利用者:探偵
ウ・オッタマ僧正
ミャンマー独立の父であるウ・オッタマ僧正のことについて、紹介したいと思います。ウ・オッタマ僧正は日本と深い関係がありました。
ウ・オッタマは1879年12月28日にアラカン州シットエ市で生まれました。子供の時から何をしても一番になりました。16歳の時に僧侶になって、19歳の時にインドのカラカッタ大学に留学しました。その後、イギリスにも留学しました。更に、色々な国々を訪問しました。言語の才能に恵まれ、12の言語が出来ました。
1904-5年の日露戦争に日本が勝ったことで、日本にとても興味を持ちました。どのような経緯かは分かりませんが、ウ・オッタマは日本人、大谷光瑞さんと友達になり、色々お世話になりました。1907年から1912年にかけて3回も来日しました。
その時、日本について色々学び、東大で仏教哲学を教えることになりました。その後、ウ・オッタマはミャンマーへ帰って、若者6人を日本に留学させました。そのことは日本に多くの留学生を受け入れるきっかけになりました。また、明治時代の日本の文化、生活、習慣などについての本を出版し、ミャンマーの人々に紹介しました。
ミャンマーでイギリスから独立する運動(抗英独立運動)を唱えて、投獄されました。ウ・オッタマは解放されて、また抗英独立運動を唱えて何度も何度も投獄されました。そして、1939年9月9日に獄死しました。刑務所の中で亡くなってしまいました。ヤンゴンでウ・オッタマが住んでいた寺はウ・オッタマ日本語教室として活用され、ミャンマーにおける日本語普及の基礎となりました。1963年1月10日、故郷のアラカン州シットエ市にウ・オッタマ公園が作られました。そして、銅像も建てられました。日本の名古屋でもウ・オッタマ博物館が今も残っています。
私がどうしてウ・オッタマ僧正のことについて、紹介したいかをこれからお話したいと思います。ミャンマーがイギリスの植民地だった時に、国民は色々と迫害され、苦しんでいました。ミャンマー国民が奴隷のような状態から抜け出せるように自分の命をかけて、抗英独立運動をするように人々を指導しました。ウ・オッタマが抗英独立運動で唱えた言葉は「若者たちは国内でこのままいないで国外へ出て、色々な知識を受けるべきです。」、「怖がらないで正しいことを言う勇気がある人は決して迫害されません。」、「若者たちが団結し、努力すれば、絶対に独立出来る」などを今もまだ忘れられません。ウ・オッタマ僧正はミャンマーが独立する道を教え、人々の目を開かせました。勇気があって、人々の為、命をかけて独立を目指し、頑張ったことに敬服しています。
ウ・オッタマ僧正
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