利用者:服部宇孜
出身
[編集]奈良県天理市生まれ。祖父・祖母共に奈良県磯城郡・北葛城郡出身で、奈良県 服部本家の人間。
最終学歴は奈良県立医科大学 生体機能制御機構学 にて高木都教授の指導の元、医学博士を取得。現在、医療法人を中心とした医療・介護・福祉事業、その他を運営している。
この宇孜という名前は裁判で認められ以前の名前に並行して使用許可を公的に得ている。
1998年よりDUB JAPAN(ダブ ジャパン)の日本法人プロデューサーとして活躍
ラグジュアリーという文化を世界に流行させた仕掛け
[編集]今や文化的にさまざまな生活、ライフスタイルの箇所で使われているされているLuxury(ラグジュアリー)という言葉だが、世界一般的に使用するように拡散させたのがDUB MAGAZINEである。
1998年から法人の準備室をアメリカ( DUB MAGAZINE )と日本で開設し、2000年に法人開設し本格的に始動する。
DUBは、運営方針・DUBのスタイルとなる代名詞を何にするかを模索していた。なぜならば、法人格にするにあたり、1998年以前よりにモーターショーを行ってはいたが、オールドクラシック、ホットロード、ローライダー、スポコン、4WD、ワゴン、バイク、何でもありのオールジャンルイベントを実施していた。そんな決まりのないDUBのモーターショーだが、新しいジャンルのコンセプトイベントを行わない限り、世界から注目もされずに周りの数ある多くのモーターショーイベントに飲み込まれてしまうことは目に見えていた。そこで、一般人でも夢を叶えることができる!自分次第で頑張ったものに栄冠を!運やタイミングもそいつ次第!という成り上がり、目立ったもん勝ち!という自分の壁をぶち破ることをコンセプトに方針となる看板的文言を考えた。
看板文言を当時全く認知されていない『LUXURY』という言葉に
[編集]2000年までにもっとも一般的によく使われていたのは「ゴージャス」「セレブ」「ブルジョア」など。しかしDUBが、アメリカンドリームを例に挙げ、成り上がって成功を掴み、権威とお金を掴み取ったライフスタイルを言葉で表す際にどのような言葉で表そうかと考え、当時ベンツなどの高級車のシートに使われていた『ラグジュアリーシート』の『ラグジュアリー』の言葉を取り上げ、『LUXURY』を成功者のライフスタイルの代名詞として、メディア、イベントなどを通じて全世界に発信し、言葉のみならずライフスタイルの文化として定着させた。
DUB 日本法人では
[編集]当時東京・大阪・愛知での大型モーターショーのマンネリ化して入場者数が激減している状況を改善するため、モーターショーの展示方法の改善提案を依頼され、今までノーマルの未来コンセプト車を展示したり、数ヶ月後にディーラーのショーウインドウに展示される車をただ展示するのではなく、今までタブーであった改造車、カスタムカーのショーを入場者参加型体験含めて、常識はずれに高級車をカスタムするのか?こんなにカスタムできるものなのか?一体どうやって?と驚きの声が絶えないラグジュアリースタイルのカスタムカーをずらりと展示する方向性を示し、日本のみならず世界のクルマ業界に激震と雷鳴を響かせた。それ以降さまざまな新しいカスタムアイテムを生み出し、今では車メーカーでさえ当たり前の装備になってきたTVモニターのポップダウン、ヘッドレスト裏のTVモニターなど社会に寄与した。
日本で『LUXURY』という言葉を定着させた流れ
[編集]まず、上記にあるモーターショーでDUBの名前を流行らせたくらいでは全国的ビジネス、またアジアの中心となるイベントの文化を生むことは困難。
まず、ラグジュアリーの基本方針に基づいたお金の使い方をしてくれるDUBユーザーを産まなければならない。
そもそもDUBは、代理店となるカスタムショップ、その顧客となるユーザー、その周囲の取り巻きファンが中心となるが、代理店が利益を上げてもらわなければDUB日本法人にはマージンも入ってこなければ、モーターショーに出展してもらえない。ユーザーは周りから一目置いてもらう存在にならなければ、車をカスタムする意味を失う。取り巻くファンたちは、自分が目指したい理想的な煌めきを高揚感を受けなければ興味がなくなり、自然と離れていってしまうのが世の常。その循環を作り上げるために、まず、ユーザーにお金儲けを行ってもらわなければならないと考え、どこにどんなブームを作り込むか、またどのようにメディアに取り上げてもらい、全国的に一気にコンセプトを広げ盛り上げていくかを考えた。DUBは、ライフスタイルに取り込まなければならないもので、車(バイク)・音楽・ファッション(服・靴・アクセサリー)を三代柱としていたので、それに纏わることに対して常にアンテナを張っていた。そんな2000年、法人を立ち上げてから数年経った時、MBS(TBS系)のN氏より神戸コレクションの立ち上げの話をしていただいた。フランスやイタリアでヴィトンやグッチ、エルメス、コーチなどなど名だたるブランドが行うファッションショーと同じような本格的ファッションショーを日本で立ち上げたいという話であった。
これは、このメディアが全力を出して本気で行う全国的、いやアジア全域に広がるようなファッションショーは、必ずファッションブームを作り上げるに違いない。そうすると、ファッション界で成り上がってくる服のメーカーが多く産出される。そのお金をつかんだ人間はどこにお金を使うか?どうやったら車にお金を使うか?特に都会は車は必需品でもなく贅沢品。その贅沢品の中でも1千万以上の外国車を購入し、さらにカスタムするのにその3倍以上の費用を費やしてくれるようにするか。・・・それは周りからこんな車がかっこいい!こんな車に乗りたい!という刷り込みのように脳内に浸透させなければならない。ということは、その成り上がりの取り巻きとなる周りの人間にこの車がかっこいいという概念を刷り込まなければならない。
当時、アメリカではDUB MAGAZINE、その代理店となるカスタムショップが先行してHIPHOP、R&B、REGGAEなど音楽業界で頭角を表していたアーティストにド派手でクールなカスタムカーをミュージックビデオに提供し登場させていた。ハリウッド俳優やスポーツ選手などはゴシップ氏がゴージャスな生活模様を雑誌に取り上げたりしていった。その影響もあって、取り巻きとなる人間だけでなく、オーナーとなる人間にも今の流行りの車の種類であったり、カスタムであったり浸透するのが早かった。
モテたいというのが生き物のサガでもある。成り上がった男性は多くの女性にモテたいと思うのがサガ。成り上がった女性は、さまざまな方面からチヤホヤされたいのがサガ。そして成り上がった後のさらなる夢、高みでもある。そこでDUB JAPANの関係者から出てきた言葉が、お水の世界を変えたい。女性が主人公のスナックやラウンジしかなかった当時の飲み屋さん。それを可愛いドレスで可愛い女の子たちがド派手に煌びやかにお客を迎える。店内も高級に装いそれこそラグジュアリーコンセプトにする。キャバクラの始まりである。しかし、キャストをどうするか。スナックやラウンジを高級内装に変える分、料金を引き上げる。しかしそれに見合ったものが必要。店舗やお酒だけでは金枝は来ない。やはり可愛い・綺麗な女の子たちが必要。しかも大量に。そこで、女の子たちに集まってもらうために、モデル事務所、レースクイーンをキャストの声をかけても人数が足りない。そうしたらやはりluxuryという言葉とそれが流行という概念を徹底的に仕込まなければならない。
そこでTV番組内で多く出演してくれていた芸能人・芸人にラグジュアリーって知ってる?聞いたことある?と番組内で番組に出ているキャストに投げかけてもらうことを行なっていった。と同時に、当時の神戸コレクション開催に沿ってファッション雑誌が世に複数出ていく際に、ラグジュアリーコンセプト=煌びやか、ドレッシー、ゴージャス、ヒラヒラドレス、=ヨーロッパゴスロリという連想を実際に流行させるために素人をモデルへと作り上げ、メディアにプッシュすることで一つのラグジュアリーは流行りのスタイル。その流行の取り巻きはお姫様スタイルのゴスロリを見にまとう髪の毛をクルクルさせた姫=ギャルスタイルというその当時アムラーが流行っていたが、新たなスタイルを世に送り込み、そのモデルたち、そのモデルたちを憧れ、崇拝する周りの女性たちをメディア、ファッションイベントと並走させブームを作り、ファッションやメイク、ヘア、に敏感な女性たちを夜の世界でさらに煌めかせる流れを作ることができた。
すると、その煌びやかな夜の蝶の世界に車のオーナーとなる成り上がり候補の男性陣たちが我先にと足繁く通うこととなる。その煌びやかな蝶たちは流行の洋楽、ミュージックビデオにも敏感なので、あのアーティストのミュージックビデオに出ている車かっこいいよね。あんなカスタムされた車に乗ってみたいな。誰よりもかっこいい車に乗りたいと男性に声をかける。そうすると、周りよりかっこいい自分を見せたいと思う男性は車を購入するためにディーラーに走ったりDUB代理店に走ったり、そしてカスタム可能なDUB代理店に走ったりとDUB=ラグジュアリーという言葉が一人で歩き始める時代の始まりと幕開けとなった。
DUBの名前起源
[編集]おしゃれは足元からと言われるように、特に17インチのホイールに分厚いタイヤを高級車に装着するのが主流の時代、20インチ以上のホイールをワンオフで作成し、扁平の薄いタイヤをスタイリッシュに高級車へ履かせコンピューターセッテイングを1から設定する。革という部位には高級ブランドの革製品を流用し、かつアメリカンナイズの派手さを失わないようにあちらこちらにモニターやオーディオを設置させ、止まる事を知らず、手を入れるたびにゴージャスに変化するそのオプショナル装備は常にワンオフ仕様。手を入れるのに車体価格の何倍もの投資をそのスタイルに施し、これこそ唯一無二の存在と言えるスタイルである。
医療法人
[編集]三重県名張市、大阪府福島区、大阪府豊中市に5つのクリニック
介護法人
[編集]奈良県天理市、三重県名張市に14の事業所
福祉法人
[編集]三重県名張市に1つの事業所
飲食事業
[編集]ハワイ、アメリカに法人