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利用者:重駆逐戦車 ヤークトティーガー

ヤークトティーガーは1944年の秋の大戦末期から、量産に入った重駆逐戦車である。

総重量約70トンで、128ミリ対戦車砲と最大で250ミリの装甲を備えていた。

ヤークトティーガーにはマイバッハHL230 P30 12気筒ガソリンエンジンが搭載されていた。 70トンを超える車体では、非常に出力不足であったが、最高速度は舗装道路では38km/h、非舗装路では17km/hに達した。 燃料消費量は悪かったが、865リットルの大容量燃料タンクにより、巡航速度で舗装道路を約170km、非舗装路を約120km走行する事が出来た。

12.8cm PjK 44 L/55は、3000m以上の距離から連合軍、ソ連軍の中戦車の正面装甲を貫通する事が出来た。 最大装甲厚250ミリは連合軍、ソ連軍の対戦車兵器では、貫通不可能であり、実際に戦闘で250ミリ前面装甲が貫通されたという記録は存在しない。

ヤークトティーガーは、第653重戦車駆逐大隊と第512重戦車駆逐大隊の2個重戦車駆逐大隊のみに配備された。

戦歴としては、秋霧作戦(バルジの戦い)やレマーゲン鉄橋での防衛戦に参加したのが有名であり、建物の反対側にいたM4シャーマン戦車を建物ごと撃ち抜いて撃破した記録もある。