コンテンツにスキップ

利用者:漱石の猫/sandbox4

池田 修造
2019年の池田修造のアトリエ
誕生日 1953年
出生地 京都府竹野郡網野町浜詰
(現・京丹後市)
芸術分野 現代美術地域アートミクストメディアアート・ディレクター
教育 大阪芸術大学美術科卒
会員選出組織 ヒカリ美術館館長(2010年-)
テンプレートを表示

池田 修造(いけだ しゅうぞう、1953年昭和28年) - )は、京都府京丹後市網野町浜詰出身・在住の立体造形美術画家デザイナー地域アートディレクター。自宅兼アトリエでもあるヒカリ美術館の館長。


人物[編集]

大阪芸術大学美術科卒業[1]1982年昭和57年)、アート・ナウ'82展に出品されたインスタレーション「モット ニホン テキニ」を、兵庫県立近代美術館学芸員(当時)中島徳博に高く評価され、中島との対話のなかで、対象を等身大で描くことを想定する「1/1(いちぶんのいち)」のイメージを明確にした。ありとあらゆるものが「存在することそのものが表現」であるととらえ、風景を描くにはその風景と同じだけの空間が必要だと想定する「1/1(いちぶんのいち)」の考え方を明らかにする[2]。やがてヒカリ美術館を開館することになる池田修造のアートへの概念のきっかけとなった。


1990年頃に地元である竹野郡(現・京丹後市)網野町にアトリエを構えて以来、「日本の夕陽百選」に選ばれる景勝地である夕日ヶ浦海岸(浜詰海岸)の夕日や太陽光などを題材とする作品を主に手掛ける[3]1996年(平成8年)、峰山球場沿いの町道にある扇谷遺跡の擁護壁に屋外ミュージアム「天女のシズク」を制作する[4]後述)。風土やその土地の歴史がアートによって再認識されることが、新たな魅力として未来につながると考え、地域を活性化するプロジェクトに携わることをライフワークのひとつとしている[5]。芸術を通して地域の魅力を発信するべく、アート・ディレクターとして活動する傍ら、2000年頃から、その活動の拠点となる美術館の建設をめざし、3年の工事期間を経て2010年(平成22年)5月にヒカリ美術館を開館する[3]

2011年(平成23年)、丹後の観光を東アジアの交流をテーマに開催された「丹後力再生シンポジウム」に、当時の京丹後市市長 中山泰や後にこまねこまつり実行委員会を立ち上げることとなる田中智子らとともに、パネラーとして参加した。

池田修造(右)。2007年、ヨシダミノル(左)のアトリエにて

2008年(平成20年)「舞鶴メディアアートプロジェクト2008/竜宮への時間」など、企画プロデュース多数[6][7]峰山町を中心に展開するねこプロジェクトのワークショップ絵付け狛猫の原作者である[8]

作風とおもな作品[編集]

アクリル絵の具を主な画材とし、あらゆる素材を作品に用いるミクストメディアをベースに、ありとあらゆる事象そのものが放つ表現を、具現化する作品を制作する。具象抽象、天と地など対極にあるものを融合させた画風を追求する[4]


丹後に帰郷後は、丹後地方の歴史や文化、環境問題など様々な事象を題材とした地域アートを手掛ける。丹後の「丹」には、丹色という意味があり、「白」は明るくなる前の最初の光をイメージさせることから、白を基調にした色彩作品を多く制作する[9]


代表作 天と地の間 [2011] カラテレビ [2000] 地球のピースは揃っていますか [2007] 天と地の間 [2011] ヒトヒ[2007] 「へ」のカタチ[2004] [10]

インスタレーション[編集]

  • 「ナルシスの家」
  • 「モット ニホン テキニ」


絵画・立体造形[編集]

  • 「日の木」2005年発表 壁に描いた樹木と地球儀を効果的に組み合わせた作品
  • 「ヒカリの棺」2010年発表 手塚治虫の鉄腕アトムをモチーフにした作品

陶芸(クレイワーク)[編集]

  • 2011年峰山町金刀毘羅神社 コマ猫「猫の目」制作 

屋外ミュージアム[編集]



企画プロデュース[編集]

  • 2008年メディアアートと丹後の伝説[龍宮の時間]プロデユース 出品作家(井上奈奈・梅田哲也・大城真・野田智之・山崎昭典)まいづる智恵蔵赤煉瓦倉庫6号館(舞鶴市)
  • 2010年日韓間人展in中浜[大地は器]プロデユース(京丹後市/中浜)出品作家韓国(パクソンウー・イチュンソク・キムドンフェ・カンビョンユン・イソンオク)日本(鈴木昭男・今貂子・つの田吉高・堤木象・三宅賢三・池田修造・ハンスペータークーン・和田淳子・山崎昭典)


評価と受賞[編集]

  • 1981年(昭和56年) 第1回吉原治良賞美術コンクール展出品「PAINT PAINTINGⅡ」で佳作を受賞[11]

おもな作品展[編集]

  • 1990年4月1日~15日 由布院空想の森美術館にて「グッドアート5人展」に、龍渕純一松尾恵中前寛文ヨシダミノルとともに出品[12]。 
  • 1995年11月6日月曜日?大分合同新聞に個展情報
  • 2011年北星社ギャラリー20年展(あさご芸術の森美術館)
  • 2010年12月〜2011年1月■ヒカリのあかり展(ヒカリ美術館)
  • 2007年ヒカリノカタチ展「ヨシダミノル&池田修造」まいづる智恵蔵(舞鶴市)、舞鶴赤れんが倉庫群にて京都を代表する現代美術作家ヨシダミノルと「ヒカリノカタチ」展を共同制作[13]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ “ふるさと固有の芸術、文化を”. 京都新聞: p. 27. (1996年5月25日) 
  2. ^ “見世物小屋に深い意味”. 読売新聞: p. 5. (1983年1月12日) 
  3. ^ a b 片村有宏 (2010年7月15日). “火と光をテーマに美術館”. 京都新聞 
  4. ^ a b c “出かけて見ようよ3”. 産経新聞. (1996年5月16日) 
  5. ^ 京都新聞出版センター『’04~05京の日本海・丹後 カニと温泉』京都新聞出版センター、2004年、42-43頁。 
  6. ^ 「ねこじゃらし」№73 キャットテール、2010年7月10日発行。
  7. ^ “京丹後の小漁村にアーティスト集う”. 毎日新聞社: p. 23. (2010年8月17日) 
  8. ^ 寺脇毅 (2018年3月13日). “「狛猫」で地域おこし”. 朝日新聞: p. 33 
  9. ^ 民間主導で活性化!京丹後龍宮プロジェクト
  10. ^ 丹後の作家”. TOTOYA. 2019年2月5日閲覧。
  11. ^ 『吉原治良賞美術コンクール展1981.3.16-4.4』大阪府立現代美術センター、1981年。 
  12. ^ 展覧会カタログ(ヒカリ美術館所蔵)
  13. ^ “光が織りなす赤れんが空間”. 産経新聞: p. 22. (2007年9月19日) 

外部リンク[編集]