利用者:荒巻モロゾフ
Aramaki Moroſovは本日もWikipediaを有難く利用させて頂いてゐる。
そこの生き急いでいるあんた、ここでゆっくりシーシャを吸ってきな
作業用BGM
- Rumi- مولانا - رو سر بنه به بالین تنها مرا رها کن
- Sufi - Tasavvuf Musiki Meşk
- Hazhir Mehrafrooz , YA MAN HU
- Hamdame Aah همدم آه - سالار عقیلی
ぷはー
君はひたすら舞わり続ける、その天と地の狭間で
私の目指すもの
それは羊の毛を纏い
王の心を持った
貧しき者
私の望むもの
それは平安
そして眩い命の炎
やがて松明となって
光の中で踊りだす
それは祈り
繰り返される
星の命の
その営みは
終わる事のない
宇宙への祈り
それは詩歌翅の山を越えて往くが如し
ウィキペディアの記事の執筆とは、喩えれば、色や形や大きさの異なる“積木”を組み合わせ、色を塗り替えた上で、統一感のある調和の取れた姿に整える行為です。
その“積木”は必ず出来合いのものを用いなければなりません。 うまく嵌らないから、気に入らないからといって森に生えている木を切って自分で“積木”を作って嵌め込んではいけません。 “積木”をノコギリで切ってボンドで別の“積木”と貼り合わせることも禁止です。 我々が“積木”に許された加工はあくまで色を塗り替えるだけに留まります。
出来合いの組み合わさった“積木”を崩さないでそのままの形で組み込むのもやってはいけない事の一つです。なぜならその様にして作られた作品はあなたの作品ではなく他人の作った作品であると看做されるからです。 必ず一つ一つの“積木”へと分解して、有用な宝物と、不要な不純物・ノイズ・ゴミとを分別した上で再構成しましょう。
そうやって積み重ねられた“積木”はまた別の人がそれを分解して再利用する事を見越した造りをしているべきです。 全体が美しい形をしているだけでなく、一部分を取り出してもそれだけで一つの作品として成立していなければなりません。 切り離すと血を噴き出して死んでしまう/摘み取ると枯れて干からびてしまう/分解すると回路が途切れて機能停止してしまう――そんな構造では失格です。
“積木”で作った城の玉座に「自分」という王様の人形を置いてはいけません。誰もがあなたや私の作った“積木”の城の主として振る舞う権利があるからです。
“積木”であなたの像を作ったり、あなた自身の言葉を喋らせてはいけません。“積木”は「誰のもの」でもあり、同時に「誰」でもないからです。「誰でもない」モノは自らについて決して語ることはなく、また自らと関わりのない物事についても知る由がありません。もし“積木”が自身のアイデンティティーを自分で決定したり、無秩序に情報を取り込んでいく様なことがあれば、もはやそれは百科事典としての役割を果たしません。
出典が付けられなくなった子はしまっちゃおうね
「 | ボクふしぎなんだよね。ひとのことって見ようと思えば見えるし、匂いをかげばちゃんと匂いがするし、さわればちゃんとさわれるのに、どうして考えることだけはわからないの? | 」 |
「 | なるほどお前の言いたいことはわかったよ。じゃあ今度はオレの意見を言おう。見ようと思っても見えないのは、そこになにもないからさ。匂いをかごうと思ってもかげないのは、そこに匂いがないからさ。誰かにさわろうと思ってもさわれないのは、そこに誰もいないからだよ。誰かの考えをわかろうと思ってもわからないのは、そこに言葉がないからさ。 | 」 |
救いはないんですか!?
در مهر و دوستي مانند خورشيد باش(情けと哀れみは太陽のように)
در بخشيدن خطاي ديگران مانند شب باش(他者の欠点を包み隠すのは夜のように)
هنگام خشم و غضب مانند کوه باش(苛立ちや怒りには死人のように)
در فروتني مانند زمين باش(謙遜や慎み深さは大地のように)
در هماهنگي و کنار امدن با ديگران مانند دريا باش(寛容は海のように)
偉い人にきいて、どうぞ。