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70年のユダヤ戦争エルサレム攻囲戦エルサレム神殿が崩壊し、熱心党エッセネ派が消滅し、パリサイ派だけが残った[1]。絵画『エルサレムの包囲と破壊』、David Roberts, 1850年
ユダヤ教の祭具、ジュダイカ。ユダヤ教徒にとって安息日(ヘブライ語: שבת シャバット)は聖なる全き休みの日であり、この日に働いた者は殺されるだろうと出エジプト記ではいわれる[2]ヘブライ語聖書タナハ、楽器ショファーシトロン箱。
イスカリオテのユダ(右側) 『最後の晩餐』、カール・ハインリッヒ・ブロッホ作、19世紀
マドリードマヨール広場で行われた異端判決宣告式
1614年8月22日フランクフルトフェットミルヒの略奪(Fettmilch-Aufstand, ゴットフリート『年代記』[3])。
ドレフュス事件の時のパリモンマルトルでの反ユダヤ暴動(Le Petit Parisien, 1898年)
アウシュヴィッツ第二強制収容所ポーランドブジェジンカ(ドイツ語ビルケナウ)
2014年ガザ侵攻イスラエル軍パレスチナ自治区ガザ地区を攻撃。反イスラエルのデモが各地で発生した。
2015年パリ20区で発生したユダヤ食品店人質事件

反ユダヤ主義(はんユダヤしゅぎ)とは、ユダヤ人およびユダヤ教に対する敵意、憎悪、迫害、偏見のこと[4]。また、宗教的・経済的・人種的理由からユダヤ人を差別・排斥しようとする思想のこと[5]

19世紀以降の人種説に基づく立場を反セム主義(はんセムしゅぎ)またはアンティセミティズム: antisemitism)と呼び[4][6]、近代人種差別主義以前のユダヤ人憎悪(: judeophobia,: Judenhass[7]とは区別して人種論的反セム主義ともいう[8]。セムとはセム語を話すセム族を指し、アラブ人やユダヤ人を含む。19世紀にエルネスト・ルナンやヴィルヘルム・マルなどによってセム族とアーリア族が対比され、反ユダヤ主義を「反セム主義」とする用語も定着した[注 1]

歴史[編集]

現代[編集]

パレスチナ問題と反シオニズム・反イスラエル[編集]

過激派シオニストイルグンに爆破されたキング・デイヴィッド・ホテル

1944年、過激派シオニストによってイギリス中東大臣ウォルター・ギネス ・モイン卿が暗殺された。第二次世界大戦後の1946年7月22日には過激派シオニストイルグンによってキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件が起こり、91名の死者を出した。1948年9月17日には過激派レヒによって国連特使フォルケ・ベルナドッテ伯が暗殺された。

1947年11月に国際連合パレスチナ分割決議が採択されると、アラブ側は反発し、パレスチナ内戦が始まった。1948年4月にはデイル・ヤシーン事件ハダサー医療従事者虐殺事件が起きた。1948年5月14日にイギリスが委任統治を終了すると、同時にイスラエルが独立を宣言した。翌日、中東戦争が勃発した。当初はアラブ軍優勢であったが、イスラエル側は国防軍を編成して反攻し、1949年7月の停戦までにパレスチナの大部分をイスラエルが獲得した。その後も1956年第二次中東戦争1967年第三次中東戦争1973年第四次中東戦争が起こった。

1980年代にイスラエルはゴラン高原併合、レバノン侵攻1987年第1次インティファーダ弾圧などを実施していったが、こうした軍事行動に対する国際的な批判に対してイスラエルは「シオニズム批判は反ユダヤ主義である」と反論して内外の言論人を脅かした[11]

イスラエル人パレスチナ人との紛争は続き、2000年第2次インティファーダ2006年ガザ侵攻2008年ガザ紛争2014年ガザ侵攻が起こった。2014年のガザ侵攻に際しては、学校なども攻撃対象にして市民を巻き込む作戦も実行するイスラエルに対してアメリカ政府も非難した[12]。また、欧米でイスラエルを批判するデモなどが発生し、フランスでは2014年7月13日のデモでイスラエル支持派と反イスラエル派が衝突しており、7月20日のデモではパリのユダヤ人地区で反ユダヤ主義的な主張が起こった[13]。ドイツでは7月後半にユダヤ人への軽蔑やシナゴーク批判が発生し、火炎瓶の投げ込みも起こっており、7月末のオランダでも反ユダヤ主義を煽るデモが起こった[14]。また、ペネロペ・クルスハビエル・バルデムなどの俳優や映画監督など数十人は、イスラエル軍パレスチナ人大量虐殺を批判、停戦を求める書簡に署名した。この時、ジョン・ヴォイトは「今回のような行動は、世界中で反ユダヤ主義をあおりかねない」とコメントし、中東問題に関して行動を慎むよう警告した[15]。このヴォイトの発言に、署名したバルデムは「私たちは悲惨で痛ましい戦争を心から憎むと同じように、反ユダヤ主義を嫌悪している」と反論した[16]

2016年12月24日には国連がイスラエルのパレスチナ自治区内入植活動を非難する決議を採択した[17]。イスラエルのダノン国連代表は、ユダヤ人の心である首都エルサレムでの住居の建設を非難する行為であり、フランス人がパリに、アメリカ人がワシントンに住居を建設するのは禁止するのかと反発した[18]

ドイツ[編集]

1946年ニュルンベルク裁判ユリウス・シュトライヒャーは「もしルターが生きていたなら、必ずや本日、私の代わりにこの被告席に座っていた」と述べた[19]

1949年、元ドイツ国防軍オットー・エルンスト・レーマーとフリッツ・ドールスが西ドイツドイツ社会主義帝国党を結成し、フレンスブルク政府を正統政府としてドイツ連邦共和国はアメリカの傀儡政権とみなし、1951年にはニーダーザクセン州選挙で11%の得票があったが、翌年に「ネオナチ組織」として解散を命じられた[20]

1952年のドイツの世論調査では、ヒトラーについて国民の24%が肯定的に評価した[21]。ナチ党で最も評価が高かったのはカール・デーニッツで46%、次にゲーリングが国民の37%が肯定的に評価し、ヒトラーは第三位の人気があった[21]。また国民の44%がドイツ国民の全階級と全利益を代表する強力な単一政党を望んでいると回答した[21]

1960年に歴史家のゴーロ・マンは、第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国でドイツ人の大多数がヴァイマール共和制の時代よりも安心しているのは、現実としてユダヤ人が少なくなったことになんらかの関わりがあると述べた[22]1962年に哲学者ショーレムは、ドイツ人とユダヤ人の対話は歴史として存在しなかったし、メンデルゾーンの弟子たちがいう「共生」は空虚な叫びにすぎないと批判した[23]

1964年、元ナチス党武装親衛隊ヴァルデマル・シュッツがドイツ国家民主党を創設し、党は現在も活動している[20]1971年にはドイツ民族同盟(Deutsche Volksunion)が結成された[20]

キリスト教社会同盟党首フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスは、経済で偉業をなしとげたドイツ国民はもはやアウシュヴィッツでとやかく言われずに済ませる権利があると1969年に発言し、1977年にはドイツの過去を何かにつけて引き合いに出すのは止めにしてもらいたいし、イスラエルを含めて近隣諸国から何か言われる筋合いはないと発言した[21]

1983年、元ナチス党武装親衛隊フランツ・シェーンフーバーらがドイツ共和党をミュンヘンで創設したが、シェーンフーバーは「国家社会主義国家は法の支配と矛盾するし、人種主義とファシズムはドイツに恐ろしい破局をもたらした」とナチスを批判した[20]

1991年1月の南ドイツ新聞の調査では、好感を持てる国としてイスラエルは最下位であった[21]1992年1月のデア・シュピーゲル・エムニート世論研究所の世論調査では、国民の62%が戦時中のユダヤ人迫害を話題にするのはそろそろ止めるべきだと答えた[21]。1992–93年には、旧東ドイツネオナチの若者がトルコ人移民や、ユダヤ人墓地を襲撃した[20]

ギリシャ経済危機欧州債務危機を背景に2013年にドイツのための選択肢(オルタナティブ・フュア・ドイッチュラント,AfD)が創設され、反EU、反イスラーム難民政策批判などを主張した[24]。AfD党員には反ユダヤ主義的発言をする者もおり、AfD党テューリンゲン州代表ビョルン・ヘッケ州議会議員はホロコースト慰霊碑を「恥の記念碑」と批判、またヒトラーは絶対悪ではないと発言した[25]。これに対して世界ユダヤ人会議会長ロナルド・ローダーはAfD党を「ドイツの恥」と批判した[25]フラウケ・ペトリーAfD党首(当時)はホロコースト慰霊碑には賛否両論があると述べ、ユダヤ人中央評議会の前代表クノブロッホは反ユダヤ主義的だと批判した[25]。AfD党は、2016年元日に発生した難民集団によるケルン集団性暴行事件をきっかけに支持され、2017年9月の連邦議会選挙では94議席を獲得して第3党となった[24]。2018年にはドイツキリスト教民主同盟のアンネグレート・クランプ=カレンバウアーがAfD党の反ユダヤ主義を批判した[26]

2018年にはユダヤ教徒の帽子キッパを被った二名が襲撃され、ユダヤ人中央評議会はキッパを着用しないよう呼びかけた一方で、ユダヤ人フォーラムは着用して闘うべきだと述べた[27]メルケル首相は右翼だけでなく、イスラム教徒の難民にも反ユダヤ主義があると述べた[27]。ドイツではイスラム系からの反ユダヤ主義も高まっており特に難民の増加した2015年ごろから攻撃が増えている[28][29]

1989年以降ドイツでは旧ソビエト連邦からのユダヤ人移民が増加し、それまで3万人だったユダヤ人人口は2018年には20万人を超えるにいたった[27]

オーストリア[編集]

ブルーノ・クライスキー

オーストリア社会党首で初のユダヤ人オーストリア首相ブルーノ・クライスキーはラジカルにシオニズムを批判する左翼であるだけでなく「ユダヤ人が人間だとすれば、吐気を催す類の人間だ」とも述べる反ユダヤ主義者であった[30]

オーストリアの作家トーマス・ベルンハルト1988年の戯曲『英雄広場』では、作中人物(シュスター教授)がユダヤ人嫌いはオーストリア人の持って生まれた本性というセリフがある[31]

フランス[編集]

第二次世界大戦後になると、戦時中に反ユダヤ主義的発言を繰り返したジョルジュ・ベルナノスはユダヤ人によるワルシャワ・ゲットー蜂起を称賛し、アクション・フランセーズのモーニェも戦後はユダヤ人の名誉を論じた[32][33]

ジャン・クリストフ』や『チボー家の人々』などでのユダヤ人の容貌に対する紋切り型のイメージは、サルトルの反ユダヤ主義を批判した『ユダヤ人』(1946年)においても受け継がれ「鷲鼻」「唇が厚い」などと描写された[34]。またサルトルの同書では「ユダヤ人は、人間のうちで、最もおだやかな人々である」とされた[34]。ポリアコフはこの本が書かれた1946年では「ユダヤ人について、良きにつけ悪しきにつけ誇張を述べずに済ませることは困難だった」と述べている[34]

精神分析家ジャック・ラカンは『精神分析の四基本概念』(1963-4)で、レオン・ブロワの『ユダヤ人による救い』を引用して、フロイトを「得体の知れぬ頭陀袋を囲んで古物売買というあのユダヤ的職業」における選別作業になぞらえた[35]。メールマンによれば、ブロワに影響を受けたラカンが精神分析で果たした役割は、ブロワが反ユダヤ主義の伝統で果たした役割と同様のものである[35]

1979年3月、パリのユダヤ人学生寮の食堂で爆弾テロがあり、負傷者30人に及んだ[36]。同年9月、ユダヤ系極左活動家で武装強盗を繰り返していたピエール・ゴルドマンが路上で射殺された[36][37]1980年10月3日にもコペルニク街のシナゴーグで爆弾テロがあり、死者4人、負傷者20人の犠牲者を出した[36]レイモン・バール首相は犠牲者を「罪のないフランス人」と「シナゴーグに通うイスラリエット」と分け、失言として批判された[36]

1982年8月9日パリのユダヤ人街の中心部のロジエ街のユダヤ料理レストラン、ジョー・ゴルデンベルグに手榴弾が投げ入れられ、死者6人、負傷者22人となった[36]

1983年以降、ジャン=マリー・ル・ペン国民戦線が急速に伸びを示す[36][注 2]。ルペンは1987年9月に「ガス室の存否問題は些事」と発言した[36]。ルペンは、ユダヤ人以外にも黒人、アラブ人などの外国人の流入に反対した[36]

1987年に逮捕された極左組織アクシオン・ディレクトのマックス・フレロ(Max Frérot)は裁判でユダヤに占領されたパレスチナや、ユダヤ人のロビー活動を批判した[21]。また、左翼的カトリック思想家で雑誌『エスプリ』編集長のジャン=マリー・ドムナックはユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルに対して「アウシュヴィッツの配当金をせしめるような挙」とし「一部のユダヤ人がジェノサイドの唯一絶対性を独り占めしようとしている」と批判した[36]

1990年5月10日、カルパントラのユダヤ人墓地陵辱事件では、遺体が掘り起こされ、串刺しにされた[36]。前日にはテレビで国民戦線のル・ペンがユダヤ人を批判していた[36]

1990年、フランス共産党議員ジャン=クロード・ゲソによって「人種差別・反セム主義・排外主義行為抑止法(ゲソ法)」が成立した[36][38][注 3]。ルペンらはゲソ法を「法的差別」と抗議し、また人種差別について研究する哲学者ドラカンパーニュも歴史問題を解決するのに司法に頼る以外に方策はないという印象を一般に与えることは果たして得策であったかと述べた[36]

1991年4月7日、フランスのエコロジー運動の指導者ジャン・ブリエールはイスラエルとシオニストのロビー活動が戦争を誘発していると書いた[36]

2015年1月9日のパリで発生したユダヤ食品店人質事件では、ISILに感化された犯人が犯行の際に店の客らに向かって「お前たちはユダヤ人だから全て殺す」と発言した[39]

イギリス[編集]

ジョージ・オーウェル

作家ジョージ・オーウェルは、ナチスのユダヤ人虐殺が報道されて以降の1945年2月の「イギリスにおける反ユダヤ主義」では「反ユダヤ的感情を自認するくらいなら、いっそ死んだほうがまし、などと言いたがる人々の多くは、反ユダヤ的になりがちな傾向を胸に秘めている」とし、反ユダヤ主義について書かれたものの大半がだめなのは、筆者が自分は汚染されていないと想定しているためであり、筆者内面の調査ができなくなっていると論じ、パブリック・スクールでユダヤ人生徒は必ずひどい目に会ったし、ユダヤ人であることは一種の身体障害であったと述べている[40]。また、ドイツ軍捕虜収容所で、訊問を担当しているウィーン出身のユダヤ人案内役が、元親衛隊将校を「豚野郎」と叫んで蹴飛ばしているのを目撃したオーウェルは、復讐は「子供じみた白昼夢」であり、残虐行為をせずにはいられないサディストの少数派だけが、戦争犯罪人や反逆者を追い詰めることに熱中すると論じた[40]

サルトル『ユダヤ人』(1946)への書評でオーウェルは「反ユダヤ主義者」は各階級に分散して多種多様であるのに、サルトルは一見して見分けのつく肉体的外見を備えた人物として描いているが、これはユダヤ人も一見して見分けがつくといわんばかりであり、またユダヤ人の同化志向を否定してユダヤ人は民族出自を重視すべきだとする箇所は反ユダヤ主義的であると批判した[40]

オーウェルの小説『1984年』(1949)では、ユダヤ人で人民の敵のゴールドスタインを顔も声も羊そっくりで「生まれつきいやらしい顔」とし、またユダヤ人による地下陰謀組織を描き、ユダヤ人を危険なものと描いた[40]。オーウェルはアイルランド民族主義運動を批判したが、ユダヤ民族主義運動のシオニズムも批判し、特にモイン卿やベルナドッテ伯の暗殺事件やキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件、ベルナドッテ伯暗殺などの過激派シオニストによるテロリズムを批判していた[40]。ユダヤ人作家アーサー・ケストラーやジャーナリストのマッガリッジによれば、オーウェルは内心では反ユダヤ的であった[40]

労働党左派には反シオニズムの傾向があるといわれ[41]、同党員ナズ・シャー下院議員はイスラエルを米国に移動させれば問題解決すると述べ、元ロンドン市長で同党員ケン・リビングストンは1932年のヒトラーはユダヤ人はイスラエルに引っ越すべきだと述べるシオニストだったと発言し、労働党は二人の党員資格を停止した[42][43]ジェレミー・コービン労働党党首は、古い反ユダヤ主義は19世紀ドイツの社会主義者アウグスト・ベーベルなどに見られるようにユダヤ人資本家が労働者を搾取しているという種類のものだが、現代の反ユダヤ主義はイスラエル政府批判と一体になっていると述べ、労働党では反ユダヤ主義にはゼロ・トレランス(非寛容)で処すると2018年に述べた[41]

アメリカ[編集]

小説家ウィリアム・スタイロンは『ソフィーの選択』(1979)で、ナチスのガス室で処刑されたのはユダヤ人以外にも100万人の非ユダヤ人がいて「ホロコーストに関するユダヤ人のまったく独占的な考え方」を弱点とする対話があり、アウシュビッツを理解することは誰にもできないと論じた[44]エリ・ヴィーゼルは、スタイロンが「アウシュビッツの意味が分かるのは、アウシュビッツの生存者だけだ」として犠牲者よりも迫害者を「人間」として描いたことを批判したが、スタイロンは迫害者も人間であったからあのような恐るべきことができたと反論した[44]。「ソフィーの選択」映画化に際しては、ヴィーゼルの「想像不可能なことを想像できるのか」という批判をのぞけば、ユダヤ人からも絶賛された[44]

アメリカ政府周辺にはイスラエル・ロビーが活躍しているとされ、親イスラエル外交をアメリカ合衆国は行っていると指摘されているが、近年はそうしたロビー活動はアメリカとイスラエル双方にとっても有益ではないとする批判も出てきている[45][46]

犯行現場となった生命の木シナゴーグ(Tree of Life – Or L'Simcha synagogue)で慰霊を行う人々。2018年11月4日

2018年10月27日、ペンシルベニア州スクイレルヒルのユダヤ教会シナゴーグで「全てのユダヤ人は死ね」と叫びながら銃を乱射した事件が発生し、11人が死亡した(ピッツバーグ・シナゴーグ銃撃事件)[47]

ブラックナショナリズム[編集]

ジェイムズ・ボールドウィン
ルイス・ファラカーン

ユダヤ系新保守主義者ノーマン・ポドレッツアーヴィング・クリストルらが大学での黒人への優遇措置に反対したことで、黒人側から反発を買い、ユダヤ人と黒人が対立した[11]

黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンは、ハーレムでのユダヤ人家主やユダヤ人商人を批判して「ユダヤ人は、ずっと以前にキリスト教徒から任された役割をハーレムで果たしつつある」と論じ、ハーレムでユダヤ人が目の仇とされるのは白人と同じ振る舞いをするからだとした[11]

ユダヤ系作家バーナード・マラマッドは「天使レヴィーン」(1958)で黒人とユダヤ人の融和を描いたが、『借家人』(1971)では、ブラックナショナリズムの黒人作家志望者とユダヤ人作家が殺し合い、ともに相果てる[11]。同じくユダヤ系のソール・ベローの『サムラー氏の惑星』(1974)では、知識人のユダヤ人と、ペニスを誇示する獣性に満ちた黒人スリとが対置された[11]

ユダヤ人と対立したアメリカの黒人運動では、イスラエル弾劾とアラブ支援路線が強化された[11]。ブラックナショナリズムのネーション・オブ・イスラムを指導するルイス・ファラカーン(Louis Farrakhan)は反ユダヤ的発言を繰り返し、1985年には「ユダヤ人をオーブンに入れたのは神だ」と述べて、名誉毀損防止同盟から批判された[48]。また新ブラックパンサー党も反ユダヤ主義的な発言を繰り返している。

ソ連・ロシア[編集]

第二次世界大戦後のスターリン政権[編集]

ユダヤ人は革命や戦争で重要な役割を果たしたが、反ユダヤ主義を先鋭化させていったスターリン政権下の1940-50年代初頭には責任あるポストに一人のユダヤ人も任命されなかった[49]

第二次世界大戦後の1946年、ユダヤ系の作家エレンブルクグロスマンは戦中のユダヤ人の悲劇を『黒書』として印刷したが、刊行を差し止められた[50]

1948年1月、ユダヤ自治州ビロビジャンユダヤ人反ファシスト委員会議長ミホエルスが暗殺、11月には委員会も廃止され、12月にはユダヤ人指導者がアメリカのスパイとして告発された[50]

1953年1月13日、アメリカのユダヤ人組織ジョイントの指示で政治家ジダーノフとシチェルバコフ将軍を暗殺したとして、ユダヤ人医師たちが逮捕され、マスコミでは「シオニストの犯罪」としてキャンペーンが繰り広げられるという医師団陰謀事件が発生した[49]。歴史家ゲレルは、この事件はスターリンによるユダヤ人政策の第一幕であり、最終的にはユダヤ人を東方地域へ強制移送することが計画されていたが、スターリンの死によって実現しなかった[49]

フルシチョフ政権[編集]

フルシチョフ書記長(任期1953年 – 1964年)

スターリンに続いてフルシチョフ書記長も反ユダヤ主義者であり、フルシチョフはユダヤ人が高い地位につくと住民から悪く見られるとし、ユダヤ人の昇進を遠ざけるなど、反ユダヤ主義的な政策をとり、ソ連では非ユダヤ民族は適性を有しているが、ユダヤ人の否定的な精神には付ける薬がなく、ユダヤ共同体の存続には懐疑的であると発言した[49]

ユダヤ系の作家パステルナークは当局から「個人主義的である」として出版が阻まれ、1958年にノーベル賞を受賞するとソ連作家同盟から除名され、パステルナークからソ連国籍を剥奪する運動が起こされた[49]

1959年10月、戦中にナチスによって3万人以上のユダヤ人が犠牲となったバビ・ヤールでスタジアム建設が計画されると、作家ネクラーソフが抗議し、1961年には詩人エフトゥシェンコが『バビ・ヤール』を書いたが、ソ連当局から弾劾された[49]。1962年にショスタコーヴィチ交響曲第13番でバビ・ヤールを扱うと、当局は物々しく警備し、報道も規制された[49]。エフトゥシェンコが当局の対応を批判すると、1963年にフルシチョフは「ファシストが犯した犯罪の犠牲者がもっぱらユダヤ人だけだったとなりかねない」と返答した[49]

1962年、イギリスの哲学者ラッセルモーリヤックやユダヤ人哲学者ブーバーの支持を得て、フルシチョフ体制下のユダヤ人迫害に抗議した[49]。フルシチョフ体制下では「経済的犯罪」「社会的寄生罪」という罪状で多くのユダヤ人が告発されていた[49]。その跳ね返りとして、ソ連では、反イスラエルのキャンペーンが繰り広げられ、アイヒマン裁判はイスラエルとドイツの共同謀議であり、シオニズムはナチズムになぞらえられた[49]

1963年、ユダヤ系の詩人ブロツキーは祖国を裏切ったとして告発され、5年間の懲役刑を宣告されたが、ブレジネフによって大赦を得て、のちにアメリカに移住した[49]。フルシチョフは反ユダヤ主義を学問へと押し上げようとして、1963年に出版されたトロフィム・キチェコの著書『素顔のユダヤ教』を支援した[49]。キチェコの著書には、イスラエル兵がナチスの鉤十字やプロイセンの鉄兜を被ったカリカチュアが掲載され、ユダヤ部族は自分たちが動物の子孫であると考え、またカナーンに侵入した後、カナーンの住民を皆殺しにしたと書いた[49]

ソ連崩壊まで[編集]

ブレジネフ書記長(任期1964年 – 1982年)の時代になっても、反ユダヤ主義は続いた。1966年、ユダヤ系作家ユーリー・ダニエリグラグに5年間強制収容され、アンドレイ・シニャフスキーは「アブラム・テルツ」というユダヤ風の筆名でエッセーを刊行したため、7年のグラグ収容が言い渡された[51]

1967年の6日戦争後、ソ連では反シオニズムキャンペーンが展開し、ユーリー・イヴァノフは著書『シオニズムにご用心』でシオニストとナチスの連携について論じた[51]

1961年に反体制的であるとして収監されたユダヤ系作家エドゥアルド・クズネツォフは、釈放されると1970年航空機ハイジャックを起こして死刑を言い渡されるが、国際世論によって刑は軽減された[52]。クズネツォフは獄中で囚人たちがブレジネフ書記長やアンドロポフKGB議長をユダヤ人とみていたことを報告している[52]。クズネツォフは1972年、イスラエルに亡命した[52]

青年団コムソモールの宣伝部書記であったが一度共産党から追放されたヴァレリー・スクルラートフは1975年に学位論文『シオニズムとアパルトヘイト』を刊行し、1976年に偽書『ヴェーレスの書』でギリシャ人とユダヤ人によって原ロシア人の文明は根こそぎ消失させられたと主張した[51]

レフ・コルネイエフはショアーの犠牲者はシオニストによって2倍3倍に水増しされたとし、ロベール・フォリソン[53]の後継者を自任した[52]

1970年代にロシアでの数学界からユダヤ系学者が追放され、熱狂的な反ユダヤ主義者のイワン・マトレヴィチ・ヴィノグラードフとポントリャーギンが支配するようになり、フランスのユダヤ系数学者ローラン・シュヴァルツは抗議した[52]

1985年、ドミトリー・ヴァシリーエフが創設したロシア愛国主義団体パーミャチは、反ユダヤ主義を公然と掲げ、ロシアはシオニズムの攻撃、タルムードの無神論、コスモポリタニズムの侵略に屈服させられ、富を掠め取られていると主張する[51]。1987年、ヴァレリー・エメリヤーノフは反シオニスト・反フリーメイソン世界戦線を創設した[51]

アレクシイ2世が1991年にイスラエルを訪問し、反ユダヤ主義を非難すると、同年2月27日雑誌『若き親衛隊』は、ユダヤ人は人類を隷属状態におとしめており、異教徒を根絶やしにする目的でアインシュタインオッペンハイマーなどのユダヤ人学者は原子爆弾を作り、同じくユダヤ人のテラー水素爆弾を、サミュエル・コーエン[54]中性子爆弾を開発したと批判した[51]。また、ニュルンベルク裁判での処刑は10月16日に失効されたが、この日はユダヤ教の休日贖罪の日(ヨム・キプル)であり、ヤハウェの復讐の日であったとした[51]

ソ連からのユダヤ人の亡命者は1971年に1万3022人、1972年に3万1681人、1973年に3万4733人、1990年から1991年には数十万人が国外へ亡命した[51]。1991年12月、ソビエト連邦の崩壊

1993年10月、ロシア自由民主党ジリノフスキーは、イスラエルとシオニストは、アメリカと結託してソ連に第二のユダヤ人国家を創設しようとしているとし、またユダヤ人がロシアの新聞を支配していると発言した[55]

その他の地域[編集]

第二次世界大戦後、ホロコースト否認も登場したが、反ユダヤ主義として批判されている。

地域差[編集]

ユダヤ人の迫害についても時代と地域によって大きな差がある。セファルディムエリアス・カネッティは、オスマン帝国領であったブルガリアからドイツ語圏に移住して初めてヨーロッパのユダヤ人差別の実態を知り「驚いた」と述べている。イスラーム教国でもユダヤ人は二等市民として厳しく差別される存在であったが、ヨーロッパに比べれば比較的自由と権利が保障されていた[57][58]

南フランスでは歴史的にユダヤ教徒追放はあったものの、フランス革命前まで南フランス文化の一部として、数々の美しいシナゴーグが建設され、数多くのラビが誕生した。ヴィシー政権下、村ぐるみでユダヤ人を匿った歴史も知られるところである。歴史的に見て、南フランス・ラングドックはある時期までイル・ド・フランスの中央政府の政治とは無縁で、中世にアルビ派ヴァルド派が弾圧された地域でもあり、ユダヤ教徒を迫害の標的にする必要などなかった、ということが言われるが、中世には南フランスでもユダヤ人に対する迫害があった。14世紀フランスで井戸や泉に毒が入れられたという噂が流れ、多くのハンセン病者とユダヤ人が犯人とされ、火刑に処されたが、これはカルカソンヌでも発生した事件である[59]

Antisemitism rates by nation[編集]

Antisemitism Rates by Nation as a Percent
Source for these figures: Anti-Defamation League:http://global100.adl.org/
Figures given are for the most recent survey year in each country
Country Percentage of adults
who are antisemitic
Number of
antisemitic adults
Total adult
population
Continent Year of survey
Algeria 87 22,000,000 24,802,335 Africa 2014
Argentina 24 6,800,000 28,280,537 South America 2015
Armenia 58 1,300,000 2,202,661 Eurasia 2014
Australia 14 2,400,000 17,255,779 Australia 2014
Austria 28 1,900,000 6,860,274 Eurasia 2014
Azerbaijan 37 2,400,000 6,483,487 Eurasia 2014
Bahrain 81 780,000 962,145 Eurasia 2014
Bangladesh 32 30,000,000 93,754,821 Eurasia 2014
Belarus 38 2,900,000 7,717,617 Eurasia 2014
Belgium 21 1,800,000 8,708,075 Eurasia 2015
Bolivia 30 1,800,000 5,834,545 South America 2014
Bosnia and Herzegovina 32 960,000 3,010,088 Eurasia 2014
Botswana 33 380,000 1,161,619 Africa 2014
Brazil 16 22,000,000 135,545,027 South America 2014
Bulgaria 44 2,700,000 6,173,529 Eurasia 2014
Cameroon 35 3,600,000 10,305,553 Africa 2014
Canada 14 3,800,000 27,168,616 North America 2014
Chile 37 4,600,000 12,458,198 South America 2014
China 20 210,000,000 1,048,092,045 Eurasia 2014
Colombia 41 12,000,000 30,461,308 South America 2014
Costa Rica 32 1,000,000 3,248,119 North America 2014
Croatia 33 1,400,000 3,527,032 Eurasia 2014
Czech Republic 13 1,100,000 8,688,800 Eurasia 2014
Denmark 8 350,000 4,342,010 Eurasia 2015
Dominican Republic 41 2,600,000 6,302,522 N/A 2014
Egypt 75 37,000,000 48,960,869 Africa 2014
Estonia 22 230,000 1,054,121 Eurasia 2014
Finland 15 640,000 4,279,855 Eurasia 2014
France 17 8,400,000 49,322,734 Eurasia 2015
Georgia 32 1,100,000 3,428,029 Eurasia 2014
Germany 16 11,000,000 69,288,263 Eurasia 2015
Ghana 15 2,000,000 13,244,761 Africa 2014
Greece 67 6,100,000 9,168,164 Eurasia 2015
Guatemala 36 2,700,000 7,434,655 North America 2014
Haiti 26 1,500,000 5,674,190 N/A 2014
Hungary 40 3,300,000 8,187,453 Eurasia 2015
Iceland 16 38,000 237,396 N/A 2014
India 20 150,000,000 771,768,316 Eurasia 2014
Indonesia 48 75,000,000 156,416,683 Eurasia (vicinity of, not on mainland) 2014
Iran 60 32,000,000 52,547,264 Eurasia 2015
Iraq 92 15,000,000 16,227,313 Eurasia 2014
Ireland 20 670,000 3,349,125 Eurasia 2014
Italy 29 15,000,000 50,242,926 Eurasia 2015
Ivory Coast 22 2,200,000 9,830,567 Africa 2014
Jamaica 18 320,000 1,785,483 N/A 2014
Japan 23 25,000,000 106,798,796 Eurasia (vicinity of, not on mainland) 2014
Jordan 81 3,100,000 3,794,764 Eurasia 2014
Kazakhstan 32 3,600,000 11,133,181 Eurasia 2014
Kenya 35 7,300,000 20,912,916 Africa 2014
Kuwait 82 1,700,000 2,109,866 Eurasia 2014
Laos 0.2 7,100 3,564,261 Eurasia 2014
Latvia 28 480,000 1,717,757 Eurasia 2015
Lebanon 78 2,400,000 3,045,647 Eurasia 2014
Libya 87 3,400,000 3,919,392 Africa 2014
Lithuania 36 890,000 2,473,854 Eurasia 2014
Malaysia 61 11,000,000 18,747,000 Eurasia (vicinity of, not on mainland) 2014
Mauritius 44 400,000 909,584 N/A 2014
Mexico 24 18,000,000 75,657,466 North America 2014
Moldova 30 840,000 2,802,915 Eurasia 2014
Mongolia 26 470,000 1,816,471 Eurasia 2014
Montenegro 29 140,000 472,423 Eurasia 2014
Morocco 80 17,000,000 20,816,002 Africa 2014
Netherlands 11 1,400,000 13,095,463 Eurasia 2015
New Zealand 14 460,000 3,280,386 N/A 2014
Nicaragua 34 1,200,000 3,414,253 North America 2014
Nigeria 16 13,000,000 79,579,521 Africa 2014
Norway 15 570,000 3,777,845 Eurasia 2014
Oman 76 1,400,000 1,868,176 Eurasia 2014
Panama 52 1,300,000 2,404,635 North America 2014
Paraguay 35 1,400,000 3,888,153 South America 2014
Peru 38 7,100,000 18,756,280 South America 2014
Philippines 3 1,600,000 54,653,047 Eurasia (vicinity of, not on mainland) 2014
Poland 37 11,000,000 30,973,440 Eurasia 2015
Portugal 21 1,800,000 8,652,842 Eurasia 2014
Qatar 80 1,200,000 1,473,249 Eurasia 2014
Romania 47 8,400,000 17,829,139 Eurasia 2015
Russia 23 27,000,000 116,902,363 Eurasia 2015
Saudi Arabia 74 13,000,000 17,534,930 Eurasia 2014
Senegal 53 3,400,000 6,447,783 Africa 2014
Serbia 42 3,200,000 7,623,800 Eurasia 2014
Singapore 16 640,000 3,985,154 Eurasia (vicinity of, not on mainland) 2014
Slovenia 27 460,000 1,704,052 Eurasia 2014
South Africa 38 13,000,000 33,171,036 Africa 2014
South Korea 53 20,000,000 38,527,331 Eurasia 2014
Spain 29 11,000,000 37,966,037 Eurasia 2015
Sweden 4 300,000 7,446,803 Eurasia 2014
Switzerland 26 1,700,000 6,377,286 Eurasia 2014
Tanzania 12 2,600,000 21,963,320 Africa 2014
Thailand 13 6,600,000 50,708,781 Eurasia 2014
Trinidad and Tobago 24 240,000 992,911 South America (vicinity of, not on mainland) 2014
Tunisia 86 6,500,000 7,553,755 Africa 2014
Turkey 71 35,000,000 49,101,089 Eurasia 2015
Uganda 16 2,400,000 15,120,061 Africa 2014
Ukraine 32 12,000,000 37,969,656 Eurasia 2015
United Arab Emirates 80 5,500,000 6,906,926 Eurasia 2014
United Kingdom 12 5,900,000 48,853,576 Eurasia (vicinity of, not on mainland) 2015
United States 10 24,000,000 237,042,682 North America 2015
Uruguay 33 810,000 2,453,317 South America 2014
Venezuela 30 5,700,000 18,846,712 South America 2014
Vietnam 6 3,800,000 62,722,262 Eurasia 2014
West Bank & Gaza Strip 93 1,900,000 2,030,259 Eurasia 2014
Yemen 88 10,000,000 11,493,390 Eurasia 2014
Antisemitism Rates by Continent (based on above figures from ADL)
Continent Percentage of adults
who are antisemitic
Number of
antisemitic adults
in the surveyed
countries
Total adult
population
in the surveyed
countries
Year(s) of Survey(s)
Africa 43 135,780,000 317,789,490 2014
Australia 14 2,400,000 17,255,779 2014
Eurasia 25 691,887,100 2,805,002,405 2014-2015
North America 15 52,000,000 356,370,426 2014-2015
South America 24 62,210,000 256,524,077 2014-2015
World 26 1,068,975,100 4,161,578,905 2014-2015
World totals are for all countries. Continent totals are for the mainland countries only.

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ルナンは『セム系言語の一般史および比較体系』(初版1855)でセム族とアーリア族を人類の決定的区分とし、P.M.Massingは反セム主義を最初に用いたのはルナンとする[6]。また、ヴィルヘルム・マル(Wilhelm Marr)による1879年の使用が初出ともされる[6][9][10]
  2. ^ 国民戦線は1972年にアルジェリア独立反対派のジャン=マリー・ル・ペンによって創設されたが、1970年代における勢力は微々たるものであった[36]
  3. ^ ゲソ法以前にも反人種差別法として1972年6月7日施行のプレヴェン法があった[36]

出典[編集]

  1. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「uey-265」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  2. ^ 出エジプト記(31:15、35:2)
  3. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「po-1-283-305」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  4. ^ a b 「反ユダヤ主義」世界大百科事典 第2版
  5. ^ 百科事典マイペディア,平凡社
  6. ^ a b c 下村 1972, p.101.
  7. ^ ポリアコフ 5巻,p.5.
  8. ^ 下村 1972, p.103-105.
  9. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「ni-mar」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  10. ^ Definition at the Online Etymology Dictionary.
  11. ^ a b c d e f #河野 2001,p.303-342.
  12. ^ “イスラエルのガザ学校攻撃、米政府が非難”. Reuters. (2014年7月30日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0FZ2B420140730 2014年8月31日閲覧。 
  13. ^ 毎日新聞 2014年(平成26年)8月4日21時28分配信
  14. ^ 産経新聞2014年8月3日23時46分配信。“【イスラエル・ガザ侵攻】欧米で反イスラエルデモ拡大 「反ユダヤ」的言動を警戒する仏独”. 産経新聞. (2014年8月3日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/140803/amr14080323460008-n1.htm 2014年8月31日閲覧。 
  15. ^ ハリウッド・リポーターのコラム
  16. ^ “ジョン・ヴォイト、ガザ空爆を非難したペネロペ・クルスとハビエル・バルデムを批判!”. 海外ドラマNAVI. (2014年8月6日). http://dramanavi.net/news/2014/08/post-3018.php 2014年8月31日閲覧。 
  17. ^ Israel settlements: Netanyahu rejects 'shameful' UN vote,BBC,24 December 2016.日本経済新聞2016/12/24.
  18. ^ U.S. Abstains From U.N. Vote Condemning Israeli Settlements, DECEMBER 23, 2016,4:33 PM,Foreignpolicy.
  19. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「osw55-75」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  20. ^ a b c d e Neofascism(Germany)」Encyclopedia Britannica.2018年2月22日アクセス
  21. ^ a b c d e f g ポリアコフ 5巻,p.38-45.
  22. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「p-4-444-9」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  23. ^ 「ドイツ人とユダヤ人との対話という神話に反対して」,上山安敏2005,p.260.ショーレムは1923年にドイツからパレスチナに移った。
  24. ^ a b 日本経済新聞「極右AfDが初議席、第3党に躍進 ドイツ議会選 」2017/9/25 10:51.
  25. ^ a b c ジェイソン・ルミエール「相次ぐユダヤ人差別発言でドイツの極右政党AfDも終わった?」(Germany's AfD Says it is 'Guarantor of Jewish Life'),ニューズウィーク日本版2017年4月7日18時08分
  26. ^ BBC,「Berlin far-right supporters outnumbered by counter-protest」27 May 2018,「独ベルリンで極右支持デモ 対抗デモにさらに多くの参加者(日本語)」2018年05月28日
  27. ^ a b c BBC,2018年04月25日「ドイツのユダヤ人団体、教徒の帽子をかぶらないよう呼びかけ 暴行事件受け」
  28. ^ ドイツをむしばむ「新たな反ユダヤ主義」”. 2018年8月25日閲覧。
  29. ^ イスラム系移民のユダヤ人憎悪”. 2018年8月25日閲覧。
  30. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「AJulius32-33」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  31. ^ ポリアコフ 5巻,p.271.
  32. ^ Thierry Maulnier, Gilbert Prouteau, L'Honneur d'être Juif , Laffont, 1971.
  33. ^ #メールマン1987,p.38-9.
  34. ^ a b c ポリアコフ 4巻,p.397-9.
  35. ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「Mehlman70-80」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  36. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ポリアコフ 5巻,p.186-196.
  37. ^ ポリアコフ 5巻,p.547-548
  38. ^ LOI no 90-615 du 13 juillet 1990 tendant à réprimer tout acte raciste, antisémite ou xénophobe.
  39. ^ 4人はユダヤ人ゆえに殺された長谷川良2015年1月16日、同年2月21日閲覧
  40. ^ a b c d e f 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「kono120-142」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  41. ^ a b BBC,Corbyn apologises for 'hurt' caused by anti-Semitism in Labour,26 March 2018.
  42. ^ 小林恭子「労働党と「反ユダヤ主義」」7 June 2018.英国ニュースダイジェスト
  43. ^ a b John Lloyd,What’s Behind Recent Eruptions Of Anti-Semitism?,Forward,April 18, 2017.「コラム:反ユダヤ主義が顕在化しているのはなぜか(日本語)」2017年4月19日 / 10:20、ロイター
  44. ^ a b c 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「kono262-302」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  45. ^ ジョン・J.ミアシャイマー、スティーヴン・M・ウォルト、『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』講談社 2007
  46. ^ 立山良司「ユダヤとアメリカ - 揺れ動くイスラエル・ロビー」中公新書2016
  47. ^ Nicole Chavez, Emanuella Grinberg and Eliott C. McLaughlin, Pittsburgh synagogue gunman said he wanted all Jews to die, criminal complaint says,CNN,October 31, 2018
  48. ^ Hitchens,God Is Not Great,Atlantic Books,2007,p219.
  49. ^ a b c d e f g h i j k l m n ポリアコフ 5巻,p.330-346.
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  51. ^ a b c d e f g h ポリアコフ 5巻,p.352-364.
  52. ^ a b c d e ポリアコフ 5巻,p.353-373.
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  54. ^ Samuel T. Cohen(1921 – 2010)
  55. ^ a b ポリアコフ 5巻,p.21-2.
  56. ^ a b #A・Julius 2010,p.16.
  57. ^ 鈴木董「オスマン帝国」参照
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参考文献[編集]

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  • 有田英也「イスラエリットの歴史(1806–1905)(上)」『ヨーロッパ文化研究』第17巻、成城大学文芸学部、1998年3月、200-166頁。 
  • 有田亘「帝国的人道主義:ワーグナーの反ユダヤ主義における国際的精神」『国際研究論叢』第27巻第3号、大阪国際大学、2014年、31-42頁。 
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  • 井代彬雄「ヴァイマル共和制初期のナチス党におけるアルフレッド・ローゼンベルクについて--ナチス官僚体制研究の一前提として」『歴史研究』第10巻、大阪教育大学歴史学研究室、1972年、23-51頁、NAID 40003823171 
  • 伊藤玄吾「リシャール・シモンとボシュエ(1):『旧約聖書の批判的歴史』の発禁処分に至るまで」『言語文化』第14巻第4号、同志社大学、2012年3月、313-351頁。 
  • 伊藤嘉啓「ワーグナーにおける反ユダヤ主義」『独仏文学』第15巻、大阪府立大学独仏文学研究会、1981年、1-19頁。 
  • 植村邦彦「解放表象の反転 人種主義的反ユダヤ主義の成立1848-1862」『關西大學經済論集』第49巻第3号、関西大学、1999年12月、45-60頁。 
  • 上山安敏『宗教と科学 ユダヤ教とキリスト教の間』岩波書店、2005年7月。ISBN 978-4000234139 
  • 梅津博道「ナポレオン三世の経済改革」『北陸大学紀要』第30巻、2006年、99-106,。 
  • 大澤武男『ユダヤ人とドイツ』講談社〈講談社現代新書〉、1991年。 
  • 大澤武男『ユダヤ人 最後の楽園』講談社〈講談社現代新書1937〉、2008年4月。 
  • 奥田敏広「ドイツ青年運動におけるエロスとナショナリズム : ハンス・ブリューアーをめぐって」『ドイツ文學研究』第44巻、京都大学総合人間学部ドイツ語部会、1999年4月1日、69-96頁、NAID 120005465658 
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  • 柿崎正樹「「トルコ国民」概念とユダヤ教徒 : トルコの反ユダヤ主義を中心に」『異文化コミュニケーション研究』第18号、神田外語大学、2006年3月、113-143頁、NAID 110006344406 
  • 勝田吉太郎「バクーニンの革命思想」『スラヴ研究』第3巻、北海道大学スラブ研究センター、1959年4月。 
  • 釜崎太「近代ドイツのトゥルネンにみる「身体」と「権力」」『弘前大学教育学部紀要』第98巻、2007年10月。 
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  • 木村, 靖二成瀬, 治山田, 欣吾 編『ドイツ史 2』山川出版社〈世界歴史大系〉、1996年7月。 
  • 木村, 靖二成瀬, 治山田, 欣吾 編『ドイツ史 3』山川出版社〈世界歴史大系〉、1997年7月。 
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  • 合田正人「レオン・ポリアコフ歴史学の射程と方法、その問題点」『文芸研究』第100巻、明治大学文芸研究会、2006年、105-123頁。 
  • 河野徹『英米文学のなかのユダヤ人』みすず書房、2001年2月。 
  • 小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』ちくま新書、2000年。 
  • 今野元「「人種論的帝国主義者」から「ヨーロッパ論者」へ?肥前榮一氏のマックス・ヴェーバー論を契機として」『政治思想研究』第6巻、政治思想学会、2006年、197-220頁。 
  • 佐藤研「ヘロデ」『岩波キリスト教辞典』大貫隆、名取四郎、宮本久雄、百瀬文晃 編、岩波書店、2002年、1025頁。ISBN 400080202X 
  • 佐藤次高『イスラームの歴史 1』山川出版社〈宗教の世界史〉、2010年6月。ISBN 4-634-43141-6 
  • 佐野誠「ナチス「安楽死」計画への道程:法史的・思想史的一考察」『浜松医科大学紀要一般教育』第12巻、1998年、1-34頁、NAID 110000494920 
  • 篠原敏昭 著「ブルーノ・バウアーの反ユダヤ主義」、石塚正英 編『ヘーゲル左派 思想・運動・歴史』法政大学出版局、1992年、291-321頁。 
  • 柴田三千雄樺山紘一福井憲彦『フランス史』 1巻、山川出版社〈世界歴史大系〉、1995年9月。ISBN 978-4-634-46090-4 
  • 柴田三千雄樺山紘一福井憲彦『フランス史〈3〉19世紀なかば〜現在』山川出版社〈世界歴史大系〉、1995年。ISBN 978-4634461109 
  • 島本美智男「カトリック社会論における私有論拠の地位」『追手門経済論集』44(1)、追手門学院大学、2009年9月、81-104頁。 
  • 下村由一「H.V.トライチュケ「われわれの見通し」 : 訳と解説」『論集』第1巻、駒澤大学、1972年3月、95-118頁、NAID 110006998080 
  • 下村由一「ドイツにおける近代反セム主義成立の諸前提(1)」『駒澤大學外国語部紀要』第1巻第98号、1972年3月、98-117頁、NAID 120005493194 
  • 下村由一「Die Geheimnisse der Weisen von Zion : ドイツにおける近代アンティゼミティズムの一史料」『論集』第3巻、駒澤大学、1974年3月、1-21頁、NAID 110006998092 
  • 杉浦忠夫「ウア・ブルシェンシャフト1815–1819 ヴァルトブルク・ゲーテ・学生運動(その1)」『明治大学教養論集』第257巻、1993年、141-166頁。 
  • 鈴木重周「19世紀末フランスにおける反ユダヤ主義の拡散とジャーナリズム」『ユダヤ・イスラエル研究』第28巻第0号、日本ユダヤ学会、2014年、12-23頁、NAID 130005568052 
  • 関哲行立石博高、中塚次郎『スペイン史』 1巻、山川出版社〈世界歴史大系〉、2008年7月。ISBN 978-4-634-46204-5 
  • 高田紘二「近代人種主義と17・18世紀思想(続)」『奈良県立商科大学研究季報』第7巻第4号、奈良県立商科大学、1997年7月10日、25-34頁。 
  • 高田紘二「ヒュームと人種主義思想」『奈良県立大学研究季報』第12巻3・4、奈良県立大学、2002年2月8日、89-94頁、NAID 110000587550 
  • 高野茂「19世紀末ヴィーンにおける音楽と政治 : ブラームス派とブルックナー派の対立をめぐって」『佐賀大学文化教育学部研究論文集』第10巻第1号、佐賀大学、2005年9月、57-65頁、NAID 110001868912 
  • 竹田和子「19世紀前半ドイツの国民意識形成に関する考察」『大阪音楽大学研究紀要』第54巻、大阪音楽大学、2016年3月1日、43-48頁、NAID 110010027982 
  • 竹田和子「『ガルテンラウベ』Die Gartenlaube -大衆化する活字メディアとその政治性」『『時代を映す鏡としての雑誌』日本独文学会研究叢書』第124巻、2017年9月30日、19-35頁。 
  • 竹原良文「アダム・ミュラーの実際政治論 : ドイツ・ロマン主義政治思想研究」『法政研究』第42巻第1号、九州大学、1975年8月25日。 
  • 多田真鋤「ドイツ精神史における反近代主義」『横浜商大論集』第32巻第1号、横浜商科大学学術研究会、1-28頁、NAID 110005999968 
  • 立川昭二『病気の社会史 文明に探る病因』日本放送出版協会〈NHKブックス 152〉、1971年。 
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  • 永田善久「ヤーコプ・グリムの「フォルク」」『福岡大学人文論叢』第40巻第2号、福岡大学、2008年9月、369-386頁。 
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  • 村上俊介 著「ブルーノ・バウアーと3月革命」、石塚正英 編『ヘーゲル左派 思想・運動・歴史』法政大学出版局、1992年、257-290頁。 
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  • 横山茂雄『聖別された肉体』書誌風の薔薇、1990年。 
  • 吉田寛『ヴァーグナーの「ドイツ」 超政治とナショナル・アイデンティティのゆくえ』青弓社、2009年10月。ISBN 978-4787272737 
  • 渡部重美「18世紀末ドイツ文学・文化の様相 : フリードリヒ2世のドイツ文学論を中心に据えた記述の試み」『藝文研究』第81巻、慶應義塾大学藝文学会、2001年12月。 
  • ハンナ・アーレント『全体主義の起源 3』大久保 和郎 , 大島 かおり、みすず書房、1974年12月。 
  • ミシェル・ヴィノック『知識人の時代―バレス/ジッド/サルトル』塚原史・立花英裕・築山和也・久保昭博 訳、紀伊國屋書店、2007年2月。ISBN 978-4314010085 
  • モーリス・オランデール 著、浜崎設夫 訳『エデンの園の言語 アーリア人とセム人 摂理のカップル』法政大学出版局〈叢書ウニベルシタス〉、1995年。 
  • イアン・カーショー『ヒトラー(上)1889-1936 傲慢』石田勇治監修、川喜田敦子訳、白水社、2016年1月20日。ISBN 978-4560084489 
  • イマヌエル・カント 著、久保光志 訳『美と崇高との感情性に関する観察』 カント全集2、岩波書店、2000年。 
  • イマヌエル・カント 著、宮島光志 訳『自然地理学』 カント全集16、岩波書店、2001年。 
  • ツヴィ・ギテルマン 著、池田智 訳『ロシア・ソヴィエトのユダヤ人100年の歴史』明石書店、2002年。 
  • カルロ・ギンズブルク『闇の歴史』竹山博英、せりか書房、1992年。 
  • W.E.フォン ケテラー 著、桜井健吾 訳『自由主義、社会主義、キリスト教』晃洋書房、2006年6月。ISBN 978-4771017573 
  • エリ・ケドゥーリー 著、小林正之、栄田卓弘、奥村大作 訳『ナショナリズム』学文社、2003年9月。 
  • ダニエル・J・ゴールドハーゲン、望田幸男(監訳)『普通のドイツ人とホロコースト』ミネルヴァ書房、2007年11月30日。ISBN 9784623039340 
  • ノーマン・コーン『ユダヤ人世界征服陰謀の神話―シオン賢者の議定書』内田樹訳、ダイナミックセラーズ、1986年。ISBN 4884932196 [原著1981年]
  • オスヴァルト・シュペングラー 著、村松正俊 訳『西洋の没落 第2巻 世界史の形態学の素描』五月書房、1987年。ISBN 978-4772700955 
  • F. シュライエルマッハー 著、高橋 英夫 訳『宗教論―宗教を軽んずる教養人への講話』筑摩書房、1991年11月。ISBN 978-4480013583 
  • オットー・ダン 著、末川清, 高橋秀寿, 姫岡とし子 訳『ドイツ国民とナショナリズム 1770‐1990』名古屋大学出版会、1999年12月。ISBN 978-4815803735 
  • フョードル・ドストエフスキー 著、川端香男里 訳『作家の日記 I』新潮社〈ドストエフスキー全集17巻〉、1979年。 
  • フョードル・ドストエフスキー 著、川端香男里 訳『作家の日記 II』新潮社〈ドストエフスキー全集18巻〉、1980年。 
  • フョードル・ドストエフスキー 著、川端香男里 訳『作家の日記 III』新潮社〈ドストエフスキー全集19巻〉、1980年。 
  • Sigfrid Henry Steinberg 著、成瀬治 訳『三十年戦争』〈ブリタニカ国際百科事典〉1973(1988年改訂)、401-409頁。 
  • ジェフリー・ハーフ 著、中村幹雄、谷口健治、姫岡とし子 訳『保守革命とモダニズム』岩波書店、2010年。ISBN 978-4000271660 
  • エドゥアルト・フックス 著、羽田功 訳『ユダヤ人カリカチュア―風刺画に描かれた「ユダヤ人」』柏書房、1993年5月。ISBN 978-4760109760 
  • ロニー・ポチャシャー 著、佐々木博光 訳『トレント1475年―ユダヤ人儀礼殺人の裁判記録』昭和堂、2007年7月。ISBN 978-4812207406 
  • レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第1巻 キリストから宮廷ユダヤ人まで』菅野賢治訳、筑摩書房、2005年3月25日。ISBN 978-4480861214 [原著1955年]
  • レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第2巻 ムハンマドからマラーノへ』合田正人訳、筑摩書房、2005年8月10日。ISBN 978-4480861221 [原著1961年]
  • レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第3巻 ヴォルテールからヴァーグナーまで』菅野賢治訳、筑摩書房、2005年11月25日。ISBN 978-4480861238 [原著1968年]
  • レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第4巻 自殺に向かうヨーロッパ』菅野賢治・合田正人監訳、小幡谷友二・高橋博美・宮崎海子訳、筑摩書房、2006年7月。ISBN 978-4480861245 [原著1977年]
  • レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第5巻 現代の反ユダヤ主義』菅野賢治・合田正人監訳、小幡谷友二・高橋博美・宮崎海子訳、筑摩書房、2007年3月1日。ISBN 978-4480861252 [原著1994年]
  • レオン・ポリアコフ『アーリア神話―ヨーロッパにおける人種主義と民主主義の源泉』アーリア主義研究会訳、法政大学出版局、1985年8月。ISBN 978-4588001581 [原著1971年]
  • ヴィクトル・ファリアス 著、山本尤 訳『ハイデガーとナチズム』名古屋大学出版会、1990年。ISBN 9784815801427 
  • コレルス・J・リュカス『スピノザの生涯と精神』渡辺義雄訳、学樹書院、1996年。ISBN 978-4906502059 
  • ジェフリー・メールマン『巨匠たちの聖痕 フランスにおける反ユダヤ主義の遺産』内田樹、合田正人、高尾謙史、安田俊介訳、国文社、1987年。 
  • ジョージ・モッセ 著、三宅昭良 訳『ユダヤ人の<ドイツ>』講談社〈選書メチエ〉、1996年。 [原著1985年]
  • ジョージ・モッセ 著、植村和秀, 城達也, 大川清丈, 野村耕一 訳『フェルキッシュ革命 ドイツ民族主義から反ユダヤ主義へ』柏書房、1998年。 
  • E.A.リヴィングストン編『オックスフォードキリスト教辞典』木寺廉太訳、教文館、2017年。ISBN 9784764240414 
洋書
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  • Kellogg, Michael (2005), The Russian Roots of Nazism White Émigrés and the Making of National Socialism, 1917–1945, Cambridge University Press, ISBN 978-0521070058 .
  • Jon M. Mikkelsen, ed (2013-8). “Translator’s Introduction : Recent Work on Kant’s Race Theory , The Texts , The Translations”. Kant and the Concept of Race: Late Eighteenth-Century Writings. State University of New York Press. p. 1-20. ISBN 978-1438443614 
  • Charles W. Mills (2005). “Kant's Untermenschen”. In Andrew Valls. Race and Racism in Modern Philosophy. Cornell University Press. p. 169-193 
    • Charles W. Mills , Black Rights/White Wrongs: The Critique of Racial Liberalism, Oxford University Press,2017年収載。
  • Charles W. Mills (2016-7). Herman Cappelen,Tamar Szabo Gendler,John Hawthorn. ed. The Oxford Handbook of Philosophical Methodology. p. 709-732. ISBN 978-0199668779 
  • Pipes, Daniel (1997), Conspiracy: How the Paranoid Style Flourishes and Where It Comes From, The Free Press, Simon & Schuster, ISBN 978-0684871110