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利用者:真実一筋/sandbox

磁気カードシステム(じきかーどしすてむ)とは、携帯に便利で、任意情報の記録・再生機能を有する磁気カードを用いて、利用者への各種サービスを提供するシステムの総称。 具体的な事例としては、金融機関でのキャッシュカードによる現金自動預け払い機や、流通業界でのクレジットカードポイントカードによる個人認証装置や、交通機関での切符や定期券や回数券やオレンジカードによる自動改札機や、医療機関での診察カードによる予約受付機や診料精算機や、通信機関でのテレホンカードによる公衆電話での通話料精算機等を指す。

開発経緯

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現在の日常生活に定着しているカード社会の実現に繋がる磁気カードシステムを開発したのは、当時の立石電機(現、オムロン)。 その開発のきっかけとなったのは、1963年(昭和38年)、同社創業者立石一真氏自らが米国大手自販機メーカーを訪問した時で、その当時の米国では既にクレジットカードがかなり普及しており、現金の使用はスーパーマーケットでの買い物、自販機での買い物、チップ位と限られていた。 そこで同社に上述の自販機メーカーから「硬貨の代わりにカードで自販機の物が買えるシステム」の開発依頼があり、この開発は今後のソーシャルニーズを満たすシステムと捉えた同社は、即座にその依頼を受諾。 そして、同社は最初に穿孔カードによる後払い方式の自販機 (注、以降穿孔カード式自販機と略す、またその開発チームを穿孔カードシステム開発チームと略す)を開発し、次に磁気カードによる前払い方式の自販機(注、以降磁気カード式自販機と略す、またその開発チームを磁気カードシステム開発チームと略す)を開発。 この後者の磁気カード式自販機は、事前に一定金額を記録したカードの残高から取引毎にその商品の代金に見合った金額をその都度減額する必要があった。 この取引毎の減額方法として、当時のアナログ信号の音楽が録音された磁気テープとその録音再生機能を有するテープレコーダをヒントに、デジタル信号の情報をカード上に記録した磁気カードと、その情報を磁気ヘッドで再生し、夫々の用途に合わせて情報処理する装置からなる磁気カードシステムを開発。 「カードの価値を変更する方法および装置:特許出願公告昭45―003992・・・昭和41年2月出願」(発明者:赤松博夫、長田正範) この磁気カード自体の開発は日立マクセル。磁気ヘッドの開発はサンエー電機 (現、サンエテック)。 特に磁気カード自体の開発の日立マクセルでは、あらゆる用途に対応できるようにその基本技術となる外界磁界の影響を受け難い高抗磁力の磁性体の開発や夫々の用途に必要なカードのベースとなるプラスチックや紙材等の選択やそのカードに磁性体を塗布する為の接着剤の開発等も同時に行なった。 なお、この磁気カードシステム開発のきっかけとなった磁気カード式自販機は技術的な試行は成功したが装置が大きい、価格が高い等の理由から穿孔カード式自販機と同様に本格採用には至らなかった。 この「携帯に便利で、顧客番号等の固定情報や金額・数量等の可変情報の記録・再生が可能で、しかもその記録内容は目視できない等優れた多くの特長を有する磁気カードシステムの基本技術を活かす為に、立石電機は国内での用途開拓とその応用技術の開発を行なっていった。 そして、従来、現金でしかできなかったデパート等流通業界での買い物を、顧客番号や暗証番号等を記録したクレジットカードでそれを可能にした個人認証端末の前身となる金融機関での預金者の個人認証用カード照合機を1969年(昭和44年)に当時の三和銀行(現、三菱東京UFJ銀行)と共同開発。 「カード識別装置:特許出願公告昭48―042748・・・昭和43年出願」 この開発の背景には、当時の金融機関における大衆化戦略とバンキングオンラインシステムの導入があった。それまでの預金の出し入れ時における個人認証方式は、口座を開設した支店での行員が窓口で出金伝票に押印された印鑑の印影と預金口座原簿の印影との目視による照合であったが、上述のバンキングオンラインシステムの導入によって、預金者は全店での預金の出し入れが可能となる中で、カード照合機は簡便な個人認証方式として評価された。 また、同社は、同年、そのカードに預金残高を追加記録したカードによって預金の出し入れを可能にした現金自動預け払い機の前身である現金自動支払機を当時の住友銀行(現、三井住友銀行)と共同開発。 「銀行等の事務データ処理装置:特許出願公告昭51―013981・・・昭和44年出願」 なお、同社は、1970年(昭和45年)には、現金自動預金機を上述の三和銀行と共同開発。 さらに、同社は、1971年(昭和46年)には、オンライン方式現金自動支払機を当時の三菱銀行(現、三菱東京UFJ銀行)および日本NCRと共同開発。 この金融機関のバンキングオンラインシステムでの顧客毎の元帳ファイルの更新ができるオンライン方式現金自動支払機の採用は当時の金融機関が大衆化戦略として推進していた給与振込の支払いの受け皿としての機能を発揮すると同時に政府が進めていた「週休2日制」導入の大きな後押しとなった。 なお、上述の磁気カードシステム開発チームのメンバーは、現金自動支払機の量産機の開発過程で、カード所有者の暗証番号の記憶違いの救済と他人によるカードの不正使用の防止の両立を図った、カード不正使用防止方式を考案。 「カード不正使用防止方式:特許出願公告昭49―029083・・・昭和45年出願」 この考案によって、1989年(平成元年)、「自動現金預金支払装置の照合判別機器の開発育成への貢献」として、日本政府より当時の同社会長 立石孝雄氏に藍綬褒章が授与され、また、その前年1988年(昭和63年)には、「カード不正使用防止方式の発明」として、公益社団法人 発明協会 (総裁 常陸宮正仁殿下) より同メンバーに「発明賞」が授与された。 なお、同メンバーは、磁気カードシステムの自動改札機への応用システムをも考案。 「自動改札方法および装置:特許出願公告昭49―029083・・・昭和41年出願」 一方、穿孔カードシステムでもその基本技術を活かす為に、国内での用途開拓とその応用技術を開発。 その一つが、従来の駅での駅員による定期券の改札を、乗車時刻や駅名や料金等を記録した穿孔カードによる定期券専用型自動改札機(以降、穿孔カード式改札機と呼ぶ)である。 この穿孔カード式改札機が採用されたのは、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会 (略称 大阪万博) 開催を前にしての1967年(昭和42年)の京阪神急行電鉄(現、阪急電鉄)千里線の北千里駅。 しかし、この穿孔カード式改札機は定期券専用型だった為、切符の誤挿入と云ったトラブルが多発。その解決策として上述の磁気カードシステムの技術を活かして、定期券だけでなく切符も使用可能な磁気カード式兼用型自動改札機(以降、磁気カード式改札機と略す) を開発。この磁気カード式改札機に於ける磁気定期券・磁気切符および磁気ヘッドも先述の日立マクセルおよびサンエー電機が開発。 この磁気カード式改札機の多くの交通機関の採用が今日の多くの乗客の利便性向上に貢献している。 また、磁気カードシステム開発のきっかけとなった磁気カード式自販機の前払い方式は、1982年(昭和57年)、当時の日本電信電話公社(現、日本電信電話株式会社)よりテレホンカードとして採用発売され、1985年(昭和60年)、当時の日本国有鉄道(現、JR各社)よりオレンジカードとして採用発売されていった。

開発経緯に関する誤報事案

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この開発経緯に関して、日本放送協会および日本経済新聞社は以下の要旨で報道。 ・NHK番組プロジェクトX「通勤ラッシュを退治せよ ~世界初・自動改札機誕生~(平成13年6月26日放 送」の放送要旨 「鑽孔カードシステム開発チームのメンバーが音楽テープをヒントに磁気切符を考案し、その切符は製紙 会社が製作した」

「磁気切符の技術は、思わぬものを生み出した世界初の現金自動預け払い機、カード社会の基礎を築い

た」 ・日本経済新聞社発行「私の履歴書(立石義雄)⑬阪急千里線(平成24年11月14日付)の記載要旨 「鑽孔カードシステム開発チームのメンバーが音楽テープをヒントに磁気切符を考案し、その切符は製紙 会社が製作した」 しかし、上述の磁気カードシステム開発チームメンバーの「上記の報道内容は誤報である」との指摘に対し、両者とも、誤報でないとする根拠に基づく反論ができず、上記の報道内容は誤報であることが確定している。