掛川城に入封した山内一豊が豊臣秀吉の関東に対する思惑を考え大規模な城の改築を計画[1]。
天正19年に山内一豊着工。
慶長元年、天守完成[2]。
宝永4年(1707年)大地震[3]。
安政元年(1854年)安政大地震で大破。
明治廃城[4]。
昭和30年代の終わりごろ天守閣復元。
昭和52年掛川公園整備事業の進行中安政大地震によって埋まった山内一豊時代の天守台の石垣の一部が発掘される。ちなみに現在はまた埋められている[5]。
- ^ ふるさと探訪 掛川の古城,p.24
- ^ 掛川城,p.49
- ^ 掛川城復元調査報告書,p.51
- ^ 掛川城,p.49
- ^ 静岡県 古城めぐり,p.157