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メモ[編集]

橘町一丁目[編集]

昭和9年8月15日、「横山町二丁目 自一九番ノ一 至一九番ノ三」、「橘町一丁目(東緑河岸ノ一部ヲ含ム)自一番 至一二番 自一四番 至一七番」、「橘町二丁目 一円」、「橘町三丁目 一円」、「橘町四丁目 一円」、「村松町 自一番 至一〇番」、「若松町 自一番 至八番ノ二」、「沿接スル官有無番地」をもって、新たに橘町が画された。(昭和9年東京市告示第471号)

昭和22年3月15日、町名に「日本橋を冠する」。(昭和22年東京都告示第149号)

昭和46年4月1日、日本橋久松町・日本橋橘町一丁目の区域をもって、新たに日本橋久松町が画された。日本橋橘町を東日本橋三丁目に町名変更した。(昭和46年東京都告示第262号)

麻布十番一・二・三丁目、東麻布一・二・三丁目[編集]

「昭和37年10月」、住居表示係設置。「昭和38年3月」に「区議会も港区全域を市街地と認定し、住居表示を実施することを議決」。(東京都港区編『新修港区史』1979年、744頁「第二編・第一章 市街の変貌と生活の諸相 第三節 激変する市街(八)新しい町名」)

信濃町、霞岳町[編集]

昭和18年4月1日、「平長町 一円」、「東信濃町 自一番ノ二 至三番ノ五(...略)」、「西信濃町 自一番ノ一 至一番ノ三(...略)」、「大番町 七二番ノ一 七二番ノ三」、「沿接スル国有地」をもって、新たに信濃町が画された。「西信濃町 二二番ノ二 自二三番 至二四番」、「大番町 七二番ノ二 七三番ノ二」、「霞ヶ岳町一円」、「沿接スル国有地」をもって、新たに霞岳町が画された。(昭和18年東京市告示第19号)