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利用者:加藤勝憲/同中書門下三品

同中書門下三品(どうちゅうしょもんかさんぽん)は官品唐の初期、太宗中書省門下省尚書省の三省の長官である中書令侍中尚書僕射宰相に任じた。しかし、それよりも下の、主に尚書省の官僚が宰相に任じられることがあった。この時、中書令などの本来の宰相職より官品[1]が低いのは不都合なので、臨時に同中書門下三品を授けて、中書令らと同格の正三品官としたのである(因此其他参予政务并加同中書門下三品同中書門下平章事名义的官员都是事实上的宰相)。

名称の変遷[編集]

650年(高宗永徽元年)に「同中書門下平章事」と改称され、中書令らと共に正式な宰相職とされた(唐朝宰相名目最多,同中書門下平章事資歷最淺;安史之亂後更多以資淺者出任,肅宗至德以後才是真正的宰相。代宗時,同中書門下三品亦改為同中書門下平章事,簡稱同平章事)

武則天の代に同鳳閣鸞台平章事と改められた(武則天時改稱同鳳閣鸞台平章事)

后来朝廷为了表示尊荣,也对一些节度使加同平章事,这些节度使就成为所谓的使相。

因此其他参予政务并加同中書門下三品[注 1]同中書門下平章事(资历不及三品者)名义的官员都是事实上的宰相。武則天時改稱同鳳閣鸞台三品代宗時改為同中書門下平章事、簡稱同平章事

  • 同中書門下三品(643 - 662年)
  • 同東西台三品(662 - 672年)[2]
  • 同中書門下三品(672 - 684年)
  • 同鳳閣鸞台三品(684 - 705年)[3]
  • 同中書門下三品(705 - 713年)
  • 同紫微黃門三品(713 - 720年)[4]
  • 同中書門下三品(720 - 738年)

受任者[編集]

太宗の時期[編集]
高宗の時期[編集]

武則天の時期[編集]

中宗の時期[編集]

睿宗の時期[編集]

玄宗時期[編集]

粛宗の時期[編集]

後唐の時期[編集]

後周の時期[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 唐の初期、中書省の長官は中書令で、門下省の長官は侍中で三品官であった。

脚注[編集]

  1. ^ 官品』 - コトバンク
  2. ^ 資治通鑑』 卷200https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91/%E5%8D%B7200。"高宗天皇大聖大弘孝皇帝上之下龍朔二年(壬戌)春,正月,辛亥,立波斯都督卑路斯為波斯王。二月,甲子,改百官名:以門下省為東台,中書省為西台,尚書省為中台;侍中為左相,中書令為右相,僕射為匡政,左、右丞為肅機,尚書為太常伯,侍郎為少常伯....."。 
  3. ^ 資治通鑑』 卷203https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91/%E5%8D%B7203。"高宗天皇大聖大弘孝皇帝下光宅元年(甲申) 九月,甲寅,赦天下,改元。.....門下省為鸞台,中書省為鳳閣,侍中為納言,中書令為內史;御史台為左肅政台,增置右肅政台;其餘省、寺、監、率之名,悉以義類改之。"。 
  4. ^ 資治通鑑』 卷210https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91/%E5%8D%B7210。"睿宗玄真大聖大興孝皇帝下開元元年(癸丑) 十二月,庚寅,赦天下,改元。尚書左、右僕射為左、右丞相;中書省為紫微省;門下省為黃門省,侍中為監....."。 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

[[Category:中国の官名]]