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利用者:下山 覚/sandbox

下山 佑 (群馬県生まれ・2006年没)

日本を代表する化粧品商品開発技術者

学生時代に新聞印刷会社でアルバイトとして働き経営者の高橋義治に認められ書生として親代わりの後継人として育てられる。

KBK研究所に入社 化粧品(映画・演劇・テレビ)の開発にかかわる。

戦後の化粧品を国産化する為に従事。

テレビ局のカラー放送 に伴い、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)に入社。 日本初のカラーテレビ試験放送のメイクアップ化粧品を手がけ化粧も担当。

鐘ヶ淵紡績化学に入社 鐘紡化粧品の創業(7名) 鐘紡及び鐘ヶ淵化学の財閥解体。

フランス・コティ技術者の指導を受ける。 東京工場及び研究所を東京都に売却して、鐘紡が買収した神奈川県小田原市ハリスガム跡地に産業移転。 研究所と工場の新設。 小田原工場に労働組合設立

技術者として、台湾鐘紡設立、ヨーロッパ鐘紡設立(スイス・フランス・イギリス・西ドイツ・オランダ・ベルギー・他)、上海鐘紡設立(南京・蘇州・ほか)

カネボウ化粧品(製造課長・研究開発室長)

世界各地から新規原料の調査採用及び開発。 日本各地に化粧品原料会社のサポートをし、原料の委託も手がけ原料会社を設立支援。

1956年 カネボウ(映画・演劇・テレビ)化粧料研究所 入社、1958年 同研究所 退職 (KBK研究所)、1958年 日本教育テレビ(現 テレビ朝日)入社メイクアップ技術担当 、1959年 同テレビ局退職、1959年 カネボウ化粧品 大井工場 研究室入社(当時 鐘淵化学工業株式会社 大井工場)

注)カネボウ化粧品

書きかけです。


母親:下山とき(宮大工・下山組の娘、明治時代)・故

父親:永瀬義梅(第一銀行)・故

義父:根岸新太郎(経営者)・故

従兄:須永徳治(足利銀行)・故

弟:下山進(吉備国際大学 文化財総合研究センター 客員研究員・㈱デンマテリアル取締役)

妻:下山節子(楊名時 太極拳師範・すこやか健友会代表)

子(長男):下山一

子(次男):下山覚


書きかけです。