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ユダヤ人およびユダヤ教 |
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反ユダヤ主義(はんユダヤしゅぎ)とは、ユダヤ人およびユダヤ教に対する敵意、憎悪、迫害、偏見のこと[4]。また、宗教的・経済的・人種的理由からユダヤ人を差別・排斥しようとする思想のこと[5]。
19世紀以降の人種説に基づく立場を反セム主義(はんセムしゅぎ)またはアンティセミティズム(英: antisemitism)と呼び[4][6]、近代人種差別主義以前のユダヤ人憎悪(英: judeophobia,独: Judenhass)[7]とは区別して人種論的反セム主義ともいう[8]。セムとはセム語を話すセム族を指し、アラブ人やユダヤ人を含む。19世紀にエルネスト・ルナンやヴィルヘルム・マルなどによってセム族とアーリア族が対比され、反ユダヤ主義を「反セム主義」とする用語も定着した[注 1]。
歴史[編集]
現代[編集]
パレスチナ問題と反シオニズム・反イスラエル[編集]
1944年、過激派シオニストによってイギリス中東大臣ウォルター・ギネス ・モイン卿が暗殺された。第二次世界大戦後の1946年7月22日には過激派シオニストイルグンによってキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件が起こり、91名の死者を出した。1948年9月17日には過激派レヒによって国連特使フォルケ・ベルナドッテ伯が暗殺された。
1947年11月に国際連合でパレスチナ分割決議が採択されると、アラブ側は反発し、パレスチナ内戦が始まった。1948年4月にはデイル・ヤシーン事件やハダサー医療従事者虐殺事件が起きた。1948年5月14日にイギリスが委任統治を終了すると、同時にイスラエルが独立を宣言した。翌日、中東戦争が勃発した。当初はアラブ軍優勢であったが、イスラエル側は国防軍を編成して反攻し、1949年7月の停戦までにパレスチナの大部分をイスラエルが獲得した。その後も1956年に第二次中東戦争、1967年に第三次中東戦争、1973年の第四次中東戦争が起こった。
1980年代にイスラエルはゴラン高原併合、レバノン侵攻、1987年の第1次インティファーダ弾圧などを実施していったが、こうした軍事行動に対する国際的な批判に対してイスラエルは「シオニズム批判は反ユダヤ主義である」と反論して内外の言論人を脅かした[11]。
イスラエル人とパレスチナ人との紛争は続き、2000年の第2次インティファーダ、2006年のガザ侵攻、2008年のガザ紛争、2014年のガザ侵攻が起こった。2014年のガザ侵攻に際しては、学校なども攻撃対象にして市民を巻き込む作戦も実行するイスラエルに対してアメリカ政府も非難した[12]。また、欧米でイスラエルを批判するデモなどが発生し、フランスでは2014年7月13日のデモでイスラエル支持派と反イスラエル派が衝突しており、7月20日のデモではパリのユダヤ人地区で反ユダヤ主義的な主張が起こった[13]。ドイツでは7月後半にユダヤ人への軽蔑やシナゴーク批判が発生し、火炎瓶の投げ込みも起こっており、7月末のオランダでも反ユダヤ主義を煽るデモが起こった[14]。また、ペネロペ・クルスやハビエル・バルデムなどの俳優や映画監督など数十人は、イスラエル軍のパレスチナ人大量虐殺を批判、停戦を求める書簡に署名した。この時、ジョン・ヴォイトは「今回のような行動は、世界中で反ユダヤ主義をあおりかねない」とコメントし、中東問題に関して行動を慎むよう警告した[15]。このヴォイトの発言に、署名したバルデムは「私たちは悲惨で痛ましい戦争を心から憎むと同じように、反ユダヤ主義を嫌悪している」と反論した[16]。
2016年12月24日には国連がイスラエルのパレスチナ自治区内入植活動を非難する決議を採択した[17]。イスラエルのダノン国連代表は、ユダヤ人の心である首都エルサレムでの住居の建設を非難する行為であり、フランス人がパリに、アメリカ人がワシントンに住居を建設するのは禁止するのかと反発した[18]。
ドイツ[編集]
1946年、ニュルンベルク裁判でユリウス・シュトライヒャーは「もしルターが生きていたなら、必ずや本日、私の代わりにこの被告席に座っていた」と述べた[19]。
1949年、元ドイツ国防軍のオットー・エルンスト・レーマーとフリッツ・ドールスが西ドイツでドイツ社会主義帝国党を結成し、フレンスブルク政府を正統政府としてドイツ連邦共和国はアメリカの傀儡政権とみなし、1951年にはニーダーザクセン州選挙で11%の得票があったが、翌年に「ネオナチ組織」として解散を命じられた[20]。
1952年のドイツの世論調査では、ヒトラーについて国民の24%が肯定的に評価した[21]。ナチ党で最も評価が高かったのはカール・デーニッツで46%、次にゲーリングが国民の37%が肯定的に評価し、ヒトラーは第三位の人気があった[21]。また国民の44%がドイツ国民の全階級と全利益を代表する強力な単一政党を望んでいると回答した[21]。
1960年に歴史家のゴーロ・マンは、第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国でドイツ人の大多数がヴァイマール共和制の時代よりも安心しているのは、現実としてユダヤ人が少なくなったことになんらかの関わりがあると述べた[22]。1962年に哲学者ショーレムは、ドイツ人とユダヤ人の対話は歴史として存在しなかったし、メンデルゾーンの弟子たちがいう「共生」は空虚な叫びにすぎないと批判した[23]。
1964年、元ナチス党武装親衛隊ヴァルデマル・シュッツがドイツ国家民主党を創設し、党は現在も活動している[20]。1971年にはドイツ民族同盟(Deutsche Volksunion)が結成された[20]。
キリスト教社会同盟党首フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスは、経済で偉業をなしとげたドイツ国民はもはやアウシュヴィッツでとやかく言われずに済ませる権利があると1969年に発言し、1977年にはドイツの過去を何かにつけて引き合いに出すのは止めにしてもらいたいし、イスラエルを含めて近隣諸国から何か言われる筋合いはないと発言した[21]。
1983年、元ナチス党武装親衛隊のフランツ・シェーンフーバーらがドイツ共和党をミュンヘンで創設したが、シェーンフーバーは「国家社会主義国家は法の支配と矛盾するし、人種主義とファシズムはドイツに恐ろしい破局をもたらした」とナチスを批判した[20]。
1991年1月の南ドイツ新聞の調査では、好感を持てる国としてイスラエルは最下位であった[21]。1992年1月のデア・シュピーゲル・エムニート世論研究所の世論調査では、国民の62%が戦時中のユダヤ人迫害を話題にするのはそろそろ止めるべきだと答えた[21]。1992–93年には、旧東ドイツのネオナチの若者がトルコ人移民や、ユダヤ人墓地を襲撃した[20]。
ギリシャ経済危機と欧州債務危機を背景に2013年にドイツのための選択肢(オルタナティブ・フュア・ドイッチュラント,AfD)が創設され、反EU、反イスラーム、難民政策批判などを主張した[24]。AfD党員には反ユダヤ主義的発言をする者もおり、AfD党テューリンゲン州代表ビョルン・ヘッケ州議会議員はホロコースト慰霊碑を「恥の記念碑」と批判、またヒトラーは絶対悪ではないと発言した[25]。これに対して世界ユダヤ人会議会長ロナルド・ローダーはAfD党を「ドイツの恥」と批判した[25]。フラウケ・ペトリーAfD党首(当時)はホロコースト慰霊碑には賛否両論があると述べ、ユダヤ人中央評議会の前代表クノブロッホは反ユダヤ主義的だと批判した[25]。AfD党は、2016年元日に発生した難民集団によるケルン集団性暴行事件をきっかけに支持され、2017年9月の連邦議会選挙では94議席を獲得して第3党となった[24]。2018年にはドイツキリスト教民主同盟のアンネグレート・クランプ=カレンバウアーがAfD党の反ユダヤ主義を批判した[26]。
2018年にはユダヤ教徒の帽子キッパを被った二名が襲撃され、ユダヤ人中央評議会はキッパを着用しないよう呼びかけた一方で、ユダヤ人フォーラムは着用して闘うべきだと述べた[27]。メルケル首相は右翼だけでなく、イスラム教徒の難民にも反ユダヤ主義があると述べた[27]。ドイツではイスラム系からの反ユダヤ主義も高まっており特に難民の増加した2015年ごろから攻撃が増えている[28][29]。
1989年以降ドイツでは旧ソビエト連邦からのユダヤ人移民が増加し、それまで3万人だったユダヤ人人口は2018年には20万人を超えるにいたった[27]。
オーストリア[編集]
オーストリア社会党首で初のユダヤ人オーストリア首相ブルーノ・クライスキーはラジカルにシオニズムを批判する左翼であるだけでなく「ユダヤ人が人間だとすれば、吐気を催す類の人間だ」とも述べる反ユダヤ主義者であった[30]。
オーストリアの作家トーマス・ベルンハルトの1988年の戯曲『英雄広場』では、作中人物(シュスター教授)がユダヤ人嫌いはオーストリア人の持って生まれた本性というセリフがある[31]。
フランス[編集]
第二次世界大戦後になると、戦時中に反ユダヤ主義的発言を繰り返したジョルジュ・ベルナノスはユダヤ人によるワルシャワ・ゲットー蜂起を称賛し、アクション・フランセーズのモーニェも戦後はユダヤ人の名誉を論じた[32][33]。
『ジャン・クリストフ』や『チボー家の人々』などでのユダヤ人の容貌に対する紋切り型のイメージは、サルトルの反ユダヤ主義を批判した『ユダヤ人』(1946年)においても受け継がれ「鷲鼻」「唇が厚い」などと描写された[34]。またサルトルの同書では「ユダヤ人は、人間のうちで、最もおだやかな人々である」とされた[34]。ポリアコフはこの本が書かれた1946年では「ユダヤ人について、良きにつけ悪しきにつけ誇張を述べずに済ませることは困難だった」と述べている[34]。
精神分析家ジャック・ラカンは『精神分析の四基本概念』(1963-4)で、レオン・ブロワの『ユダヤ人による救い』を引用して、フロイトを「得体の知れぬ頭陀袋を囲んで古物売買というあのユダヤ的職業」における選別作業になぞらえた[35]。メールマンによれば、ブロワに影響を受けたラカンが精神分析で果たした役割は、ブロワが反ユダヤ主義の伝統で果たした役割と同様のものである[35]。
1979年3月、パリのユダヤ人学生寮の食堂で爆弾テロがあり、負傷者30人に及んだ[36]。同年9月、ユダヤ系極左活動家で武装強盗を繰り返していたピエール・ゴルドマンが路上で射殺された[36][37]。1980年10月3日にもコペルニク街のシナゴーグで爆弾テロがあり、死者4人、負傷者20人の犠牲者を出した[36]。レイモン・バール首相は犠牲者を「罪のないフランス人」と「シナゴーグに通うイスラリエット」と分け、失言として批判された[36]。
1982年8月9日、パリのユダヤ人街の中心部のロジエ街のユダヤ料理レストラン、ジョー・ゴルデンベルグに手榴弾が投げ入れられ、死者6人、負傷者22人となった[36]。
1983年以降、ジャン=マリー・ル・ペンの国民戦線が急速に伸びを示す[36][注 2]。ルペンは1987年9月に「ガス室の存否問題は些事」と発言した[36]。ルペンは、ユダヤ人以外にも黒人、アラブ人などの外国人の流入に反対した[36]。
1987年に逮捕された極左組織アクシオン・ディレクトのマックス・フレロ(Max Frérot)は裁判でユダヤに占領されたパレスチナや、ユダヤ人のロビー活動を批判した[21]。また、左翼的カトリック思想家で雑誌『エスプリ』編集長のジャン=マリー・ドムナックはユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルに対して「アウシュヴィッツの配当金をせしめるような挙」とし「一部のユダヤ人がジェノサイドの唯一絶対性を独り占めしようとしている」と批判した[36]。
1990年5月10日、カルパントラのユダヤ人墓地陵辱事件では、遺体が掘り起こされ、串刺しにされた[36]。前日にはテレビで国民戦線のル・ペンがユダヤ人を批判していた[36]。
1990年、フランス共産党議員ジャン=クロード・ゲソによって「人種差別・反セム主義・排外主義行為抑止法(ゲソ法)」が成立した[36][38][注 3]。ルペンらはゲソ法を「法的差別」と抗議し、また人種差別について研究する哲学者ドラカンパーニュも歴史問題を解決するのに司法に頼る以外に方策はないという印象を一般に与えることは果たして得策であったかと述べた[36]。
1991年4月7日、フランスのエコロジー運動の指導者ジャン・ブリエールはイスラエルとシオニストのロビー活動が戦争を誘発していると書いた[36]。
2015年1月9日のパリで発生したユダヤ食品店人質事件では、ISILに感化された犯人が犯行の際に店の客らに向かって「お前たちはユダヤ人だから全て殺す」と発言した[39]。
イギリス[編集]
作家ジョージ・オーウェルは、ナチスのユダヤ人虐殺が報道されて以降の1945年2月の「イギリスにおける反ユダヤ主義」では「反ユダヤ的感情を自認するくらいなら、いっそ死んだほうがまし、などと言いたがる人々の多くは、反ユダヤ的になりがちな傾向を胸に秘めている」とし、反ユダヤ主義について書かれたものの大半がだめなのは、筆者が自分は汚染されていないと想定しているためであり、筆者内面の調査ができなくなっていると論じ、パブリック・スクールでユダヤ人生徒は必ずひどい目に会ったし、ユダヤ人であることは一種の身体障害であったと述べている[40]。また、ドイツ軍捕虜収容所で、訊問を担当しているウィーン出身のユダヤ人案内役が、元親衛隊将校を「豚野郎」と叫んで蹴飛ばしているのを目撃したオーウェルは、復讐は「子供じみた白昼夢」であり、残虐行為をせずにはいられないサディストの少数派だけが、戦争犯罪人や反逆者を追い詰めることに熱中すると論じた[40]。
サルトル『ユダヤ人』(1946)への書評でオーウェルは「反ユダヤ主義者」は各階級に分散して多種多様であるのに、サルトルは一見して見分けのつく肉体的外見を備えた人物として描いているが、これはユダヤ人も一見して見分けがつくといわんばかりであり、またユダヤ人の同化志向を否定してユダヤ人は民族出自を重視すべきだとする箇所は反ユダヤ主義的であると批判した[40]。
オーウェルの小説『1984年』(1949)では、ユダヤ人で人民の敵のゴールドスタインを顔も声も羊そっくりで「生まれつきいやらしい顔」とし、またユダヤ人による地下陰謀組織を描き、ユダヤ人を危険なものと描いた[40]。オーウェルはアイルランド民族主義運動を批判したが、ユダヤ民族主義運動のシオニズムも批判し、特にモイン卿やベルナドッテ伯の暗殺事件やキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件、ベルナドッテ伯暗殺などの過激派シオニストによるテロリズムを批判していた[40]。ユダヤ人作家アーサー・ケストラーやジャーナリストのマッガリッジによれば、オーウェルは内心では反ユダヤ的であった[40]。
労働党左派には反シオニズムの傾向があるといわれ[41]、同党員ナズ・シャー下院議員はイスラエルを米国に移動させれば問題解決すると述べ、元ロンドン市長で同党員ケン・リビングストンは1932年のヒトラーはユダヤ人はイスラエルに引っ越すべきだと述べるシオニストだったと発言し、労働党は二人の党員資格を停止した[42][43]。ジェレミー・コービン労働党党首は、古い反ユダヤ主義は19世紀ドイツの社会主義者アウグスト・ベーベルなどに見られるようにユダヤ人資本家が労働者を搾取しているという種類のものだが、現代の反ユダヤ主義はイスラエル政府批判と一体になっていると述べ、労働党では反ユダヤ主義にはゼロ・トレランス(非寛容)で処すると2018年に述べた[41]。
アメリカ[編集]
小説家ウィリアム・スタイロンは『ソフィーの選択』(1979)で、ナチスのガス室で処刑されたのはユダヤ人以外にも100万人の非ユダヤ人がいて「ホロコーストに関するユダヤ人のまったく独占的な考え方」を弱点とする対話があり、アウシュビッツを理解することは誰にもできないと論じた[44]。エリ・ヴィーゼルは、スタイロンが「アウシュビッツの意味が分かるのは、アウシュビッツの生存者だけだ」として犠牲者よりも迫害者を「人間」として描いたことを批判したが、スタイロンは迫害者も人間であったからあのような恐るべきことができたと反論した[44]。「ソフィーの選択」映画化に際しては、ヴィーゼルの「想像不可能なことを想像できるのか」という批判をのぞけば、ユダヤ人からも絶賛された[44]。
アメリカ政府周辺にはイスラエル・ロビーが活躍しているとされ、親イスラエル外交をアメリカ合衆国は行っていると指摘されているが、近年はそうしたロビー活動はアメリカとイスラエル双方にとっても有益ではないとする批判も出てきている[45][46]。
2018年10月27日、ペンシルベニア州スクイレルヒルのユダヤ教会シナゴーグで「全てのユダヤ人は死ね」と叫びながら銃を乱射した事件が発生し、11人が死亡した(ピッツバーグ・シナゴーグ銃撃事件)[47]。
ブラックナショナリズム[編集]
ユダヤ系新保守主義者のノーマン・ポドレッツやアーヴィング・クリストルらが大学での黒人への優遇措置に反対したことで、黒人側から反発を買い、ユダヤ人と黒人が対立した[11]。
黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンは、ハーレムでのユダヤ人家主やユダヤ人商人を批判して「ユダヤ人は、ずっと以前にキリスト教徒から任された役割をハーレムで果たしつつある」と論じ、ハーレムでユダヤ人が目の仇とされるのは白人と同じ振る舞いをするからだとした[11]。
ユダヤ系作家バーナード・マラマッドは「天使レヴィーン」(1958)で黒人とユダヤ人の融和を描いたが、『借家人』(1971)では、ブラックナショナリズムの黒人作家志望者とユダヤ人作家が殺し合い、ともに相果てる[11]。同じくユダヤ系のソール・ベローの『サムラー氏の惑星』(1974)では、知識人のユダヤ人と、ペニスを誇示する獣性に満ちた黒人スリとが対置された[11]。
ユダヤ人と対立したアメリカの黒人運動では、イスラエル弾劾とアラブ支援路線が強化された[11]。ブラックナショナリズムのネーション・オブ・イスラムを指導するルイス・ファラカーン(Louis Farrakhan)は反ユダヤ的発言を繰り返し、1985年には「ユダヤ人をオーブンに入れたのは神だ」と述べて、名誉毀損防止同盟から批判された[48]。また新ブラックパンサー党も反ユダヤ主義的な発言を繰り返している。
ソ連・ロシア[編集]
第二次世界大戦後のスターリン政権[編集]
ユダヤ人は革命や戦争で重要な役割を果たしたが、反ユダヤ主義を先鋭化させていったスターリン政権下の1940-50年代初頭には責任あるポストに一人のユダヤ人も任命されなかった[49]。
第二次世界大戦後の1946年、ユダヤ系の作家エレンブルクとグロスマンは戦中のユダヤ人の悲劇を『黒書』として印刷したが、刊行を差し止められた[50]。
1948年1月、ユダヤ自治州ビロビジャンでユダヤ人反ファシスト委員会議長ミホエルスが暗殺、11月には委員会も廃止され、12月にはユダヤ人指導者がアメリカのスパイとして告発された[50]。
1953年1月13日、アメリカのユダヤ人組織ジョイントの指示で政治家ジダーノフとシチェルバコフ将軍を暗殺したとして、ユダヤ人医師たちが逮捕され、マスコミでは「シオニストの犯罪」としてキャンペーンが繰り広げられるという医師団陰謀事件が発生した[49]。歴史家ゲレルは、この事件はスターリンによるユダヤ人政策の第一幕であり、最終的にはユダヤ人を東方地域へ強制移送することが計画されていたが、スターリンの死によって実現しなかった[49]。
フルシチョフ政権[編集]
スターリンに続いてフルシチョフ書記長も反ユダヤ主義者であり、フルシチョフはユダヤ人が高い地位につくと住民から悪く見られるとし、ユダヤ人の昇進を遠ざけるなど、反ユダヤ主義的な政策をとり、ソ連では非ユダヤ民族は適性を有しているが、ユダヤ人の否定的な精神には付ける薬がなく、ユダヤ共同体の存続には懐疑的であると発言した[49]。
ユダヤ系の作家パステルナークは当局から「個人主義的である」として出版が阻まれ、1958年にノーベル賞を受賞するとソ連作家同盟から除名され、パステルナークからソ連国籍を剥奪する運動が起こされた[49]。
1959年10月、戦中にナチスによって3万人以上のユダヤ人が犠牲となったバビ・ヤールでスタジアム建設が計画されると、作家ネクラーソフが抗議し、1961年には詩人エフトゥシェンコが『バビ・ヤール』を書いたが、ソ連当局から弾劾された[49]。1962年にショスタコーヴィチが交響曲第13番でバビ・ヤールを扱うと、当局は物々しく警備し、報道も規制された[49]。エフトゥシェンコが当局の対応を批判すると、1963年にフルシチョフは「ファシストが犯した犯罪の犠牲者がもっぱらユダヤ人だけだったとなりかねない」と返答した[49]。
1962年、イギリスの哲学者ラッセルがモーリヤックやユダヤ人哲学者ブーバーの支持を得て、フルシチョフ体制下のユダヤ人迫害に抗議した[49]。フルシチョフ体制下では「経済的犯罪」「社会的寄生罪」という罪状で多くのユダヤ人が告発されていた[49]。その跳ね返りとして、ソ連では、反イスラエルのキャンペーンが繰り広げられ、アイヒマン裁判はイスラエルとドイツの共同謀議であり、シオニズムはナチズムになぞらえられた[49]。
1963年、ユダヤ系の詩人ブロツキーは祖国を裏切ったとして告発され、5年間の懲役刑を宣告されたが、ブレジネフによって大赦を得て、のちにアメリカに移住した[49]。フルシチョフは反ユダヤ主義を学問へと押し上げようとして、1963年に出版されたトロフィム・キチェコの著書『素顔のユダヤ教』を支援した[49]。キチェコの著書には、イスラエル兵がナチスの鉤十字やプロイセンの鉄兜を被ったカリカチュアが掲載され、ユダヤ部族は自分たちが動物の子孫であると考え、またカナーンに侵入した後、カナーンの住民を皆殺しにしたと書いた[49]。
ソ連崩壊まで[編集]
ブレジネフ書記長(任期1964年 – 1982年)の時代になっても、反ユダヤ主義は続いた。1966年、ユダヤ系作家ユーリー・ダニエリはグラグに5年間強制収容され、アンドレイ・シニャフスキーは「アブラム・テルツ」というユダヤ風の筆名でエッセーを刊行したため、7年のグラグ収容が言い渡された[51]。
1967年の6日戦争後、ソ連では反シオニズムキャンペーンが展開し、ユーリー・イヴァノフは著書『シオニズムにご用心』でシオニストとナチスの連携について論じた[51]。
1961年に反体制的であるとして収監されたユダヤ系作家エドゥアルド・クズネツォフは、釈放されると1970年に航空機ハイジャックを起こして死刑を言い渡されるが、国際世論によって刑は軽減された[52]。クズネツォフは獄中で囚人たちがブレジネフ書記長やアンドロポフKGB議長をユダヤ人とみていたことを報告している[52]。クズネツォフは1972年、イスラエルに亡命した[52]。
青年団コムソモールの宣伝部書記であったが一度共産党から追放されたヴァレリー・スクルラートフは1975年に学位論文『シオニズムとアパルトヘイト』を刊行し、1976年に偽書『ヴェーレスの書』でギリシャ人とユダヤ人によって原ロシア人の文明は根こそぎ消失させられたと主張した[51]。
レフ・コルネイエフはショアーの犠牲者はシオニストによって2倍3倍に水増しされたとし、ロベール・フォリソン[53]の後継者を自任した[52]。
1970年代にロシアでの数学界からユダヤ系学者が追放され、熱狂的な反ユダヤ主義者のイワン・マトレヴィチ・ヴィノグラードフとポントリャーギンが支配するようになり、フランスのユダヤ系数学者ローラン・シュヴァルツは抗議した[52]。
1985年、ドミトリー・ヴァシリーエフが創設したロシア愛国主義団体パーミャチは、反ユダヤ主義を公然と掲げ、ロシアはシオニズムの攻撃、タルムードの無神論、コスモポリタニズムの侵略に屈服させられ、富を掠め取られていると主張する[51]。1987年、ヴァレリー・エメリヤーノフは反シオニスト・反フリーメイソン世界戦線を創設した[51]。
アレクシイ2世が1991年にイスラエルを訪問し、反ユダヤ主義を非難すると、同年2月27日雑誌『若き親衛隊』は、ユダヤ人は人類を隷属状態におとしめており、異教徒を根絶やしにする目的でアインシュタインやオッペンハイマーなどのユダヤ人学者は原子爆弾を作り、同じくユダヤ人のテラーは水素爆弾を、サミュエル・コーエン[54]は中性子爆弾を開発したと批判した[51]。また、ニュルンベルク裁判での処刑は10月16日に失効されたが、この日はユダヤ教の休日贖罪の日(ヨム・キプル)であり、ヤハウェの復讐の日であったとした[51]。
ソ連からのユダヤ人の亡命者は1971年に1万3022人、1972年に3万1681人、1973年に3万4733人、1990年から1991年には数十万人が国外へ亡命した[51]。1991年12月、ソビエト連邦の崩壊。
1993年10月、ロシア自由民主党のジリノフスキーは、イスラエルとシオニストは、アメリカと結託してソ連に第二のユダヤ人国家を創設しようとしているとし、またユダヤ人がロシアの新聞を支配していると発言した[55]。
その他の地域[編集]
第二次世界大戦後、ホロコースト否認も登場したが、反ユダヤ主義として批判されている。
- ポーランドでは1968年に、反ユダヤ主義に反対したアダム・ラパツキが解任された。2017年にはポーランドやハンガリーで反ユダヤ主義が蔓延しているとされる[43]。
- 1979年にヨハネ・パウロ2世はローマ教皇として初めてアウシュヴィッツ強制収容所を訪問し、1983年4月には教皇として初めてローマの大シナゴーグを訪れた。
- イタリアでは1992年11月にネオファシストがローマの商店街に黄色の星と「シオニストは出て行け」と記したステッカーを貼り付けた[55]。
- 戦後日本では反イスラエルの日本赤軍が26人を殺害するテルアビブ空港乱射事件を起こしたほか、日ユ同祖論、ユダヤ陰謀論などが度々刊行されている(詳細は日本における反ユダヤ主義)。
- ジンバブエ共和国大統領ロバート・ムガベは2001年に南アフリカのユダヤ人がジンバブエの産業を支配しようとしており、また織物産業を閉鎖しようと共謀していると非難した[56]。
- サウジアラビアでは、すべてがユダヤ人のせいにされ、エアコンや蛇口の故障もユダヤ人のせいにされるとアヤーン・ヒルシ・アリは報告している[56]。
地域差[編集]
ユダヤ人の迫害についても時代と地域によって大きな差がある。セファルディムのエリアス・カネッティは、オスマン帝国領であったブルガリアからドイツ語圏に移住して初めてヨーロッパのユダヤ人差別の実態を知り「驚いた」と述べている。イスラーム教国でもユダヤ人は二等市民として厳しく差別される存在であったが、ヨーロッパに比べれば比較的自由と権利が保障されていた[57][58]。
南フランスでは歴史的にユダヤ教徒追放はあったものの、フランス革命前まで南フランス文化の一部として、数々の美しいシナゴーグが建設され、数多くのラビが誕生した。ヴィシー政権下、村ぐるみでユダヤ人を匿った歴史も知られるところである。歴史的に見て、南フランス・ラングドックはある時期までイル・ド・フランスの中央政府の政治とは無縁で、中世にアルビ派・ヴァルド派が弾圧された地域でもあり、ユダヤ教徒を迫害の標的にする必要などなかった、ということが言われるが、中世には南フランスでもユダヤ人に対する迫害があった。14世紀フランスで井戸や泉に毒が入れられたという噂が流れ、多くのハンセン病者とユダヤ人が犯人とされ、火刑に処されたが、これはカルカソンヌでも発生した事件である[59]。
Antisemitism rates by nation[編集]
Country | Percentage of adults who are antisemitic |
Number of antisemitic adults |
Total adult population |
Continent | Year of survey |
---|---|---|---|---|---|
Algeria | 87 | 22,000,000 | 24,802,335 | Africa | 2014 |
Argentina | 24 | 6,800,000 | 28,280,537 | South America | 2015 |
Armenia | 58 | 1,300,000 | 2,202,661 | Eurasia | 2014 |
Australia | 14 | 2,400,000 | 17,255,779 | Australia | 2014 |
Austria | 28 | 1,900,000 | 6,860,274 | Eurasia | 2014 |
Azerbaijan | 37 | 2,400,000 | 6,483,487 | Eurasia | 2014 |
Bahrain | 81 | 780,000 | 962,145 | Eurasia | 2014 |
Bangladesh | 32 | 30,000,000 | 93,754,821 | Eurasia | 2014 |
Belarus | 38 | 2,900,000 | 7,717,617 | Eurasia | 2014 |
Belgium | 21 | 1,800,000 | 8,708,075 | Eurasia | 2015 |
Bolivia | 30 | 1,800,000 | 5,834,545 | South America | 2014 |
Bosnia and Herzegovina | 32 | 960,000 | 3,010,088 | Eurasia | 2014 |
Botswana | 33 | 380,000 | 1,161,619 | Africa | 2014 |
Brazil | 16 | 22,000,000 | 135,545,027 | South America | 2014 |
Bulgaria | 44 | 2,700,000 | 6,173,529 | Eurasia | 2014 |
Cameroon | 35 | 3,600,000 | 10,305,553 | Africa | 2014 |
Canada | 14 | 3,800,000 | 27,168,616 | North America | 2014 |
Chile | 37 | 4,600,000 | 12,458,198 | South America | 2014 |
China | 20 | 210,000,000 | 1,048,092,045 | Eurasia | 2014 |
Colombia | 41 | 12,000,000 | 30,461,308 | South America | 2014 |
Costa Rica | 32 | 1,000,000 | 3,248,119 | North America | 2014 |
Croatia | 33 | 1,400,000 | 3,527,032 | Eurasia | 2014 |
Czech Republic | 13 | 1,100,000 | 8,688,800 | Eurasia | 2014 |
Denmark | 8 | 350,000 | 4,342,010 | Eurasia | 2015 |
Dominican Republic | 41 | 2,600,000 | 6,302,522 | N/A | 2014 |
Egypt | 75 | 37,000,000 | 48,960,869 | Africa | 2014 |
Estonia | 22 | 230,000 | 1,054,121 | Eurasia | 2014 |
Finland | 15 | 640,000 | 4,279,855 | Eurasia | 2014 |
France | 17 | 8,400,000 | 49,322,734 | Eurasia | 2015 |
Georgia | 32 | 1,100,000 | 3,428,029 | Eurasia | 2014 |
Germany | 16 | 11,000,000 | 69,288,263 | Eurasia | 2015 |
Ghana | 15 | 2,000,000 | 13,244,761 | Africa | 2014 |
Greece | 67 | 6,100,000 | 9,168,164 | Eurasia | 2015 |
Guatemala | 36 | 2,700,000 | 7,434,655 | North America | 2014 |
Haiti | 26 | 1,500,000 | 5,674,190 | N/A | 2014 |
Hungary | 40 | 3,300,000 | 8,187,453 | Eurasia | 2015 |
Iceland | 16 | 38,000 | 237,396 | N/A | 2014 |
India | 20 | 150,000,000 | 771,768,316 | Eurasia | 2014 |
Indonesia | 48 | 75,000,000 | 156,416,683 | Eurasia (vicinity of, not on mainland) | 2014 |
Iran | 60 | 32,000,000 | 52,547,264 | Eurasia | 2015 |
Iraq | 92 | 15,000,000 | 16,227,313 | Eurasia | 2014 |
Ireland | 20 | 670,000 | 3,349,125 | Eurasia | 2014 |
Italy | 29 | 15,000,000 | 50,242,926 | Eurasia | 2015 |
Ivory Coast | 22 | 2,200,000 | 9,830,567 | Africa | 2014 |
Jamaica | 18 | 320,000 | 1,785,483 | N/A | 2014 |
Japan | 23 | 25,000,000 | 106,798,796 | Eurasia (vicinity of, not on mainland) | 2014 |
Jordan | 81 | 3,100,000 | 3,794,764 | Eurasia | 2014 |
Kazakhstan | 32 | 3,600,000 | 11,133,181 | Eurasia | 2014 |
Kenya | 35 | 7,300,000 | 20,912,916 | Africa | 2014 |
Kuwait | 82 | 1,700,000 | 2,109,866 | Eurasia | 2014 |
Laos | 0.2 | 7,100 | 3,564,261 | Eurasia | 2014 |
Latvia | 28 | 480,000 | 1,717,757 | Eurasia | 2015 |
Lebanon | 78 | 2,400,000 | 3,045,647 | Eurasia | 2014 |
Libya | 87 | 3,400,000 | 3,919,392 | Africa | 2014 |
Lithuania | 36 | 890,000 | 2,473,854 | Eurasia | 2014 |
Malaysia | 61 | 11,000,000 | 18,747,000 | Eurasia (vicinity of, not on mainland) | 2014 |
Mauritius | 44 | 400,000 | 909,584 | N/A | 2014 |
Mexico | 24 | 18,000,000 | 75,657,466 | North America | 2014 |
Moldova | 30 | 840,000 | 2,802,915 | Eurasia | 2014 |
Mongolia | 26 | 470,000 | 1,816,471 | Eurasia | 2014 |
Montenegro | 29 | 140,000 | 472,423 | Eurasia | 2014 |
Morocco | 80 | 17,000,000 | 20,816,002 | Africa | 2014 |
Netherlands | 11 | 1,400,000 | 13,095,463 | Eurasia | 2015 |
New Zealand | 14 | 460,000 | 3,280,386 | N/A | 2014 |
Nicaragua | 34 | 1,200,000 | 3,414,253 | North America | 2014 |
Nigeria | 16 | 13,000,000 | 79,579,521 | Africa | 2014 |
Norway | 15 | 570,000 | 3,777,845 | Eurasia | 2014 |
Oman | 76 | 1,400,000 | 1,868,176 | Eurasia | 2014 |
Panama | 52 | 1,300,000 | 2,404,635 | North America | 2014 |
Paraguay | 35 | 1,400,000 | 3,888,153 | South America | 2014 |
Peru | 38 | 7,100,000 | 18,756,280 | South America | 2014 |
Philippines | 3 | 1,600,000 | 54,653,047 | Eurasia (vicinity of, not on mainland) | 2014 |
Poland | 37 | 11,000,000 | 30,973,440 | Eurasia | 2015 |
Portugal | 21 | 1,800,000 | 8,652,842 | Eurasia | 2014 |
Qatar | 80 | 1,200,000 | 1,473,249 | Eurasia | 2014 |
Romania | 47 | 8,400,000 | 17,829,139 | Eurasia | 2015 |
Russia | 23 | 27,000,000 | 116,902,363 | Eurasia | 2015 |
Saudi Arabia | 74 | 13,000,000 | 17,534,930 | Eurasia | 2014 |
Senegal | 53 | 3,400,000 | 6,447,783 | Africa | 2014 |
Serbia | 42 | 3,200,000 | 7,623,800 | Eurasia | 2014 |
Singapore | 16 | 640,000 | 3,985,154 | Eurasia (vicinity of, not on mainland) | 2014 |
Slovenia | 27 | 460,000 | 1,704,052 | Eurasia | 2014 |
South Africa | 38 | 13,000,000 | 33,171,036 | Africa | 2014 |
South Korea | 53 | 20,000,000 | 38,527,331 | Eurasia | 2014 |
Spain | 29 | 11,000,000 | 37,966,037 | Eurasia | 2015 |
Sweden | 4 | 300,000 | 7,446,803 | Eurasia | 2014 |
Switzerland | 26 | 1,700,000 | 6,377,286 | Eurasia | 2014 |
Tanzania | 12 | 2,600,000 | 21,963,320 | Africa | 2014 |
Thailand | 13 | 6,600,000 | 50,708,781 | Eurasia | 2014 |
Trinidad and Tobago | 24 | 240,000 | 992,911 | South America (vicinity of, not on mainland) | 2014 |
Tunisia | 86 | 6,500,000 | 7,553,755 | Africa | 2014 |
Turkey | 71 | 35,000,000 | 49,101,089 | Eurasia | 2015 |
Uganda | 16 | 2,400,000 | 15,120,061 | Africa | 2014 |
Ukraine | 32 | 12,000,000 | 37,969,656 | Eurasia | 2015 |
United Arab Emirates | 80 | 5,500,000 | 6,906,926 | Eurasia | 2014 |
United Kingdom | 12 | 5,900,000 | 48,853,576 | Eurasia (vicinity of, not on mainland) | 2015 |
United States | 10 | 24,000,000 | 237,042,682 | North America | 2015 |
Uruguay | 33 | 810,000 | 2,453,317 | South America | 2014 |
Venezuela | 30 | 5,700,000 | 18,846,712 | South America | 2014 |
Vietnam | 6 | 3,800,000 | 62,722,262 | Eurasia | 2014 |
West Bank & Gaza Strip | 93 | 1,900,000 | 2,030,259 | Eurasia | 2014 |
Yemen | 88 | 10,000,000 | 11,493,390 | Eurasia | 2014 |
Antisemitism Rates by Continent (based on above figures from ADL) | ||||
Continent | Percentage of adults who are antisemitic |
Number of antisemitic adults in the surveyed countries |
Total adult population in the surveyed countries |
Year(s) of Survey(s) |
---|---|---|---|---|
Africa | 43 | 135,780,000 | 317,789,490 | 2014 |
Australia | 14 | 2,400,000 | 17,255,779 | 2014 |
Eurasia | 25 | 691,887,100 | 2,805,002,405 | 2014-2015 |
North America | 15 | 52,000,000 | 356,370,426 | 2014-2015 |
South America | 24 | 62,210,000 | 256,524,077 | 2014-2015 |
World | 26 | 1,068,975,100 | 4,161,578,905 | 2014-2015 |
World totals are for all countries. Continent totals are for the mainland countries only. |
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 引用エラー: 無効な
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- レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第4巻 自殺に向かうヨーロッパ』菅野賢治・合田正人監訳、小幡谷友二・高橋博美・宮崎海子訳、筑摩書房、2006年7月。ISBN 978-4480861245。[原著1977年]
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- レオン・ポリアコフ『アーリア神話―ヨーロッパにおける人種主義と民主主義の源泉』アーリア主義研究会訳、法政大学出版局、1985年8月。ISBN 978-4588001581。[原著1971年]
- ヴィクトル・ファリアス 著、山本尤 訳『ハイデガーとナチズム』名古屋大学出版会、1990年。ISBN 9784815801427。
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- ジェフリー・メールマン『巨匠たちの聖痕 フランスにおける反ユダヤ主義の遺産』内田樹、合田正人、高尾謙史、安田俊介訳、国文社、1987年。
- ジョージ・モッセ 著、三宅昭良 訳『ユダヤ人の<ドイツ>』講談社〈選書メチエ〉、1996年。[原著1985年]
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