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利用者:緑好き

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どうも。緑好きです。その名の通り、好きな色はです。

海外へ行った事はありません。

名前の由来[編集]

  単純に色で一番が好きなので、シンプルに。他に好きな色もあります。とかとか。


思考[編集]

この文章は中立的ではありません。

利き手について[編集]

4次元の世界で左利きはかなり多数います。同学年のある人に、親がどうにか右利きにしたいということで利き手である左手を使うとうるさく注意してくる、という人がいます。

確かにこの世界は左利きが住みづらいように設計されてしまいました。しかしそれは左利きが悪いのではなく、設計者が悪いのです。もちろん設計者は、右利きが圧倒的に多いという点を考慮して、多くの人の為を思って物を開発するのでしょう。その点では設計者はよくやったと思いますが、左利きの存在について全く考慮されていない製品が少なくありません。「ユニバーサルデザイン」と云われる、身体の不自由な人が使うことを想定した自動販売機などが多くの公共施設にあります。身体の不自由な人への思いやりは重要ですが、その前に身体障害者でもない左利きの人についてあまり考慮されていないのが気になります。実際には、自販機程度でしたら左利きでも比較的容易に扱えると思いますが、思想の部分です。

左利きの頁で述べられているように、日本語の持つ文字は右手で筆記具を持つことを前提に開発されましたし、教育機関で配布される問題集などは左手にペンを持つと問題文が隠れるという大問題も未解決の状態です。私がこのような言葉を選んだのは、これらの問題はいずれ必ず解決されるべきであると思うからです。

右利きは右利きを願って生まれた訳ではなく、左利きも左利きを願って生まれた訳ではありません。全て偶然です。しかしながら左利きは左利きとしてこの世で苦労し、右利きはそうでもない、このようなことを看過する訳には参りません。

又追い討ちのように、現在はあまりありませんが左利きは差別され、矯正されたという過去があるのです。これはアパルトヘイトホロコースト同様に私たち人間・人類が永遠に許してはならない恥ずべき過去であります。

残念ながら矯正の方は現在も少なからずあるようで、その友達から話を聞いたときは極めて遺憾に思いました。

私はその差別を親から受けている方に、こう言わざるを得ませんでした。

「人の利き手を矯正(強制でも)しようとするあなたの親は、自分が何をしているのか 言っているのかを理解しません。故にそのような戯言を気にする必要はありませんよ」と。

私は右利きですが、少数派の左利きには憧れの念を抱いて、現在訓練中でございます。 自分が右利きだと気づいたのは、シトロエン・ZXの車内でした。それが10年近く前、仮に4歳だとして、それから今までの10年は右利きとして何の苦も知らず、生活してきました。 去年(2011年)の10月から左手を多用する生活に挑戦いたしまして、今では食事の際に左手で全く違和感なく、無意識に左手を使えます。筆記では、水性ボールペンアラビア文字ヘブライ文字以外を書く時、急いでいる時などは右手ですが、字の滲みが水性ボールペン程ではない筆記具のときには何文字を書くときでも左手を使っています。

単純に考えて、左利き:右利き=3:7、そして世界の人口が70億人ということは左利きの人は約7~8億人いるということになりますね。

とは言え、思想の分野で「極端」は厳禁だと思いますね。

極端な○○主義者はいずれ陥れられます。KKKや、捕鯨反対運動を展開する「シー・シェパード」などが良い例です。

もし左利きと右利きがこの世に住むことの容易さが等しくなったら、左利きの人の育ちやすい精神力の成長を妨げることになるかもしれません。しかし現に左利きの人が事故死することは右利きより多いようなので、それらを踏まえてこの世が変われば理想です。

近年流行りのエコカーについて[編集]

私は自動車が大好きです。特に1990年代から2010年程度までの欧州車に造詣が深くなりました。反面、贅沢ながらトヨタ・プリウスに代表される諸々のエコカーについては、嫌悪を示します。

反エコ主義というわけではありません。むしろ地球の将来を確保する為には、すべきでないことはせず すべきことはすべきと思います。

福野礼一郎氏の「自動車ロン」という著書から説明させていただきます。この著書ではトヨタ・プリウスとトヨタ・センチュリーの2台に触れることで現実を説明しています。

プリウスは直列4気筒+電気モーターのハイブリットが動力で、対しセンチュリーはV型12気筒が動力です。どちらが多くガソリンを消費するかは、一目瞭然でプリウスに軍配がいきます。では視点を少し他へやり生産台数に着目しましょう。プリウスはおよそ年間15000台を目標にしており、センチュリーは3000台程です。

15000台のプリウスと3000台のセンチュリーでは、燃料の消費量は凡そ同じでしょう。しかし使う資源の量に着目すると、プリウスであれ何であれ明らかにプリウスの方が地球に負担を掛けます。

折角、トヨタはハイブリットという画期的な機械を開発したのに、わざわざトヨタ自身が無に返しているのです。ではプリウスもセンチュリーのような高級車と同じような台数を目標に設定すればいいではないか、と思うでしょう。私も思います。

何故愚行を止めないのか。それは日本が資本主義の世界だからです。トヨタは私企業の法人企業であり、常に儲けなければ倒産してしまいます。それは避ける必要がある。

ここで魅力的なのが共産主義。もし日本が共産主義国家であれば、トヨタは国有企業であったはずです。そうであれば、儲かろう儲かろうと頑張る必要もなく、地球の資源は今程は減っていなかったはずです。

しかし資本主義が絶対に悪かというとそうでもありません。一生懸命に努力をして認めてもらえる、それもまた資本主義社会です。

ではどうすればいいのか。資本主義と共産主義のいいとこどりをした経済体制が理想なのです。可能なのかどうかまでは私にはわかりませんが、それをここに提案いたします。

尊敬する人物・好意的な人物[編集]

編集に関わった記事[編集]

いずれも、非常に細かい修正です。