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利用者:和成/sandbox

ウィキぺディアの「日本統治時代の朝鮮」のページと「日本統治時代の台湾」のページでは、下記の質問と回答に該当する文章はどれですか?

戦前の朝鮮半島史を知らないので、NHKで7月27日放送「戦後史証言プロジェクト」日本人は何をめざしてきたのか 第4回「猪飼野~在日コリアンの軌跡~」を見てNHKに下記の質問し回答を得ました。

質問1、小作農に転落して生計が成り立たなくなる前の朝鮮半島出身者や台湾出身者は、自作農だったのですか?

回答、植民地統治以前の朝鮮では、国王や王室が所有する土地や両班と呼ばれる特権階級が所有する土地を農民が耕作し、生産物の40~50%を年貢として納めていました。長年耕作された農民の土地は子孫に相続され、売買も可能でした。ただ、法的に登記を行うなどきちんとした所有関係が明示されていませんでした。日本の朝鮮総督府は、土地調査事業を通じて、土地の所有関係を文面で整理します。そうした手続きは文字の読めなかった多くの農民には困難で、無申告の土地も多く出ました。そうした土地を国有地とした朝鮮総督府は、東洋拓殖株式会社など日本の会社に安く払い下げます。東洋拓殖株式会社は、土地調査事業が終わった1918年には8万町歩の巨大地主となりました。1918年には、農家総戸数の3.1%にすぎない地主が、耕地総面積の50%以上になる219万町歩を所有することになります。したがって、農民の多くが、土地調査事や業やその後の産米増殖計画、水利施設の拡充による「水税」(水利組合費)支払の負担などで、土地を没収されていきます。こうしたことからナレーションでは「当時、朝鮮半島は、日本の植民地支配のもと、農民の多くが小作に転落。貧しさの中で、遠く旧満州や日本に生活の糧を求める人が少なくありませんでした。」としました。

質問2、戦前の植民地統治では朝鮮半島や台湾の出身者は植民地成立と共に日本国籍に成ったのですか?

回答、1910年の韓国併合条約によって、すべての朝鮮の人々は日本国籍保持者であるとされました。台湾の人々も、日本の植民地下において同様に考えられました。朝鮮半島の人々は「帝国臣民」に編入されましたが、参政権や義務教育など権利や義務は日本人と区別されました。