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利用者:下地隆史/自己紹介

自己紹介

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沖縄県那覇市に生まれる。かつては天体写真家として活動していたが、子供の頃は性格の暗い天文マニアのような少年ではなく体育会系の野球少年だった。2歳の時、IRAS・荒貴・オルコック彗星を観た。5歳の時、ハレー彗星を観た。中学生の頃から新聞配達のアルバイトをして100万円ぐらい貯金して高価な機材を買った。中学1年生の時、シューメーカー・レビー第9彗星木星衝突を観た。14歳の時、天文ガイドにて文通相手を募集。なお文通相手の募集はその後も数回行った。中学2年生の時、デ・ビコ彗星を観た。同年天ガの読者の天体写真コーナー・UNDER18に応募し1席と3席に選ばれた。私に対して「子供にこんな高価な機材を持たせるのは良くない」という批判があり反論のため読者サロンに投稿したこともある。16歳の時、ペルセウス座流星群を撮影。同年天ガの読者の天体写真コーナーに入選し惑星の写真も天ガに掲載された。高校1年生の時、天ガ別冊INTERACTIVE-ASTRONOMYにて移動要塞型反射望遠鏡リベルテを発表。高校2年生の時、6月うしかい座流星群の観測報告を行った。17歳の時、琉球新報木星食の写真が掲載され、天ガにも月面写真が掲載された。18歳の時、アマテラス受賞。その後進学準備等による活動休止期間を経てプロの写真家としてデビュー。天文ガイドにプロの天体写真家として登録した。20歳の時、日本経済新聞に掲載されたマックノート彗星関連記事に登場。喜界島地区講座で皆既日食について講話を行ったが、乃木坂46松村沙友理さん並みのスキャンダルに巻き込まれ天体写真家を引退した。その後数年にわたる雌伏期間を経てこのたびウィキペディアンとして復帰した。

関連項目

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