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鹿島神社 | |
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所在地 | 横須賀市西逸見町二丁目70番地 |
主祭神 | 武御雷命 |
創建 | 応永十七年(一四一〇)年四月八日 |
本殿の様式 | 明治二十八年(一八九五)六月五日 |
例祭 | 6月上旬の土日曜日 |
由緒
[編集]鹿島神社(かしまじんじゃ)は、横須賀市に鎮座する神社。 旧鎮座地は現在の海上自衛隊の海辺で逸見森崎字七番七五二番地にあった。応永十七年(一四一〇)年四月八日、三浦遠江守が常陸の鹿島神宮 より勧請したと伝えられる。相模風土記に「村の鎮守なり、御神木は木像で一尺二寸、背に応永十七庚寅卯月初八日、五郎四郎□□佛子某敬と 記し花押あり」と見える。又天正二年(一五七四)十一月二十日朝比奈六大夫造営の棟札と寛永十三年(一六三六)八月二十四日三浦按針(英 国人のウィリアムアダムス(一五六四~一六二〇年)の子が社殿を造営した棟札が存在していたが、明治二十四年(一八九一)八月に乞食によ り全焼した。同年明治二十四年(一八九一)八月に仮殿を造りその後の明治二十八年(一八九五)六月五日現在地に社殿を建造して遷座して今 日に至っている。明治二十九年(一八九六)から祭礼日を六月五日に改められた。旧社殿の消失前の明治六年(一八七三)に村社に列格し、現 社殿に再建後の明治四十一年(一九〇八)には逸見町の各地に鎮座していた稲荷社、熊野社、神明社、浅間社、子神社、山中社を鹿島神社に合 祀した。更に、明治四十三年(一九一〇)十一月八日指定村社になった。先の第二次大戦後は氏子により民主的な運営となり今日に至っている。
祭神
[編集]祭事
[編集]大神輿の由来
[編集]本神輿は明治四十三年六月、鹿島神社新造営の竣工なりたる砌㐧一區(現東逸見㐧一町内会)有志らの浄財と労力 を結集し、一年六カ月間の星霜を費し新造されたるもので、大正十四年に当神社に社宝として、奉納された他に比類の ないもので、鎌倉鶴ヶ丘八幡宮に現在国宝として保存されたる神輿を模造した生地其の侭の壮重さがあるものでありました。 其の后昭和三十二年逸見吉倉七町内の寄進により金箔梨子地漆塗りに化粧直しされたものです。 平成二十六年六月吉日 鹿島神社氏子 東逸見㐧一町内会 山車神こし保存会 伊東香泉謹書 寄贈(有)ハウスプラザ按針
交通
[編集]鉄道
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鹿島神社(神奈川県神社庁)