八新支所 八代支所


店舗コード 店舗名 所在地
551 本所 氷見市朝日丘2-32
552 氷見支所 氷見市鞍川467
556 窪支所 氷見市窪760
563 十二町支所 氷見市十二町215
564 上庄支所 氷見市泉1510
570 阿尾支所 氷見市阿尾479
575 中央支店 氷見市本町14-7

外部リンク

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  1. ^ 「店舗集約にかかる中央支店閉店のお知らせ」、『広報JAだより氷見』2019年10月号 Vol.674(11頁)、氷見市農業協同組合総務人事課
  2. ^ 15ページ
  3. ^ 加納村と稲積村は…