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栗原 俊雄(くりはら としお、1967年 - )は、日本のジャーナリスト歴史家毎日新聞記者。

東京都出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同大学院政治学研究科修士課程修了(日本政治史)。1996年毎日新聞社入社。横浜支局などを経て毎日新聞東京本社学芸部記者[1]

戦後60年企画で一人の元乗組員の取材をしたことをきっかけに、戦艦大和の沖縄特攻の生還者23名と遺族たちを取材し[2]、「戦艦大和―生還者たちの平和希求[3]、「続、戦艦大和―遺族たちの戦後」を連載」[4]。さらに「戦艦大和 生還者たちの証言から」を書き下ろした。

2007年、親鸞の資料について取材した大谷大学元学長の廣瀬杲氏が偶々シベリア抑留体験者であったことがきかっけになり[5]シベリア抑留の取材を始める。丁度2007年12月、抑留経験者30名が、軍人軍属をソ連に労働力として提供し保護義務を果たさなかった日本政府の責任を追及して、京都地裁に国家賠償訴訟を集団提訴した[6](シベリア抑留の国賠訴訟としては4件目)。抑留体験だけではなく、この裁判闘争など抑留の戦後史を取材し、「シベリア抑留―帰還者と遺族の戦後」を連載[7]、「シベリア抑留 未完の悲劇」を出版した。

戦艦大和とシベリア抑留の連載で2009年、第3回疋田桂一郎賞を受賞。

その後も司法闘争から立法運動へと移ったこの問題を継続して報道し[8]、2010年6月16日のシベリア特措法成立の日を見た。

2006年硫黄島への渡島を契機に戦没者遺骨について取材[9]、2012年には自らも硫黄島での遺骨収集に参加してお骨を掘る[10]。さらに海外はもちろん、東京大空襲犠牲者の仮埋葬(火葬能力を超えた遺体を多くは身元確認できないまま都内の公園や空き地に仮埋葬した)、沖縄・広島・長崎など、国内でさえ収容されていない遺骨や、収容されても「無縁」とされている遺骨がおびただしい実態を「戦没者遺骨イマダ帰還セズ」で連載[11]、「遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史」を出版した。収集したすべての遺骨と、希望する遺族の、DNAを採取しデータベース化する必要性を唱えており、この連載は国会審議でも取り上げられてDNA調査規模の拡大について前向きな発言が引き出された[12]

また名古屋空襲東京大空襲大阪空襲沖縄戦などによる民間人被害者が、特に遺族や孤児となった人、障害を負った人たちを中心に、補償・救済を求めて起こした国賠訴訟を継続的に取材(それぞれ1987年、2013年、2014年に最高裁で敗訴が確定、沖縄は係争中)。それら戦後「未」補償の歴史や、その論拠となった「戦争被害受忍論」の成り立ちについて、「戦後補償裁判 民間人たちの終わらない『戦争』」にまとめた。引き続き、「空襲等被害者特措法」の立法活動を追っている[13]

「新20世紀遺跡」を月に1回夕刊紙面に連載している。

「本当に重要なことは、いつでも何度でもどこででも繰り返し報道することが必要」がもっとう[14]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『特攻』著者紹介
  2. ^ 『ジャーナリズムの現場から』大鹿靖明 講談社現代新書 2014 P249
  3. ^ 毎日新聞2006年11月20日~12月16日夕刊
  4. ^ 毎日新聞2007年6月18日~7月14日夕刊
  5. ^ 『ジャーナリズムの現場から』 P253
  6. ^ 棄兵・棄民の責任を問う ~シベリア抑留国家賠償請求訴訟~
  7. ^ 毎日新聞2008年11月10日~12月2日夕刊
  8. ^ シベリア特措法:超党派で今月国会提出へ 元抑留者の悲願に光 毎日新聞2010年5月20日
  9. ^ 「遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史」岩波新書 2015 あとがき
  10. ^ 「遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史」P41
  11. ^ 毎日新聞2015年4月14日~5月15日
  12. ^ 参議院厚生労働委員会平成27年5月12日議事録
  13. ^ 民間人空襲被爆者の補償問題 毎日新聞2016年2月25日
  14. ^ 現代ビジネス2016.7.19