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利用者:倫敦橋/作業10

  • コメントWP:BLPの文書そのものは、「~ばっさり削るか、消してしまうべきです。」というメッセージに端的にあらわれているように、問題ある記述について、それを編集除去(「ばっさり削る」に相当)する方法と削除(「消してしまう」に相当)する方法のどちらが適当か、という問題については基本的にはなんら回答を示さないものと読むのが自然でしょう。被依頼者氏の「WP:BLPに違反する記述は、「編集による除去」/「管理者権限による削除」のいずれかの対処が必要であることは間違いありませんが、どちらを選択すべきかについてはWP:BLPは何も言っていません。」とのご指摘はもっともなところです。WP:BLPの「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」の部分についても、Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするとは異なり、削除依頼の場での特定の主張を補強、又は制約する方向に機能することが予定されているように明確に読めるような記述を欠くこともあり、「WP:BLPの文書全体を総合的に勘案し」た結果が論者によって異なる結果をもたらしうることは否定しがたいところでしょう。被依頼者氏本人のご見解がどうかはわかりませんが、WP:BLPが「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」としても、「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです」ということから、「水橋氏側の利益保護にあまりにも偏りすぎている」対処を避けるべきだという考え方も十分にありうるかなと思います。また、Wikipedia:削除依頼/水橋かおり20110728で、被依頼者が対処後の確認段階に入ってからコメントをしたという問題については、そもそも今回のように、管理者の権限を有している人が、一利用者として議論に参加するのではなく管理者として対処をすることを選択しつつも、特定の意見を支持することを表明しているかのようなコメントを述べる行為がどの程度までなら許されるのかどうかという点が自分にはよくわからないのですが、結果としてそれ自体が議論を誘発するようなコメントであったとするのであれば、被依頼者氏の行為のみを取り上げて「議論妨害」などと批判することは公平さを欠くようにも思えます。--倫敦橋 2011年8月10日 (水) 17:32 (UTC)
  • (コメント)WP:BLPが要請していることは、現在の版においてBLP違反の記述がとにかく取り除かれていることであって、過去の版においてなされたBLP違反の記述を不可視化すること(=削除すること)という方法を、閲覧可能な状態のままにしておく(=存続して編集除去)という方法より優先させる趣旨まではないのではないでしょうか。「~存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。」という文言についても、前段の「ばっさり削る」という方法が「記事を存続した上で編集除去」ということを意味するのであれば、後段の「消してしまうべきです。」という文言を過大評価する必要はないと思えます。ただ、en:Wikipedia:Criteria for speedy deletion#Criteriaの「General criteria」の10に言及した部分については、私は英語版の即時削除の方針にはそのような制度がある以上、英語版のBLPの側でもそれに言及しておくのは当然ですし、それが日本語版にそのまま持ち込まれた、というだけの話であって、WP:BLPの全般的な趣旨の理解からはとりあえず切り離して考えるべきだと思いますが(そう考えないと不可解な記述が多くなるため)、WP:BLPそれ自体が記事の削除や特定版削除といった強い要請を含んだ方針なのであるという一つの「理解」とも結びつきやすくなってはいるのでしょう。--倫敦橋 2011年8月15日 (月) 14:42 (UTC)