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利用者:析空

析空(しゃっくう)とは、仏教思想である、(くう)の概念のひとつ。 分析的手法によって理解した空という程の意味。仏教の長い歴史の中で、さまざまな空の概念が生まれた。日本で有名なのは、竜樹が説いたとされる大乗仏教の空である。析空は小乗仏教の空と呼ばれる。 空とは、古来、「中空の竹」と称されてきたように、中身のないこと、とされている。 析空観は、ものの在り方を分析して、実体と呼べるもの、いつまでも変らずに存在するものが、ものの中に無いことを観ていくことによって、執着を捨てることを目的とする。

車の譬え[編集]

析空観の例としては、車の譬えが有名である。 車といってもさまざまのモノがあるが、人々は漠然と「車」という概念をもっていて、多くの人々の「車」の概念は、おおよそ大差が無いといえる。現代でいえば、乗用車を思い浮かべるであろう。 その上で、「車とは何か?」と問うのである。 そこでまず、車の特徴をみてみる。 タイヤがあって、エンジンがあって、ハンドルがあって、車体があって、座席があって、その他細かなものが沢山組み合わさって、車が構成されている。細かなものは、この問題に影響が無いから【暗黙の了解】として「無視してよい」とする。 次に、タイヤが車か?と問えば、誰でも否と答える。エンジンが車か?と問えば、やはり否と答える。 車を解体して、タイヤや、エンジンや、その他のものを寄せ集めて、雑然と置いたとしたら、それだけでは車とは呼べない。 こうしてみると、車とは、その構成要素が「適切に組み合う」ことにより、初めて人々に車と認識されることが分かる。 この「適切に組み合う(関係性)」ということを、仏教では【縁起】といい、【法】と呼ぶ。そして、ものごとが関係性によって成り立っていることを、【本質が無い】とか【自性が無い】というのである。 それが【(くう)】である。 この場合、正確には、車というものは存在しない。 ものごとが適切に組み合わさって、人々が「車」と呼ぶなにものかが、縁起しているのみである。 そして、人々が存在していると考えているものは、すべて無常である。