利用者:蜂谷/ハンセン病 呼称の変遷
ヘブライ語「צרעת」からラテン語「lepra」までの変遷
[編集]以下は呼称の変遷であるが、必ずしもハンセン病を示すものではない。
- ヘブライ語「צרעת」
צרעת (ラテン文字転記:zaraath、仮名文字表記:ツァラアト)は、旧約聖書「モーセ五書」の「レビ記」(13章・14章)に最初に登場した。人間の皮膚表面や衣服、織物、皮革などの表面、家屋の壁の「変色」・「シミ」・「カビ」を意味する言葉であった。 [1]。この時代は科学と宗教の概念が切り離されていない時代であって、病は宗教的・呪術的問題として忌まわしい言葉としても浸透した。日本聖書刊行会より発行された「新改訳聖書」(新約1965年、旧約1970年初版)の第三版(2003年)では仮名文字で「ツァラアト」と訳された[1]。
- ギリシア語「λεπρα」
ギリシア語「λεπραは、もともとはギリシア語で、皮膚の表面に見られる鱗状の変化(ふけ・斑紋・しみ・あざ)を示す症状群を意味する言葉であった。よってこの時点ではハンセン病以外の幅広い病気がこの名前で呼ばれていた。それとは別に、ヘブライ語の「צרעת」は、ギリシャ語訳聖書「七十人訳聖書」(紀元前250年頃)で「λεπρα」(レプラ)と訳された。一方、1世紀になると新約聖書にも、例えばマルコによる福音書では「λεπρα」という言葉が使用されるようになった。
- ラテン語「lepra」
405年頃、ラテン語訳聖書「ウルガタ聖書」が作られた際に、「צרעת」や「λεπρα」はすべてラテン語で「lepra」(レプラ)と訳された[1]。それにより「lepra」という言葉はヨーロッパ中に広まった。
ハンセン病を示す言葉への変化
[編集]ギリシア語「λεπραは、もともと皮膚の表面に見られる鱗状の変化(ふけ・斑紋・しみ・あざ)を示す症状群であり、ハンセン病以外のものも含んでいた。λεπραまたはlepraがハンセン病のことをいうようになったかは諸説ありはっきり分かっていない。ローマ時代の医学者・ガレノス(130年 - 200年頃)は、「ハンセン病」の一部で皮疹を主に出現する型のもの(当時はギリシャ象皮病(elephantiasis graecorum)とも呼ばれた)を「λεπρα」と呼んだのが最初であるという報告もある[1]。ハンセン病が「λεπρα」と医学用語として表現されることになったことがきっかけで、ハンセン病自体が忌まわしい印象を示す病気であるとして浸透したという考え方もある[1]。
英語「leprosy」の誕生
[編集]1535年、カヴァーディルが英語で「leprosy」(レプロシー)とはじめて訳した[1]。英語訳に関しては、それ以前・以後も含めてlepruse, leprous, lieprous, leprus,leprosyeなど異綴もある。
- ^ a b c d e f 「ツァラアト」から「leprosy」まで、『ハンセン病のリンク集』