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Jennie Lee
ジェニー・リー
本名 Virginia Lee Hicks
別名義 the Bazoom Girl, the Burlesque Version of Jayne Mansfield, Miss 44 and Plenty More
生年月日 (1928-10-23) 1928年10月23日
没年月日 (1990-03-24) 1990年3月24日(61歳没)
出生地 ミズーリ州カンザスシティ
死没地 カリフォルニア州ヘレンデール
職業 ストリッパー、バーレスク・スター、モデル、俳優
活動期間

ストリッパー:1950年代~1960年代

俳優:1953年~1964年
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ジェニー・リー(英:Jennie Lee、本名:Virginia Lee Hicks、1928年10月23日 - 1990年3月24日)[1]アメリカ合衆国のストリッパー、バーレスク・エンターテイナー、ピンナップ・モデル、組合活動家、脇役をつとめる映画女優である。1950年代から1960年代にかけてバーレスク劇場やナイトクラブで活動した。バストサイズ42インチ[2](約101cm)の身体的特徴から「バズーム・ガール[2][3]」「ミス44・アンド・プレンティ・モア[4]」「バーレスク版ジェーン・マンスフィールド」の呼び名を持つ。

生涯[編集]

1928年10月23日ミズーリ州カンザスシティ生まれ[5]。1949年5月30日、地元で知り合っていたダニエル・ルイス・ワニック(Daniel Lewis Wanick)と結婚。離婚調停中だった1967年11月にダニエル死去[1]。チャーリー・アロヨ(Charlie Arroyo[6])とは1968年に出会い、結婚生活は晩年の数年間であったが20年間生活を共にした[1]。1990年3月24日に61歳で乳がんにより死去[6][7]

キャリア[編集]

高校在学中[5]18歳で地元カンザス・シティのフォリー・シアターでキャリアを開始[1]。次の劇場ではオーディションなしで採用され「バズーム・ガール」の呼び名が付き、その後シカゴに移りエージェント契約をした[1]。西海岸へと活動を広げ[5]、1950年に入るまでにサンディエゴのハリウッド・シアター、サンフランシスコのプレジデント・フォリーズ・シアター、またロサンゼルスの全てのバーレスク劇場に出演した[1]

リーは高校時代には水泳クラブに所属しており[4]、そこで鍛えられた筋肉が身体的パフォーマンスに生かされた。側転など、身体能力を活かす点は他のダンサーたちと異なる特徴となった[5]タッセル・トワリング(ペイスティの先に付けたタッセルを回す)の技術を得意とした[2][8]。魚釣り用のスイベルを援用し、長いタッセルを取り付けていた[1]


タブロイド誌の「コンフィデンシャル・フラッシュ(the Confidential Flash)」ではリーの名でコラム「バー・レ・キュー名士録(Who's Who in Bur-Le-Q)」を書いた[1][4]


リーはそのキャリアにおいて、次のような雑誌の表紙を飾った。1954年『ステア』、1957年『リスク』、1958年『フローリック』など、多くの雑誌の表紙を飾った。1955年の『Modern Man』誌の見開きページでは、自分についての記事を書いている。ストリッパーとしての生活以外に、リーはキャリアを通じて有名なピンナップガールであったが、他の同時代の女性たちと同様、ヌードポーズをとることはなかったが、後年はそうしたこともあった。また、バーレスクやナイトクラブのシーンに関するコラムを数年にわたり毎月書き続け、さまざまな雑誌に掲載された。


舞台作品

"Will Success Spoil Rock Hunter?"[4]

映画

" Maericathon"[4]

1950年代初期、リーは映画『Peek-A-Boo』(1953)[9]、『Abandon』(1958)、『Abandon』(1961)、『Nuts in Search of a Bolt』(1964)でマミー・ヴァン・ドーレンと共演し脇役を演じた。メインストリームのスターダムで成功する野望を持ちながらも、決まりきった役割に入れられしまうと気づき俳優のキャリアを本格的にスタートさせることはしなかった。


1964年にストリッパーを引退し、サッシー・ラッシー・クラブとブルー・バイキング・クラブを経営。

エキゾチック・ダンサーズ・リーグ[編集]

人を引き寄せる人柄のリーは、周囲から寄せられる労働環境問題に悩み、ダンサーのための組合「北米エキゾチック・ダンサーズ・リーグ(The Exotic Dancers' League of North America)」(略称:EDL)を1955年に設立した[2][4][8](カリフォルニア州は1963年11月までは公式に登録しなかった[1])。初代会長はリー、副会長はノヴィータ(Novita)が務めた。このころのロサンゼルスでは、ダンサーたちが劇場から受け取る給与は低く[5]、EDLはこうした問題に立ち向かい、労働条件の改善を働きかけていた。ロサンゼルスのストリッパーの最低賃金の上昇を求め、「服を着用する」ストライキを行うなどした[10]


6周年記念コンヴェンションではロサンゼルスのベル・エアー・ホテルを借りてエキゾチックダンサーたちによるファッションショーを開き、メディアを賑わせた[1]。EDLはチーム名「ベアキャッツ(Barecats)[10]」でソフトボールチームとボーリングチームを結成して会員同士の交流を促し、またその様子をLife誌やSports Illustrated誌が取り上げた[1]。EDLはその後交流の機能をメインにしていく[10]

10人のベスト・アンドレス賞[4]

エキゾチック・ワールド博物館[編集]

1968年、軍基地の近くのカリフォルニア州サン・ペドロにバー「サッシー・ラッシー・クラブ」を構えた[4]。引退したストリッパー仲間が店の手伝いに入ることもあった。同じくサンペドロの港湾の近くではビア・バーの「ブルー・ヴァイキング」を経営した。仲間の持ち寄る記念品や「ストリッパーの落とし物[10]」をコレクションしていたリーは、自宅にメモラブリアを作り、博物館として記者を招いた[1]。1979年7月29日、2部屋の博物館をバーの近くに開いた。バーを引き払ってルート66外れの砂漠にあるヘレンデールにヤギ牧場を購入し引っ越した[1][6][10]。引退したストリッパーが安全に過ごせる場を作りたかった[10]。博物館、簡易宿泊施設、ストリップ・スクール、楽屋付きの小さな劇場を夢見た[1]。バーレスクの歴史を祝福する博物館[8]


年月が経つにつれ、EDLは引退したダンサーや、彼らの演技に関連する収集品のための社交組織となっていきました。リーはこの組織のためにバーレスク・ダンサーのプレス写真、ガウン、パスティ、Gストリングを集め、ナイトクラブ兼バー「The Sassy Lassy」[8]など、彼女が経営するビジネスで展示しました。このコレクションは、リーが1961年に設立したカリフォルニア州ヘレンデールのExotic World博物館(現在のBurlesque Hall of Fame)の一部となる[4][11][12]。1960年代後半になると、老いたリーは自身のバーレスクのキャリアに興味を失っていたが、次世代のExotic Dancersを支援し、自身の世代のバーレスクのパフォーマーを記念することにまだ関心を持っていた。

1990年からは同じバーレスク・ダンサーのディクシー・エヴァンスが運営の手伝いに加わった。リーの死後、エキゾチック・ワールド博物館を引き継いだ[13]。のちにバーレスク・ホール・オブ・フェイムとなった[5]

[編集]

ジャン&ディーンの前身であるジャン&アーニーによってリーの名を冠した歌、「Jennie Lee」が1958年4月リリースされた[14][15]。同年1月、失恋直後だったアーニーを連れてメンバーらはロサンゼルスダウンタウンのバーバンク劇場が催していたニュー・フォリーズ・バーレスクを訪れ[5]、そこでジェニー・リーがドラムのビートに合わせ乳房を揺らしタッセルを回すのを目にし、そこから着想を得て作詞した[1]。ジャン&アーニーとクレジットされているのはレコーディング時にディーン・トーランスが軍務に就いていたためで、彼らの友人であるアーニー・ギンズバーグがジャン・ベリーと共にレコーディングを行った[14]。7月には国内チャートの3位に入っている[5]。オリジナルの盤は後にエキゾチック・ワールド博物館に寄贈された[1]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Sage, Dusty (2016). Burlesque in a nutshell : girls, gimmicks & gags. Albany, GA: BearManor Media. pp. 299. ISBN 978-1-59393-948-9. OCLC 954215793. https://www.worldcat.org/oclc/954215793 
  2. ^ a b c d When Toronto the Good flocked to see sex at the Ex” (英語). thestar.com (2010年8月27日). 2022年11月9日閲覧。
  3. ^ A. W. Stencell (1999). Girl Show: Into the Canvas World of Bump and Grind. ECW Press. p. 158. https://books.google.co.jp/books?id=dXIZbIKMUesC&redir_esc=y 
  4. ^ a b c d e f g h i Harvey, Steve; Times, Los Angeles (1979年4月22日). “Getting Exposure for the Strippers Hall of Fame” (英語). Washington Post. ISSN 0190-8286. https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/1979/04/22/getting-exposure-for-the-strippers-hall-of-fame/de606f13-1c4a-4ba8-b4aa-6e70bc4fd396/ 2022年11月9日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h McKeen, William (2021). Everybody had an ocean : music and mayhem in 1960s Los Angeles (First paperback edition ed.). Chicago, Illinois: Chicago Review Press. p. 48. ISBN 1-64160-571-5. OCLC 1240211554. https://www.worldcat.org/oclc/1240211554 
  6. ^ a b c Baldwin, Michelle (2004). Burlesque and the new bump-n-grind. Denver: Speck Press. p. 17. ISBN 0-9725776-2-9. OCLC 54280124. https://www.worldcat.org/oclc/54280124 
  7. ^ Strippers Hold Reunion at Museum of 'Au Naturel' History” (英語). AP NEWS. 2022年11月9日閲覧。
  8. ^ a b c d La Rouge, Rosey (2017). The pastie project. Brooklyn, NY: Blurb.com. pp. 13,32,64. ISBN 978-1-366-00173-3. OCLC 1119976914. https://www.worldcat.org/oclc/1119976914 
  9. ^ Hunt, Lillian, Peek-a-Boo, Billiken Productions, https://www.imdb.com/title/tt0174109/ 2022年11月27日閲覧。 
  10. ^ a b c d e f Regehr, Kaitlyn (2017). The League of Exotic Dancers : legends from American burlesque. Matilda Temperley. New York, NY: Oxford University Press. pp. 7-8,21,23. ISBN 978-0-19-045756-3. OCLC 960837778. https://www.worldcat.org/oclc/960837778 
  11. ^ Barth; Michaels, Ian (September 1988). “The Spy Trip Tip: The Exotic Dancers' Hall of Fame”. Spy. Sussex Publishers, LLC. pp. 44. ISSN 0890-1759. https://books.google.co.jp/books?id=rOMZTwj0rSAC&redir_esc=y 
  12. ^ Goldwyn, Liz (2011). Pretty things : the last generation of American burlesque queens. New York: HarperEntertainment. p. 142. ISBN 978-0-06-201181-7. OCLC 659228853. https://www.worldcat.org/oclc/659228853 
  13. ^ Facebook (2009年4月5日). “Burlesque era remains alive in hall of fame” (英語). Los Angeles Times. 2022年11月9日閲覧。
  14. ^ a b Jennie Lee (song by Jan & Arnie) ••• Music VF, US & UK hits charts”. musicvf.com. 2022年11月9日閲覧。
  15. ^ "Jan & Dean Photo Galleries - Jan & Arnie/Jennie Lee - The Bazoom Girl"”. JAN & DEAN -Jan Berry Official Site. 2017年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月23日閲覧。