利用者:数寄屋衛新/sandbox
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十代目 八木 甚兵衛(やぎ じんべえ、生年不詳 – 大正4(1915)年没)は、清風荘や旧広瀬宰平邸などを手掛けた数寄屋造りの名匠とされる近代和風建築家、住友家お抱えの大工棟梁。屋号は古妻屋(こつまや)。
住友金属、住友銀行、住友保険の基を作った男爵で東山天皇の男系6世子孫である住友友純(十五代住友家当主、住友吉左衛門友純(春翠))をはじめ、中之島図書館や住友ビルディングの設計をした建築技師・日高胖や、創設間もない住友営繕の基礎を築き大阪府立図書館や住友家須磨別邸を建てた建築家で工学家の野口孫市、明治政財界の要人が競って重用した作庭家で庭師の七代目小川治兵衛からも信頼篤い人物であった。
家系
[編集]八木甚兵衛の祖先は元々、赤松円心に仕える播磨の武士で、八木家の芳名帳の表紙には「赤松円心末孫」という表記がある。武家家伝但馬八木氏というサイトの最下段に数行その説明があるが、戦国時代には石見守の肩書きを持つ寺内城の主であったという。
但馬八木氏は山名氏方の武家であったのに対し、赤松家の部下であった甚兵衛の祖先は播磨の武家であり、赤松家が滅ぶまで付き従った。
江戸時代になり、徳川家宣の時代に大工をしていた八木作太夫が名乗ったのが甚兵衛の名で、初代となる。
徳川吉宗の時代に二代目甚兵衛が屋号の古妻屋を使い始め、以降、十一代まで八木甚兵衛の名は受け継がれていく。
中でも九代目、十代目、十一代目は住友家のお抱えになり、特に十代目は後世に名を遺す建築物を多く手掛けた。
没年表
[編集]名前 | 没年月日 | 備考 | |
---|---|---|---|
初代 | 八木 作太夫 | 正徳元卯(1711)年 8月24日没 | |
二代目 | 俗称不明 | 元文元辰(1736)年 5月8日没 | 古妻屋を屋号とする |
三代目 | 俗称不明 | 明和九辰(1772)年 2月21日没 | |
四代目 | 八木 五郎兵衛 | 安永八亥(1779)年 10月朔日没 | |
五代目 | 八木 三兵衛 | 文政十二丑(1829)年 正月26日(78歳没) | 中興 開山興 |
六代目 | 八木 文右衛門 | 文政五午(1822)年 正月8日(45歳没) | |
七代目 | 八木 山吉(後名) | 嘉永四亥(1851)年 3月24日没 | |
八代目 | 八木 重次郎(幼名) | 天保八酉(1837)年 9月廿日没 | |
九代目 | 八木 保次郎(幼名) | 明治15(1882)年 11月7日没 | 岡野勘兵衛 倅 |
十代目 | 俗称不明 | 大正4(1915)年 6月16日没 | 東埜仙次郎 次男 |
十一代目 | 未確認 | 未確認(62歳没) |
九代目の代表的な建築物
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・住友家鰻谷本邸洋館(現・住友資料館、大阪府長堀/明治12年(1879)/建築
十代目の代表的な建築物
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・元住友家本邸内ビリヤード場(住友家鰻谷本邸跡)/大阪府島之内/明治12年(1879)/設計、施工
・広瀬宰平の新居浜宅(旧広瀬家住宅)新座敷/愛媛県新居浜市/明治22年(1889)国指定重要文化財(H15/2003)、国の名勝指定(H30)
・泉寿亭(接待館)/愛媛県新居浜市/明治23年(1890)/設計・施工
・住友活機園(旧伊庭家住宅・和館)(非公開)/滋賀県大津市/明治37年(1904)/設計/国の名勝指定(H30)、国指定重要文化財(H14/2002)
・稲畑勝太郎邸(和楽園/何有荘)・書院』/京都東山南禅寺界隈/明治38年(1905)
・清風荘(西園寺公望京都別邸)/京都府/明治40年(1907)、大正元年~大正3年/設計/登録有形文化財(H19)、国指定重要文化財(H24/2012)、国の名勝指定(H26)
・茶臼山・住友家本邸(現・天王寺公園及び大阪市立美術館、慶沢園)/大阪市天王寺区茶臼山/大正4年(1914)?
・旧住友家本家大阪別邸/別家・住友銀行頭取邸(現・料亭まつむら)/大阪府天王寺/大正3年(1914)建築。(昭和34年(1959)料亭として開業。)/施工
・有芳園(旧住友家鹿ヶ谷別邸)』(非公開)/南禅寺別荘群/大正9年(1920)
※十代目八木甚兵衛が建築途中で逝去したため十一代目が引き継いだ建物。
十一代目の代表的な建築物
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・旧住友家衣笠別邸・門衛所(現・聖ヨゼフ修道院・門の家)/京都府北野/大正9年(1920)煉瓦造平屋建/施工(設計は多久仁輔)/国の登録有形文化財(1998)
その他
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愛媛県大洲市の臥龍山荘については、八木甚兵衛が相談役として関わったとする資料の載った本[1]もあるが、ここでも詳細は不明。
もしこの八木甚兵衛なら臥龍山荘が着工された明治36(1903)年の十代目甚兵衛は京都ではなく天王寺に住んでいるのだが、1945年の大阪大空襲で八木家も被害にあい、殆どの資料が焼失しているため確認できない。
参考文献
[編集]・八木家に残る過去帳・芳名帳
・西福寺による過去帳
・「住友春翠」編纂委員会(1955)/住友春翠編纂委員会
・論文/別子銅山記念図書館 専門員 坪井利一郎 著
・第286回京都市考古資料館文化財講座 /京都埋蔵文化研究所 田中利律子 講義
・大阪市立美術館・美術館小史/土井 久美子 著
・『琵琶湖疏水と生活生業・第5節 琵琶湖疏水で結ばれた岡崎・南禅寺界隈庭園群の成立/P. 167‐5. 近代数寄空間の創出』/奈良文化財研究所景観研究室 著)
・水郷の数寄屋 臥龍山荘/愛媛県大洲市/矢ヶ崎善太郎 監修
外部リンク
[編集]- ^ 水郷の数寄屋 臥龍山荘/愛媛県大洲市/矢ヶ崎善太郎 監修