コンテンツにスキップ

利用者:Ayato1989/sandbox

スパイゲート事件は、NFL2007年シーズン中に起きた、ニューイングランド・ペイトリオッツニューヨーク・ジェッツのディフェンシブ・コーディネーターのシグナルを許可されていない場所から撮影したことにより罰則を受けた一連の事件。

調査の後、NFLはニューイングランド・ペイトリオッツのHCビル・ベリチックに対して50万ドル、ペイトリオッツに対して25万ドルの罰金を課し、2008年の1巡目指名権(全体31位)も併せて剥奪した。

発端[編集]

2007年9月10日、ニューイングランド・ペイトリオッツのHCビル・ベリチックがチームスタッフに許可されていない場所から相手チームのディフェンス・コーチのシグナルを撮影させたとして、ニューヨーク・ジェッツから告発された。NFLは試合中にペイトリオッツビデオアシスタントのマット・エストレラが使用していたビデオカメラを没収した。ジェッツのHCエリック・マンジーニ(前ペイトリオッツアシスタントコーチ)は、NFLに対して、ペイトリオッツがサイドラインから撮影を行っていたことを報告した。後にマンジーニは、「撮影は重大なアドバンテージをもたらすものではないが、彼らに対して我々のスタジアムで利益を与えるつもりはないため、撮影を止めたかった。しかし、リーグを巻き込む意図はなく、このような大騒動にする意図もなかった」と語った。

2日後、ベリチックは「関係者に対して謝罪をする」と声明を発表し、かつNFLコミッショナーであるロジャー・グッデルに対して、自身の「ルール解釈」について説明を行ったことも発表した。またベリチックは、「ポラロイド式カメラ及びフィールド無線を除く、コミュニケーションツールや情報集約機器の使用については、...チーム補助となる電気機器の試合中の使用は禁止する」という規定に基づき、当該試合中に活用しなければ撮影を行うことは適法と解釈していたことを発表した。しかし事件前である2006年9月に、NFLのレイ・アンダーソンから全チームに対して、「相手のオフェンス及びディフェンスのシグナルに関して、サイドライン、コーチブース、ロッカールーム及びその他クラブスタッフのメンバーがアクセスしうる場所からの試合中の撮影は禁止する」という文書が送付されていた。

罰則及び罰金[編集]

9月13日、「オフェンス又はディフェンスのシグナルを撮影する機器を使用した」ことにより、ベリチックは公式に50万ドルの罰金を課された。これは当時87年に及ぶNFLの歴史の中でコーチに課された罰金としては最高額であり、ルールで定められている上限額であった。また、ペイトリオッツは25万ドルの罰金及び2008年ドラフト1巡目指名権の剥奪(全体31位)を命じられた。なお、ペイトリオッツがプレーオフを逃した場合は、1巡目の代わりに2巡目及び3巡目の指名権を剥奪されることとなっていた。グッデルは、チームに対しても制裁を課したことについて、ベリチックはHCであることと同じように実質的なGMの役割を果たしており、フィールド上の行動について統制を行っているため、「ベリチックの行動及び決定はクラブのものと見なされる」ためであると語った。また、グッデルはベリチックの出場停止処分についても検討を行ったが、長い目で見ればドラフト指名権の剥奪が、出場停止処分より厳しい処分になると判断した。なお、ペイトリオッツは11月25日に5年連続のAFC東地区優勝を決め、1巡目指名権の剥奪が決定した。

9月14日、ベリチックはルール解釈に対する「誤り」について謝罪声明を発表した。しかし、試合中のアドバンテージを得るための使用については否定し、グッデルもこれを認めた。

9月16日、グッデルはペイトリオッツに対して、拒否すれば追加処分を課すという牽制を加えながら、事件に関連するノート、テープ及びその他資料について、提出を指示した。9月20日、NFLは求めた資料を受領し、全て破壊したことを発表した。スーパーボウル42直前の記者会見にて、グッデルは受領した資料の内訳について、2006年シーズン後半から2007年のプレシーズンにかけて撮影された6本のテープであったと明かした。

主な反応[編集]

9月16日にFox NFL Sundayで実際のテープ映像が放映されると、元ダラス・カウボーイズのHCジミー・ジョンソンは「これは、18年前にカンザスシティ・チーフスのスカウトから教わった方法である。実行してみたが、我々の助けになるとは思わなかった。」と主張した。また、「全チームに対して行為を禁止する旨のメモが送られた後に撮影をしたため、ベリチックは間違いを犯した。しかし私を苛立てているのは選手やコーチからの反応である。選手たちはコーチが行っていることを知らない。そして、何人かのコーチは意図的な健忘症を患っているようだ。何故ならいくらかのチームが撮影を行っている事実を私は知っているからである。これが全チームに対してメモが送られた理由である。これはベリチックを正当化するものではないが、多くのチームが実行している。」

ペイトリオッツがシーズン7勝目を挙げた際に、元マイアミ・ドルフィンズのHCドン・シューラは事件について、「スパイゲート事件は彼らが成し遂げてきたことを傷つけた。あなたは成し遂げてきたことにそれを結びつけたくはないだろう。彼らはそれをやった。いわばバリー・ボンズのホームラン記録にアスタリスクをつけた(薬物使用により注釈が入った)ことと同じことである。偉業の年に、ペイトリオッツは罰金を課され、ドラフト1巡目を剥奪されたことに気づくだろう」とコメントを発表した。ペイトリオッツのDEリチャード・シーモアは、「私はそれに注意を払いたくない。私がやったことやこのチームがやったことは何もなく、アスタリスクをつけられるようなものでもない」と反応した。また、セーフティーのロドニー・ハリソンも「それは全く問題ではない。我々はシューラに対して敬意を払っており、彼が考えることは何であれ権威付けられている。それは問題ではない。」とコメントした。ペイトリオッツがレギュラーシーズンを全勝で終えた後、シューラは「毎週の試合に集中し、いかなる動揺からも邪魔されることがなかく、偉業を達成した」と称賛した。

加えてNFLオーナー会議は、2008年シーズンから、オフェンス時と同様、ディフェンス時にもコーチからフィールド上のプレーヤー1人に対して、無線交信を行うことができる旨のルール改正を承認した。

議会からの圧力[編集]

2008年2月1日、アーレン・スペクター上院議員は、ニューヨーク・タイムズの記事において、NFLが証拠ビデオテープの破壊を決定したことについてコメントした。スペクターはロジャー・グッデルに対して「私はビデオテープに関する根本的な事実、制限された処分、そして何よりもテープの不可解な破壊に関する判断の理由について非常に関心を持っている」と手紙を送った。また、スペクターはグッデルに対して、ペイトリオッツから受け取ったビデオテープの破壊について意見を述べさせるため、議会に召集可能であることについて言及した。ただし、スペクターの最大の後援者がコムキャスト及びそのロビイストであり、当時コムキャストはNFLネットワークと放映権料について辛辣な論争を繰り広げていた時期の真っ只中であったため、スペクターがスパイゲート事件に関わるようになった本当の動機については、疑問視された。

2月1日のスーパーボウルの記者会見において、グッデルは喜んで議会に出席しテープを破壊した理由の説明を行うと表明した。更にスパイゲート事件はペイトリオッツの偉業に対して汚点にはなるとは考えていないことも付け足した。グッデルは1月31日のスペクターに対するメモでこれらの信念を繰り返し、加えてNFLがスーパーボウル39でペイトリオッツがイーグルスのシグナルを不当に撮影したことについての証拠を持ち合わせていなかったことについても言及した。

2008年2月13日、グッデルとスペクターはワシントンD.C.で面談を行った。面談の後、グッデルは資料を破壊したことは「正しいこと」だと信じており、「隠すことは何もない」と語った。後に、スペクターはレポーターに対して、「テープやノートが破壊されたことにより、答えることのできない多くの疑問を発見した。」と語った。グッデルはスペクターに対して、最初の調査の際にベリチックがペイトリオッツのHCに就任した2000年当時から撮影を行っていたことを個人的に伝えてきたことを明かした。また、グッデルはレポーターに対して、ベリチックは撮影が適法と信じ込んでいたことを伝え、加えて「ベリチックがあの行為についてHCである彼自身の解釈であったと話していた」と伝えた。スペクターはレポーターに対して、ペイトリオッツに関するスパイゲート事件は、AFCカンファレンス・チャンピオンシップ2試合を含む、合計4試合も関連していることを伝えた。スペクターはピッツバーグ・ポスト・ガゼットに対して、「スティーラーズファンはこのことに対して大きな関心を寄せていると思う。そして私もその一人である。恐らくスティーラーズのオーナーはそのことについて少し考える必要があるだろう。」と話している。2日後、スティーラーズのチェアマンダン・ルーニーはスペクターの提案を拒否し、「我々はペイトリオッツが行った試合中のコーチに対しての撮影について、問題ではないと考えている。我々の意見としては、それらは試合の結果に大きな影響を及ぼさなかった」と回答した。

追加告発[編集]

マット・ウォルシュからの情報[編集]

2001年にペイトリオッツでビデオアシスタントとして従事し、スカウティングアシスタントとして活動した2002年シーズン終了後に解雇されたマット・ウォルシュが、スーパーボウル42の前日に、未だ暴かれていないペイトリオッツの行動に関する情報を持っていることを明かした。「もし公の場で話したい理由があったのであれば、これらの事件が起きる前に話すことが可能であった。ニューヨーク・ジェッツのHCマンジーニに告発してもらうよりも、私がより全てを話すことができた。」とウォルシュは語った。ウォルシュは、ペイトリオッツと結んだ守秘義務契約に拘束されているが、2008年2月1日にニューヨーク・タイムズやESPNが彼の発言を報道するまで、ペイトリオッツやNFLからは連絡を受けなていなかった。2007年9月以降、メディアから連絡を受けていたが、彼は彼や彼の家族を守るための法的助言を探し求めていた。その後、ペイトリオッツは、守秘義務契約の存在を否定している。

ボストン・ヘラルドによる記事[編集]

スーパーボウル42の前日である2008年2月2日、ボストンの地方紙であるボストン・ヘラルドが、情報源を伏せたうえで、2002年2月2日にペイトリオッツのビデオスタッフが、スーパーボウル36の直前に対戦相手であるセントルイス・ラムズのウォークスルーを撮影していたと報道した。当日、ペイトリオッツは報道内容を否定した。NFLは、スーパーボウル42後に、報道の件に関してベリチック及びその他のペイトリオッツのメンバーに対して聞き取り調査を行った。そして、スーパーボウル36における告発及びその他NFLが処分を課していない違反を裏付けるような証拠は見つからなかった。

2008年3月10日、同じくボストン地方紙であるボストン・グローブは、NFLの調査員が告発には実現に対する制約があったことを発見したと報道した。試合前日に設置されたペイトリオッツのビデオ設備は、起動するためのバッテリーパックも電源供給も持ち合わせていなかった。また、NFLの調査員が、当日ウォルシュと一緒にルイジアナ・スーパードームを離れたペイトリオッツの職員に聞き取り調査を行ったが、彼によると、ウォルシュは「我々は(ウォークスルーを)撮影しなければならなかった」と話していたということであった。

2008年2月5日、ボストン・ヘラルドの記者ジョン・トマセは、地元ラジオ番組WROR-FMに対して、「噂はしばらく存在していた。スパイゲート事件以降の9月に我々が最初に耳にしたものであった。我々は周りに聞き込みを行ったが、完全に特定することはできなかった」と語った。トマセは、ニューヨーク・タイムズが、スペクターがグッデルとの面談を希望しているという記事を出す2008年2月1日まで、記事について「スペクターのレーダー上に映っていなかった」と語った。その際に、Tomaseは、「ニューヨーク・タイムズとESPNが告発についての報道が近づいてきたと感じた後、ボストン・ヘラルドは記事を出すことを決定した」と話した。なお、後述のとおり、後にボストン・ヘラルドは当該記事について撤回し謝罪を行った。

訴訟[編集]

2008年2月15日、元セントルイス・ラムズのセーフティーウィリー・ゲイリーが、ルイジアナ州ニューオーリンズの地方裁判所において、ペイトリオッツ、ベチリック及びペイトリオッツオーナーのロバート・クラフトに対して、ラムズのスーパーボウル36における損失に対する補償を求めて訴訟を起こした。また、弁護士ヒュー・キャンベル・ジュニアにより集団訴訟が提起された。キャンベルは、ラムズのシーズンチケット保有者の代表も務めていた。NFLコミッショナーのグッデルからの介入を受け、ウォルシュが保持している可能性がある告発を確認することは「無益な行動」であることを理由に、2008年3月10日にキャンベルは訴状を撤回した。

ニュージャージー州プリンストンの弁護士カール・マイヤーは、ジェッツのシーズンチケットホルダーと共に、ベリチックに対して1億8480万ドルの補償を求める訴訟を起こした。損害は、ベリチックがHCを務めている期間のジャイアンツ・スタジアムにおけるジャイアンツ対ペイトリオッツの試合のチケット価格を基準にしており、マイヤーは連邦の詐欺罪に対する法律を基に、チケットの合計額6160万ドルの3倍である金額を請求した。地方裁判所はこれを棄却し、第3巡回区控訴裁判所が支持した。

ペイトリオッツによる対応[編集]

2008年2月17日、ボストン・グローブによるインタビューにおいて、「いかなる方法においても、他チームのウォークスルーを見たり聞いたことはない。我々自身のものでさえ撮影は行わない。(私の全ての)コーチキャリアの中で、我々のチームの撮影を行ったことはない。ウォークスルーを撮影するスタッフになったこともない。HCである期間について話したが、アシスタントを行っていた期間でも、試合前のウォークスルーを撮影するHCを見たことがない」として、ベリチックは他チームのウォークスルーを撮影したことを否定した。また、ベリチックは「(私は)マット・ウォルシュを職員の中から判別することができない」とし、ペイトリオッツが撮影したテープは全て見えるように行っていた、「スパイゲート」の呼称を使用することに反対した。

共にインタビューを受けていたペイトリオッツ強化副部長のスコット・ピオリによると、ピオリとの会話を密かに録音していたことが判明したため、ウォルシュは2003年1月に解雇された。また、ピオリはウォルシュがチームのエリアスカウトであったという報告を否定し、彼はコピー取り、空港への送迎、データ入力、ドラフト対象となる選手映像の編集など、初歩的な業務を担当していたことを付け加えた。ピオリは、「ウォルシュの仕事ぶりは他の職員の水準に達していなかった」と考えており、また、ウォルシュを解雇する際に、対立は無かったとしていた。ウォルシュの弁護士マイケル・リービーはピオリの説明について「全くの創作である。ペイトリオッツに関する真実と向き合うことよりも、ウォルシュの性格を汚すための予測可能で哀れな努力だ」とした。

インタビューの中で、ベリチックはペイトリオッツが処分を受けることとなったNFL Constitution and Bylawsの第9条について、彼自身の解釈を付け加えた。ベリチックは「私の解釈は、試合中に自身を補助するものの使用は認められていないということである」として、同一試合内で使用しない限り、影は合法であると信じていた。「我々のカメラで撮影したものは試合中の活用は明らかに認められないものであり、我々は決して試合中に活用しなかった。」として、ベリチックは「ハーフタイムでの対策」としての映像の使用については、「決してない」と付け加えた。ペイトリオッツが処分を受けた後、「撮影行為は即座に中止された」とベリチックは語っている。また、グレーゾーンからの撮影についてリーグに対して確認を取らなかったことについて謝罪を行い、事件は自身の責任であるとした。

その後、2008年4月1日のNFLオーナー会議の中で、ベリチックはチームの状況はポジティブであり、組織の手順について全てが効率的かつ説明責任を果たせる状況で行われるように改善し、同様の問題が再発しないようになっていると発言した。同日、全てのNFLオーナー及びコーチに対して、クラフトは違法な撮影について謝罪を述べ、ベリチックは撮影が適法であることを信じていたことについて繰り返し述べた。

NFLとウォルシュの補償協定[編集]

2008年3月9日、NFLは調査員がウォルシュ及び弁護士に対してインタビューを行った際に生じる、あらゆる法的及び経済的損失について補償を行うという旨の協定の締結が近いことを発表した。2008年3月31日のNFLオーナー会議の始まりまでに、NFLはウォルシュとの同意に到達できなかったが、クラフトは新聞報道による損害賠償請求は決して行われないと信じていると語った。ウォルシュがペイトリオッツに従事していた時期のことも覚えていなかったが、クラフトはウォルシュがいかなる守秘義務契約にもサインしていないことを付け加えた。

2008年4月23日、NFLはウォルシュとの補償協定が合意に達したこと及び2008年5月13日にウォルシュとグッデルの面談が準備されていることを発表した。協定の期間中は、ウォルシュがペイトリオッツに所属していた1997年から2003年までに取得したペイトリオッツに関するあらゆる情報について、ウォルシュは共有することを要求されることとなった。また、彼が保有するテープ及びその他資料について、2008年5月8日までにNFLに提出することとなった。ペイトリオッツとNFLは、ウォルシュが協定を遵守している限り、訴訟を起こさないことを約束し、インタビューの経過に関する法的費用を補償することに同意した。更に、NFLはウォルシュによって明らかにされた証拠について保管し、ウォルシュは証拠のコピーを保持するが、NFLの許可なしにはコピーを他者に開示しないことが協定に明記された。

ウォルシュとグッデルの面談[編集]

事前提出資料[編集]

面談に先駆けて、ウォルシュは以下の8本のビデオテープをNFLに提出した。

・2000年9月24日マイアミ・ドルフィンズ戦 1本

・2001年10月7日マイアミ・ドルフィンズ戦 オフェンス及びディフェンスシグナル 2本

・2001年11月11日バファロー・ビルズ戦 1本

・2001年12月9日クリーブランド・ブラウンズ戦 1本

・2002年1月27日AFCチャンピオンシップ ピッツバーグ・スティーラーズ戦 2本

・2002年9月29日サンディエゴ・チャージャーズ戦 サードカメラ視点 1本

ニューヨーク・タイムズに対してリービーは、ウォルシュがスーパーボウル36におけるラムズのウォークスルー映像も、ボストン・ヘラルドによって告発された内容のテープも保持していなかったことを明かした。ペイトリオッツがコメントを差し控える一方で、NFLの広報副部長のグレッグ・アイエロは、ボストン・グローブに対して、受け取ったテープに収められている映像は、全て既にリーグが把握しておりペイトリオッツが事件後の聴取にて認めた映像のみで構成されていたことを伝えた。一方、スペクターはアイエロのコメントを受けて、「NFLがテープを確認する前やマット・ウォルシュの発言を聞く前から新たな事実は無いという方向に向かっていることは非常に残念である。今後も注視を続けていく」とした声明を発表した。なお、スペクターもウォルシュ及びリービーとのワシントンD.C.での面談を2008年5月13日に予定していた。

面談日[編集]

5月13日の朝、ウォルシュ、グッデル及びその他職員や弁護士が、ニューヨークのNFLオフィスで3時間以上に渡って面談を行った。面談の時間中、メディア陣に対してウォルシュがNFLに提出したテープが放映され、その殆どにコーチのシグナルやスコアボード、上層階視点からのエンドゾーンでのプレイが収められていた。

グッデルは記者会見を行い、ウォルシュが持つペイトリオッツに関する主な情報は既にリーグが把握しており、ペイトリオッツが処分を受けたものによって構成されているという、NFLが既に発表した声明の内容を繰り返した。

面談の中で、ウォルシュはグッデルに対して、スーパーボウル36直前のラムズのウォークスルー映像はなく、誰もウォルシュに撮影を依頼しておらず、誰もその内容を録画していなかったことを知らなかったと伝えた。また、ラムズのウォークスルーが行われている間、スタジアムに居たウォルシュやその他ペイトリオッツ職員がビデオ機器を設置する際には、チームのゲームシャツを着用していると伝えた。記者会見の後、NFL外部委員グレッグ・リービーはレポーター陣に対して、インタビューにおいてウォルシュはペイトリオッツのディフェンスアシスタントのブライアン・ダボルに対してラムズのマーシャル・フォークがキックリターナーとして起用されることやウォークスルーで確認できたタイトエンドの動きについて説明したことを語っていたと明かした。その時、ダボルはウォルシュにフォーメーションを図式化して説明するよう求めていた。後にNFLはダボルに対して再調査を行ったが、その会話について記憶していなかった。NFLは、たとえそのやり取りが行われていたとしても、ウォルシュがスタジアムにいることが許可されており、秘密裏に行動していたわけではなく、また練習の観察を指示されていたわけではないとして、ルール違反には当たらないと判断した。

ウォルシュはグッデルに対して、ペイトリオッツが2001年シーズン中に、故障者リストに入っている選手をルールに反して練習に参加させたことや、特定の選手に対してスーパーボウルのチケットを転売していたことを報告した。グッデルは練習に故障者リスト入りした選手を参加させた場合、通常であればチームに罰金を課すものであるが、チームやベリチックに対して2007年9月の事件に対する合計75万ドルの罰金を課したため、追加の罰金を課すことはないと発表した。

また、ウォルシュはグッデルに対して、ペイトリオッツがロッカールームを盗聴したり、通信機器やクラウドノイズを操作していたり、シグナルやオーディブルを録音するためにマイクロフォンをプレーヤーにつけていることについては何も知らないと語った。これらはウォルシュとは別の者から行われていたペイトリオッツに対する告発疑惑であった。

後に、ウォルシュはグッデルに対して、シグナルを撮影したテープは試合終了までウォルシュの手元に残っており、ハーフタイム中に活用されることはなく、試合終了後に分析担当のエニー・アダムスに渡されていたと明かした。2007年9月にペイトリオッツが試合中にアドバンテージを得ていたわけではないことを承認していたグッデルは、記者会見の中で、シグナルの映像がハーフタイム中に活用されていたわけではなかったことを繰り返したが、試合中に活用することを禁止しているとしたベリチックの解釈について受け入れたわけではないことも付け加えた。

その後、ペイトリオッツは声明を発表した。

我々は、スーパーボウル36に先駆けて、ペイトリオッツがラムズのウォークスルーを撮影していたという告発に対して問いかけたい。3ヶ月半に渡って、我々は事実や証拠もない根拠のない記事に基づく疑いから我々自身を守ってきた。我々の断固とした否定にも関わらず、スーパーボウル42の前日である2008年2月2日に記事が発表された。その試合はアメリカテレビの歴史上2番目の最多視聴者数を獲得したが、残念なことに今日のニュースはそのような多くの人に届くことはない。我々は、マット・ウォルシュの情報開示により、最終的には全ての人が我々の伝えてきたことを信じてもらい、「2002年のスーパーボウル36の前日にニューイングランド・ペイトリオッツがセントルイス・ラムズのウォークスルーを撮影していたという疑惑は完全に誤りであった。全ての疑惑は事実ではない」ということが最初の報告時に、はっきりと発表されることを願っている。

ウォルシュとスペクターの面談[編集]

5月13日のニューヨークにおけるグッデルとの面談の後、ウォルシュとマイケル・リービーは、スペクターとの面談のためワシントンD.C.に移動した。到着が遅れたことや、面談が長くなることが予想されたため、スペクターの事務所は記者会見を2008年5月14日に延期した。

スペクターとの面談の次の日、ウォルシュはリービーの事務所でニューヨーク・タイムズのインタビューを受けた。ウォルシュは取材に対し、事前にビデオディレクターのジミー・ディーと、対戦チームからシグナルの撮影について問われた際の口実について協議していたが、実際にそれを使用することはなかったと語った。スペクターも面談の後に「2002年のAFCチャンピオンシップのピッツバーグ・スティーラーズ戦で、ウォルシュはチームのセーターを裏返しで着用し、チーム関係者ではなく一般の通行証を発行させて行動した」ことを明かした。また、ウォルシュはベリチックの「(私は)マット・ウォルシュを職員の中から判別することができない」というコメントを聞いた際に驚いたことを明かした。何故ならベリチックは何度もウォルシュと話をしており、ベリチックの元妻であるデビーから2001年のクリスマスにセーターを送られていたためであった。

2008年5月16日、CBSニュースのアルメン・ケティヤンのインタビューで、ベリチックはウォルシュのコメントに反応した。ウォルシュは物語を誇張する方法を持っており、自身とウォルシュの関係は全く無かったか、かろうじてお互いが見かけたことや話したことがある程度のものとして、ベリチックはウォルシュの暴露より前に彼を認識していなかったと語った。またベリチックは、ペイトリオッツが撮影について虚偽の説明を行っているというウォルシュの主張について「絶対にありえない」とし、ベチリックは「(ペイトリオッツが)行った行為は全く問題がない」と感じていたため、ウォルシュもペイトリオッツの一人であったと指摘した。

また、ベリチックは2006年のレイ・アンダーソンからの文書を受け取った後も撮影を続けたことについては、自身に責任のある「誤り」であったと語った。ベリチックは文書を受け取った後にも、自身の解釈によって撮影を正当化してしまったため、撮影の正当性についてリーグに確認を行わなかったことを後悔していた。またベリチックは、チームが意図的にルールを犯していたのであれば、彼らは実際に行ったような軽々しい行動は行わなかったと付け加えた。ベリチックは、どのようにアダムスが時折映像から情報を収集していたかを説明することにより、ビデオテープが活用される過程を示した。しかしシグナルはゲームプランや準備の要素のうちの一部でしか無かった。シグナルの撮影を行うことは、実際に観察して手作業で記録するよりもチームに対してアドバンテージを与えていたという意見に対して、ベリチックはペイトリオッツを含めて多くのチームが頻繁にシグナルの意図を変えたり、リストバンドシステムを使用することによって、シグナルの情報を守っている一方で、シグナルは誰もが見ることができるため、チームはテープが無くともシグナルを解読でき、ペイトリオッツは便宜上及びメソッドの研究のために撮影を行っていただけであると語った。

ボストン・ヘラルドによる謝罪[編集]

2008年5月14日、ボストン・ヘラルドはペイトリオッツ及びファンに対して、2月2日の情報源を伏せた告発記事に関する謝罪を発表した。ボストン・ヘラルドは情報源は信頼に値すると信じていたとする一方で、ウォークスルーの映像を見ることも、映像の保有者と話をすることもなかったと語った。従って、彼らは告発記事を発表するべきではなく、誤りであったとみなし、「強固な裏とりが欠けていた」と記した。次の日、ボストン・ヘラルドの編集長であるケビン・コンヴェイは、記者トマセやヘラルドのスポーツ部門を統括しているため、記事出版の全責任を負った。

同日のCNBCのインタビューの中で、クラフトは記事の撤回を知らない人々がアメリカ全体に残っていることに悩んでいるものの、3ヶ月半に渡ってチームに雲をかけ続けた記事からの疑惑を晴らせたと感じていると語った。クラフトは、スポーツの歴史の中で、2007年9月以降にペイトリオッツが経験したような厳しい監査を経験したようなチームはないと考えており、ペイトリオッツはNFLルールブックの管理を手助けする弁護士とともに、チームが行う手順の完全な監査を行っており、正しく管理を行う上で必要なコーチングスタッフや人事スタッフの人数を超えた人員を起用していると考えた。

次の日、ロバート・クラフトの息子でありペイトリオッツの社長であるジョナサン・クラフトは、ボストンのラジオWEEIに対して、ボストン・ヘラルドの謝罪について、評価をするが、時期が遅いと考えていると語った。また、ボストン・ヘラルドが2月に記事を発行する1時間前にチームに対して電話で連絡があり、ペイトリオッツ側が「断固として、最大限の強い言葉で、ベリチックとペイトリオッツの法務部門からのコメントを用いて、記事の発表することは適切ではない」とボストン・ヘラルドに伝えたにも関わらず、次の日に記事が発表されたと語った。その後の3ヶ月間、記事が発表された結果、ペイトリオッツがウォークスルーを撮影したと認識され、ペイトリオッツの広報部門の調査では、その他30万の新聞記事がボストン・ヘラルドの記事に言及した。また、クラフトは、どうすればチームが信用を取り戻せるのかわからなかった。また、この事件をきっかけに、チームの顧問弁護士と管理者がコーチングスタッフと共に全てのルール変更及び解釈の調査を行い、ルールの解釈に関する疑義については彼らのところに行くようにスタッフに求めているとクラフトは語った。クラフトは、ペイトリオッツがサイドラインでのコミュニケーションツールやプレイクロックを不正に操作しているという疑惑に対しては、それらを管理しているのはチームではなくリーグオフィシャルが管理しているものとして否定した。最後に、クラフトはペイトリオッツは誤報はあったものの、その後は前に進んでおり、ボストン・ヘラルドとは以前のような関係を再度築いていきたいと語った。

2008年5月16日の紙面で、トメセは誤報記事を発表する発端を説明した。トメセは、2006年シーズン後半に噂を初めて耳にしたが、2007年9月の事件後に非常に強固な情報源によって噂が再浮上するまで否定的であった。スーパーボウルの2日前、ニューヨーク・タイムズとESPNがマット・ウォルシュの記事を発表したところ、ウォルシュの名前がアラームとなり、多くの人が彼がウォークスルーを撮影したと信じていた。トメセはペイトリオッツや他のレポーターが警告したにも関わらず、タイミングを逃したくなかったため、結果を考慮して後退することはなかったと付け加えた。記事が情報源を伏せていた間、トメセは記事の内容に対して複数の情報源を持っており、情報源を明かすことを拒絶した。最後に、トメセは情報源から嘘を伝えられていたとは感じておらず、テープを見ることや、組織のメンバーからコメントを取ることもなく記事を発表するべきではなかったと語った。

スペクターによる独自調査の要求[編集]

ウォルシュとワシントンD.C.での面談を行った次の日、スペクターは記者会見を行い、ペイトリオッツの撮影に関する独自調査を求めていることを明らかにした。スペクターは、野球のステロイドに関するジョージ・J・ミッチェル上院議員のレポートを公正な外部調査の例として引用した。スペクターは、ペイトリオッツの行為に関するNFPの調査では利害の対立が生じていると信じており、ペイトリオッツの弁護士ダン・ゴールドバーグをウォルシュとの面談の中に招き入れ、彼に質問を行わせたとして、NFLを批判した。彼はまた、ペイトリオッツが大衆に対してペイトリオッツの行為について「より多くの率直さと、より多くの信頼性」を負っていると語った。

スペクターはウォルシュとの面談の内容についても述べた。ウォルシュの話によると、元ペイトリオッツのオフェンス選手が、ベリチックやアダム、当時のオフェンシブ・コーディネーターのチャーリー・ウェイズとの面談に2000年9月3日のタンパベイ・バッカニアーズ戦の前に呼ばれ、事前に記録されたディフェンスのシグナルを記憶するよう指南され、試合中にサイドラインから相手のシグナルを観察し、内容をウェイズに伝えるように言われたたことをウォルシュに伝えた。当該選手によると、この方法を用いることで、ペイトリオッツは相手ディフェンスの75%のコールを予想することができた。

スペクターは記者会見の中で、ウォルシュがジェッツのシグナルを撮影している間、ジェッツのビデオ撮影係の隣に立っており、彼もまたシグナルを撮影していたことも明かした。後にウォルシュは、ジェッツのカメラマンがカメラをペイトリオッツのサイドラインに向けていたが、ウォルシュは彼が自身と同じことを行っていることを知っていたため、彼の行為に対して何を行っているか問いかけなかったと語った。その後、ウォルシュは当時のディフェンシブ・コーディネーターのロメオ・クレンネルに対して、ジェッツが撮影していた出来事を考慮して、チームのシグナルを変更するようにアドバイスした。

2008年5月15日、スペンサーと上院司法委員会で共に活動しているテッド・ケネディー上院議員は、スペクターの考えに対して「イラク戦争が勃発し、ガソリン価格は1ガロンあたり4ドル近く上昇しており、多くのアメリカ国民は差し押さえのために記録的な速さで家を失っている。上院議員は国民があがいている現実の問題に焦点を当てるべきである」とコメントした。

2008年6月16日、フィラデルフィア・デイリー・ニュースのインタビューで、スペクターはこの問題に関して「できる限りのことはやった」として、上院での審問を要求することはないと話した。

2015年ESPNレポート[編集]

2015年のESPNのレポートで、ドン・ヴァン・ナッタ・ジュニアとセス・ウィッカーシャムは、「デフレートゲート事件の対応は、スパイゲート事件における性急で不完全な対応に影響を受けている」と主張した。ヴァン・ナッタ・ジュニアとウィッカーシャムは、NFLのイメージ保護や、グッデルのコミッショナー選出に大きな影響を持っているペイトリオッツオーナーのロバート・クラフトへの忖度のために、スパイゲート事件の真相はグッデルとNFLによって隠されたと主張した。そのレポートでは、2000年から2007年の少なくとも40試合に渡って、試合中に相手チームコーチのシグナルを撮影及び解読し、ペイトリオッツのコーチやフィールド上の選手に内容が伝達するという非常に複雑なシステムの存在を主張している。このシステムは、精密な記憶力を持ち、NFLでフットボール・リサーチ・ディレクターという称号を唯一保持しているベリチックへのサポートともなっていた。彼は、対戦相手のベンチを観察し、彼らのハドルを撮影していた。記事によると、スカウティングチームがペイトリオッツとの対戦相手のところへ向かい、シグナルやサインを撮影していた。彼らはシグナルとそれに対応するプレーの一覧を作成し、ベリチックに渡していた。また、ペイトリオッツは時折当該チームの元所属選手を獲得し、シグナルが正確に記録されているかどうかを尋ね、その後選手をカットしていた。

セントルイス・ラムズの元オフェンシブ・コーディネーターであるマイク・マーズの声明では、彼はNFLのスパイゲート事件に関する調査に満足しており、ペイトリオッツは反則を犯しておらず、全ての人がスティーラーズやイーグルスのコーチが行ったように振る舞うように投げかけた。マーズはグッデルが、NFLオファシャルが宣誓の下に議会審問に召喚される事態は避けなければならないと、自身に伝えてた内容を思い出した。「もしそれが調査に至るのであれば、リーグにとって辛いこととなる」とグッデルはマーズに伝えていた。

2010年のブロンコスに対する告発[編集]

2010年10月30日にロンドンウェンブリー・スタジアムで開催されたNFLインターナショナルシリーズの直前に、ブロンコスのビデオ担当者スティーブ・スカーネクシアがサンフランシスコ・フォーティーナイナーズのウォークスルーを撮影したことを受けて、2010年11月27日にNFLは、デンバー・ブロンコス及びHCジョシュ・マクダニエル(2001年から2008年においてベリチックの元でペイトリオッツのアシスタントコーチを務めていた)に対して、それぞれ5万ドルの罰金を課した。

長年ペイトリオッツのオフェンシブ・ライン・コーチを務めていたダンテ・スカーネクシアの息子であるスティーブ・スカーネクシアは、2001年から2004年までペイトリオッツのビデオアシストを務め、その後ジェッツのビデオ部門に2006年から2007年まで所属した。NFLによる処分の結果、スカーネシアはブロンコスから解雇され、NFLの禁止ポリシーに2回違反したため、NFLによる聴聞会の対象となった。

脚注[編集]