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利用者:バラ属/sandbox

本居は、すべての人は、生まれながらに古代の日本文学が最も忠実に表わしている 「まごころ」、「本当の心」を持っている、と書いています。(真心という言葉自体、ココロ(心)がこの「鼓動」を表現していることから擬音語に近いことに注意してください。)

真心[編集]

本居宣長(1730-1801)はその生涯のうち35年もの間「古事記」の解説書である、「古事記伝」の執筆に精魂を傾け、現在でもなお日本の古典研究における第一人者であり続けています。

彼は文章の評価において、物語の形式と審美性のみに焦点を当てるために、政治的・道徳的な基準に頼ることを一切拒否しています。彼が詩に与える重要性によってそして詩はまた音韻を踏んだものであるゆえにこの物語は古典の原語に近い語り口になっています。これは証明とは言わず物語全体の正統性を表現するものです。古典の正統性は、ここでは「中華的解釈の拒否」と「自発性」の二重の価値観で理解されるべきです。人の心の奥底で揺らぐ感情を描いた詩は、女性的で儚げです。その最も崇高な要素、この詩の特徴的な要素は、「もののあはれ」、(クローデルによれば、物事の『アヒテ』」)つまり、物事から発せられる甘い憂いに誘われる共感から生じる感情です。

この感情は、男性的なものがたくさん詰まった表面的レベルの意識、鋭く知的であるが虚飾に満ちた「からごころ(漢意、唐心)」とは対照的に、「大和ごころ(日本人の心)」を表現しています。道(ドウ、みち)が幸いにも人間の感情の自然な表現と融合した時代に感化され、日本の文学、少なくともこの物語(=古事記伝)は、中国に対する日本の優位性を証明しています。神々が生んだ国日本では、道は自然にできた物でも人が作った物でもなく、自然の摂理にも人の摂理にも属していません。道は自然と人間の両方を生み出した神々によって創られました。それは日本という組織のはじまりではなく、日本の歴史そのものです。

神々の意志によって最初に島々の生成が実現されました。そして、神である祖先の系譜が途切れることのない天皇にそれらが受け継がれました。

本居にとって日本の特殊性は、自然な善行の根底にある人間の感情を受け入れ、

どんな理論も不要なものにしてしまうところにあります。

関連項目[編集]