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利用者:リトルスター/DOOM

DOOM』(ドゥーム) は id Softwareが開発したファーストパーソン・シューティングゲーム (FPS) であり、1993年12月10日に PC-DOS向けのシェアウェアとして発売された。

Doomシリーズの第一作である本作は、FPSというジャンルの代表作として知られており、その人気は後発のFPSに多大な影響を与え、オンラインゲームの発展にも寄与している[1]。その一方で、本作の暴力的な表現が問題視され、常に論争の的となってきた。

概要[編集]

本作は、プレイヤーキャラクターの一人称視点でゲーム進行し、そのほとんどが敵を撃ち殺すことに費やされるファーストパーソン・シューティングゲームであるが、単純なアクションゲーム然としたものではなく、秘密の部屋や隠されたアイテムを見つけたり、次のエリアに進むために鍵や遠隔操作の開閉装置を操作したりすることが必要となるアドベンチャーゲーム的な探索の要素も持っている。

ゲームは、チェーンソーや散弾銃といった現実にある武器からBFG9000の様な架空の武器までを駆使して敵を倒していく内容となっている。 敵の中にはインプサイバーデーモンなどといった地獄の悪魔達もいれば、ゾンビ化した海兵隊員のように、火星基地に住んでいた人間が地獄のモンスターに寄生されたり改造された者もいる。

また、スタンドアローンでの単独プレイの他に、ネットワークを利用した2~4人プレイ用のゲームモードがあり、協力プレイ「co-operative」モードと対戦プレイ「deathmatch」モードの二つを楽しむことができる。このマルチユーザ対戦は、id Software から発売された『Quake』シリーズによって FPS におけるスタンダードなものとなった。

物語[編集]

構成[編集]

本作は「Knee-Deep in the Dead」、「Shores of Hell」、「Inferno」の三つのシナリオ(エピソード)から成り、それぞれ隠しステージとボスステージを含む 9つのステージで構成されている。シェアウェア版では、第1エピソード「Knee-Deep in the Dead」を無料でプレイすることができるが、第2エピソード「Shores of Hell」及び第3エピソード「Inferno」をプレイするためにはユーザ登録をするかパッケージ版を購入するかしなければならない。1995年には、オリジナルの『DOOM』と追加シナリオ「Thy Flesh Consumed」を収録した『The Ultimate DOOM』がパッケージ発売された。

あらすじ[編集]

主人公は、火星の軍事企業 Union Aerospace Corporation (UAC) で働く宇宙海兵隊の一人。UAC は火星の衛星フォボスダイモス間で秘密裏に瞬間移動装置の実験を行っていたが、その実験中に偶然地獄へのゲートが開く。基地のセキュリティシステムは、ゲートからやってくる地獄の住人達を阻止することが出来ず、基地の人員は瞬く間に殺されゾンビと化し、火星から事件の調査のために派遣された UAC の部隊もすぐに音信不通となってしまう。主人公は、UAC 部隊の唯一の生き残りとなって基地からの脱出を図る。

開発[編集]

Wolfenstein 3D』発売後の1992年11月、id Softwareはファーストパーソンシューティングゲーム「DOOM」の開発を決定した[2]。 チームの一員であるトム・ホールは背景設定や基本仕様を記載した書類を作成しており、この時点では開発チームが親しんでいた『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に似た内容になる予定だった[3][2]。ところが、ジョン・カーマックとホールの間で意見の相違があり、結局ホールの案は取り下げられた[2][3]

議論によって、非直線的な壁の導入や、床や天井の高さに差異を持たせるといった基本的な仕様が決定した[2]。 また、本作のワークステーションには前年購入したNeXTcubeが用いられたほか[2]、ゲームデザイン及びレベルデザインは、アメリカン・マギーが担当した。

本作は、「E2M7」と「Hanger」という最初期のバージョンを経て1993年2月4日にプレα版が出来上がった[2]。 その後、スーパーファミコン版『Wolfenstein 3D』の移植トラブルの対処のため、一時本作の開発が休止されたものの、1993年4月にはα版が、1993年10月にはプレス向けのバージョンが完成した[2]。 それから2か月後の12月10日、本作の製品版が発売された[2]

美術[編集]

本作においては、新たな挑戦も行われた。 たとえば、敵キャラクターのグラフィックは、コンセプトアートをもとにクレイモデルを作り、それをビデオ撮影した後、パソコンに取り込んで加工するという方式が取られた[2][3]。 また、BFG9000などの武器類は、スタッフが玩具店で購入したおもちゃの映像を合成する形で作られた[2][3]。 一方で、本作の敵キャラクターのグラフィックは平面で描かれており、3Dのポリゴンの導入は『Quake』を待つことになる[2][4]。 さらに、カーマックが懸念していたポリゴン数の過多は後にDOOMエンジンにおける動作遅延問題として表面化するものの、カーマックはグラフィックの質を下げることはせず、別の方法で解決に持ち込んだ[2]

移植版[編集]

オリジナルである PC-DOS版の他、PC-9801&9821Microsoft Windows、QNX、Irix、NeXTSTEPLinuxMacintoshスーパーファミコンスーパー32XプレイステーションゲームボーイアドバンスAtari Jaguarセガサターン3DOなど、多数のプラットフォームに移植されている。但しその全てがオリジナル版からの完全移植というわけではなく、スーパーファミコン版ではハードウェア性能の都合でグラフィックの質を下げている。

また、日本国内においては、イマジニアからPC-9801&9821版が発売されたほか、ソフトバンクからセガサターン版とプレイステーション版が発売された[5]

その後、1990年代後半にオリジナルのソースコードGNU General Public License下で公開され、ファンの手によって様々な移植、改変がなされた。

DOOM 64[編集]

『DOOM 64』は、ミッドウェイゲームズが開発し、1997年に発売されたNINTENDO64用ソフトである[6]。 同作は、グラフィックやマップが大幅にリニューアルされ、ストーリーもオリジナル版からの続きであるため本作および『DOOM II』の続編に相当する[6]。 また、本作のラスボスがスパイダー・マスターマインドだったのに対し、『DOOM 64』では、モンスターを生み出す母体・マザーデーモンに変更されている。 2020年3月、Nightdive Studiosにより、Windows、Nintendo Switch、PlayStation 4、Xbox One向けに復刻移植された[6]。 同作の日本語版には、日本語の説明書が付属している一方、ゲーム内における日本語はアイテムを入手した際などに表示されるメッセージのみで、字もカタカナであり、血の色が赤から緑に変更されている(敵にダメージを与えた時の出血のみ)[6]

反響[編集]

本作は大ヒットし、ロメロがある大学のサーバに本作をアップロードしようとした際に、うわさを聞いたファンからのアクセスがサーバに殺到してダウンするという出来事も発生した[7][3]。 売り上げこそ150万本にとどまり、1200万本以上を売り上げた『MYST』などに及ばなかったものの、シェアウェア版(ダウンロード販売)の利用者は1500万人から2000万人にのぼると言われている。

加えて、開発者であるジョン・ロメロらがソースコードを公開したことにより、ユーザーによってDOOM WAD(「Where's All the Data?」の頭字語。現在で言うトータルコンバージョンMOD)と呼ばれる様々な拡張データの制作も行われた[8]。 さらに、1990年代中頃からは、『Duke Nukem 3D』をはじめとする、「DOOMクローン」と呼ばれる亜種も多数作られている[1][9][10]

日本における反響[編集]

本作が販売された1993年当時の日本ではインターネットがあまり一般的ではなく、日本人が海外のゲームの情報を入手するのは簡単ではなかった[10]。それでも、ニフティサーブなどのパソコン通信サービスにおける海外ゲームのフォーラムにて本作のシェアウェア版(体験版に相当)が公開されており、DWANGOでの対戦プレイを楽しんだり[10]、WADをダウンロードして遊ぶファンもいた[8]

また、日本においては、FPSという単語が一般的ではなかったことから、これらのゲームは「DOOM系」と呼ばれていた[1]

受賞[編集]

1994年にはPC Gamer、Computer Gaming Worldの両誌においてGame of the Yearに輝いた。さらにPC MagazineのTechnical Excellence Award、Academy of Interactive Arts & Sciences の Best Action Adventure Gameを受賞し、2004年4月のPC Gamer10周年記念号においてもっとも影響力のあるゲームの一つに数えられた。

批判[編集]

本作が発売された当時は、前年に発売された『モータルコンバット』をはじめとするゲームにおける残酷表現が問題視されていた[11]。日本のパソコン雑誌インターネットマガジン内の特集記事の中においても、爽快感や面白さについて触れると同時に、残酷表現についても指摘し、子どもに見せるべきではないとしている[12]。 また、本作に用いられていたハードロックのBGMや悪魔をモチーフとしたデザインから反キリストが連想されることもあった[11]。 さらに、1999年に発生したコロンバイン高校銃乱射事件の実行犯が本作のファンだったことが報じられた[13]結果、本作は若者に害を及ぼす「殺人シミュレータ」とみなされ、FPSそのものが銃乱射事件と結び付けられた[11]

また、本作が仕事に対する重大な脅威となり、オンライン対戦やシェアウェアのダウンロードによってネットワークが妨げられたとするいくつかの報告書が存在しており、実際これらの問題のためにインテルやカーネギーメロン大学ではわざわざ勤務時間中のゲームプレイを禁止しなければならなくなったとされている。

関連商品[編集]

ゲーム[編集]

小説[編集]

いずれも Dafydd Ab Hugh と Brad Linaweaver の共同執筆

  • Knee-Deep in the Dead
  • Hell on Earth
  • Infernal Sky
  • Endgame


脚注[編集]

  1. ^ a b c 仁志睦 (2019年12月1日). “ゲーム19XX~20XX第14回:『バーチャファイター』『DOOM』が登場、3Dゲーム時代の幕開けを告げた1993年のゲームをプレイバック! 2ページ目”. インサイド. 2020年4月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Inc, Aetas. “[GDC 2011]「DOOM」はこうして作られた。ジョン・ロメロ氏とトム・ホール氏が,発売から18年を経てDOOMの開発秘話を語った”. www.4gamer.net. 2020年6月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e 佐藤カフジ (2011年3月6日). “過去の傑作に学ぶゲーム開発「Prince of Persia」&「DOOM」 時代を代表するアクションゲームはいかにして生まれたのか?”. GAME Watch. 株式会社インプレス. 2020年6月3日閲覧。
  4. ^ BRZRK (2014年1月16日). “E7M1: 祝DOOM20周年ということで! 初代『Quake』を振り返る”. ファミ通. KADOKAWA. 2020年6月3日閲覧。
  5. ^ 早苗月 ハンバーグ食べ男 (2020年3月14日). “レトロンバーガーOrder 33:「DOOM 64」「Final DOOM」「SIGIL」が現行ゲーム機に登場で,実に倒しても倒しても「DOOM」だなあ編”. www.4gamer.net. Aetas. 2020年6月3日閲覧。
  6. ^ a b c d Mr.Katoh (2020年3月30日). “BFG9000ニュウシュ! ヤッタゼ! 『DOOM 64』リメイク版とN64版の違いをプレイして検証した【特集】”. Game*Spark. 2020年6月3日閲覧。
  7. ^ Romero and Hall on creating Doom” (英語). GameSpot. 2020年6月3日閲覧。
  8. ^ a b Guevarista (2016年10月26日). “XSI Mod Toolセミナーと,日本発のHalf-Life 2 MODプロジェクト”. www.4gamer.net. Aetas. 2020年6月3日閲覧。
  9. ^ Inc, Aetas. “東京レトロゲームショウ2015:第2回「Shadow Warrior」で味わう,もう1つの日本の姿”. www.4gamer.net. 2020年6月3日閲覧。
  10. ^ a b c 【特別企画】往年のDOOMerが新生「DOOM」発売に寄せて「DOOM」体験を語る! 現代に続くFPSジャンルを築いた「DOOM」とは一体何だったのか?”. GAME Watch. 株式会社インプレス (2016年5月13日). 2020年6月3日閲覧。
  11. ^ a b c 【Jerry Chu】タブーがなければ刺激がない”. www.4gamer.net. Aetas (2016年11月5日). 2020年6月3日閲覧。
  12. ^ 「すごいネットワークゲームがやって来た!DOOM」、『インターネットマガジン』,p.114.
  13. ^ ジョイスティックが暴力の引き金に?|WIRED.jp”. WIRED (2000年4月26日). 2020年6月3日閲覧。 - 原文:Study: Joysticks Lead to Mayhem - ウェイバックマシン(2000年5月11日アーカイブ分)

参考文献[編集]

雑誌記事

外部リンク[編集]