利用者:合田俊幸/sandbox
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近藤重蔵ゆかりの地(石碑)
北海道上川郡和寒字塩狩
天塩川から石狩川を踏査する近藤重蔵一行6人(このほか案内人と荷役運搬人)は、陽暦1807年11月10日から11日にかけて、士別市と比布町の間で野宿をした。(北国研究収録第2号、1998年)
121年後の1928年9月、マタルクシュケネブチ川の塩狩で砂利採取をした際、佐藤千洲工事監督によると、一振りの日本刀(脇差)が発堀された。刀はさびていたが三ツ葉葵(徳川将軍家の紋章)を彫った立派なつばがついていた。近藤重蔵が天塩川から来た際、同地で供の者が病没したのでその死をあわれんで刀もろとも埋葬したと伝えられている。
40年後の68年9月23日、坂東幸太郎、佐藤千洲、伊藤善弘、須貝謙二郎、莅戸三郎によって、ニレの木による「近藤重蔵ゆかりの地」木標が建てられた。現在の石碑は76年10月9日に和寒町が再建したもので、正面には「和寒町長 芳賀敏夫書」と刻んでいる。(和寒町史、1975年、和寒町百年史、2000年)