利用者:万人教祖主義

万人教祖主義(ばんにんきょうそしゅぎ)は、万人教祖主義という命題に関心を持つウィキペディアン。

万人教祖主義とは[編集]

万人教祖主義(ばんにんきょうそしゅぎ、英語: omnifundatoresism)とは、「すべての人間は教祖になることが可能である」という命題のことである。2006年に大黒学によって提唱された。

宗教は人類の文化の一部分であり、すべての宗教は人類にとって文化としての価値を持つ。しかし、宗教には、望ましくない性質が存在し、この点において宗教は人類の他の文化とは異質である。宗教が持つ望ましくない性質とは、何らかの宗教をフィクションではなく真理であると思い込む人間を生み出してしまうということである。それが望ましいことではない理由は、何らかの宗教を真理であると思い込んでいる人間は、その宗教によって何らかの自由を奪われた一種の奴隷状態にあると考えられるからである。

すべての宗教はフィクションである。しかし、現状では、この命題はすべての人間の常識になっているとは言い難い。この命題を人類の常識にするためには、何をすればよいだろうか。自分が信じている宗教のみはフィクションではなく真理であると考えている人々に対して、「あなたが信じている宗教もフィクションですよ」と告げることは、効果があるだろうか。おそらく、そのような忠告は、単に反発を招くだけであり、まったく効果がないだろう。「すべての宗教はフィクションである」という命題を人類の常識にするための効果的な方法は、そのような正攻法ではなく、何らかの迂回的な方法である。

どれだけ多様な宗教が存在しているかという度合いは、「宗教多様性」と呼ばれる。個々の人間が持つ信仰の強度は、その人間が日常的に接している人々の宗教多様性から大きな影響を受ける。ある人が、自分が信じている宗教は真理であると思い込んでいるとする。もしも、その人が日常的に接しているすべての人々も、その人と同じ宗教が真理であると思い込んでいるという、宗教多様性がきわめて低い環境にその人が置かれているならば、自身の信仰に対する懐疑心がその人に生まれる余地はないだろう。それに対して、その人が日常的に接しているそれぞれの人々が、互いに異なる宗教を信じているという、宗教多様性がきわめて高い環境にその人が置かれているならば、その人は、世の中には多くの宗教が存在し、自分が信じている宗教はその一つである、という認識に到達するだろう。この認識は、自分が信じている宗教もまたフィクションなのではないだろうかという懐疑心を生むだろう。宗教多様性を増大させることは、「すべての宗教はフィクションである」という命題を人類の常識にするための迂回的な方法のうちで、効果を最も期待することができるものである。

人類が持っている宗教の数は、現状でも膨大であるが、「すべての宗教はフィクションである」という命題を人類の常識にすることができるほど、人類の宗教多様性を増大させるために必要となる数に比べると、微々たるものである。その目標に到達するためには、宗教の数を現状の数千倍に増やす必要がある。

宗教を創作する人間は、「教祖」と呼ばれる。宗教の数を増やすためには、教祖を増やすことが必要となる。しかし、教祖ではない人間を教祖にすることは困難である。それを困難なものにしている要因の一つは、宗教を作ることができるのは特殊な人間のみであるという、多くの人々が持っている認識である。しかし、この認識は間違っている。なぜなら、人間が宗教を作るために必要なものは理性的な思考力のみであって、これはすべての人間が持っているものだからである。すべての人間は教祖になることが可能なのである。すなわち、万人教祖主義は真である。

万人教祖主義は、宗教を作ることができるのは特殊な人間のみであるという、多くの人々が持つ間違った先入観を否定する命題である。この命題が真であるという認識が多くの人々によって共有されることは、教祖の数を増加させるだろう。そして、教祖の増加は宗教を増加させるだろう。そして、宗教の増加は宗教多様性を増大させるだろう。これが、「すべての宗教はフィクションである」という命題が人類の常識となるまでにたどることになるであろう道である。