利用者:海獺/Event/20220911/でいらぼっち
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2022/8/28に記載されている版。説明はなされているが、出典がない。
相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。相模原市南区に「大沼・小沼」の地名が残るが、かつて実在したこの二つの沼はデイラボッチが尻餅をついた跡であり、その間に「ふんどし窪」という溝状のくぼ地があったという伝承もある。
↓以下のように加筆編集および画像追加
相模原市の伝説では「でいらぼっち」と呼ばれている。巨人が富士山を背負って運ぶ途中、大山に腰かけて一休みした。再度持ち上げようとしたが持ち上がらず、悔しがった挙句あきらめた。その際、踏ん張った左足の跡がJR淵野辺駅の南口側の鹿沼公園内の白鳥池であり、北口側のかつて菖蒲沼と呼ばれていた場所(2022年現在のエスポット淵野辺店前に碑が残る)が右足を踏ん張った跡だと言われている。また神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線の鹿沼台2丁目24番付近には「じんだら沼」の標識看板があり、これはでいらぼっちが「地団駄」を踏んだという伝説の名残といわれている。相模原市南区に「大沼・小沼」の地名が残るが、かつて実在したこの二つの沼はデイラボッチが尻餅をついた跡であり、その間に「ふんどし窪」という溝状のくぼ地があったという伝承もある[1][2][3]。 相模原市では「でいらぼっち伝説伝承地」として2001年に鹿沼公園内の一部を市登録史跡としている[4]。
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かつてあった菖蒲沼の位置を表す碑
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鹿沼公園内白鳥池。でいらぼっち伝説の碑がある
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地団駄を踏んだといわれている場所の標識
出典
[編集]- ^ 座間美都治『相模原民話伝説集』座間美都治、1978年11月、44-45頁。
- ^ 山主敏子『さがみはらのふるさと絵本』相模原市教育委員会、1999年11月、52頁。
- ^ “巨人の足跡がある!?相模原市に残る巨人伝説「でいらぼっち」とは? - かなっぺ相模版|出かけよう!かながわの地域ポータルサイト for Smartphone”. kanape-sagami.com. 2022年8月28日閲覧。
- ^ “11.でいらぼっち伝説伝承地(でいらぼっちでんせつでんしょうち)”. 相模原市. 2022年8月28日閲覧。