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利用者:Bluedamen/sandbox

中村 正(なかむら ただし)1923年-2013年 三重県伊勢市出身、工学博士

なかむらただし

中村正
生誕 1923年
三重県伊勢市
死没 2013年
三重県伊勢市
国籍 日本の旗 日本
職業 ノリタケ伊勢電子株式会社名誉会長
著名な実績 工学博士 (大阪大学)Display Tubeにおける基礎的諸問題、蛍光表示管の発明と事業化
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  • 1941年伊勢市の県立宇治山田中学校を卒業後、名古屋高等工業学校電気工学科(現名古屋工業大学)に入学。1943年に卒業後川西機械製作所に入社、1966年出身地の伊勢で伊勢電子工業株式会社を創業した。1998年より名誉会長となり2013年に他界するまで、技術研究を続けた。
  • また後年は、技術者であるとともに、伊勢に伝わる通能(とおりのう)を舞うことで、地方伝統文化継承にも尽くした。


人柄

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  • チャレンジ、フロンティア精神を理念とし、地方にありながら世界市場を目指した。
  • 温厚な性格の中にも強い目標意識、厳しさも持ちあわせたが、生涯、表示技術を探求し、個性的な技術者を育成する。

技術開発

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  • 高周波レーダーなどのブラウン管の開発に従事したが、低速電子線、すなわち30V以下の低電圧で動作する発光素子に目をつけて蛍光表示管(VFD)を開発。
  • 1960年台後半において、技術者によるベンチャー企業創業と、日本の一地方都市発の独自技術を世界市場に発信し製品を浸透させた。
  • 開発した蛍光表示管(VFD)は、当時輸入品しかなかった高電圧表示素子(ニキシー)に対して、低電圧で緑青色に発光し、当発展途上にあった半導体ICと相性が良かった。ディジタル表示デバイスのさきがけとなり発明後50年近い現在まで、高信頼小型表示デバイスとして開発に助言。現在、世界中で光る青緑色の表示デバイスは、中村が生み出した蛍光表示管(VFD)である。
  • 起業後も技術開発による差別化に力を入れ、特許料を研究所の創設にあてることで、数字表示からグラフィック表示への発展を推進した。また、蛍光表示管(VFD)とその要素技術だけでなく、他のデバイス開発や、半導体、カーボンナノチューブ、モジュール化、応用システムにも広く開発の方向を向けた。
初期の開発VFD


業績

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Graphic VFD
  • 蛍光表示管(VFD)を発明、三重県伊勢市にて起業し量産化した。
  • 米国 Electronics誌(1966)の取材を要請し、地方から世界への技術紹介を行った。
  • 初期の電卓の表示素子として開発、世界的普及のため欧米での技術紹介を推進。
  • 特許戦略の徹底により、日本企業3社のみにて工業所有権を持って発展させた。
  • 文字表示技術を開発、初期電子タイプライタに採用され、ワープロへの発展のきっかけとなる。
  • 薄膜技術による高精細配線形成の量産ラインを開発、フラットパネル生産の原型をつくる。
  • 半導体素子との組合わせに着目、半導体組込みによる次世代蛍光表示管への移行を推進。

表彰

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経歴

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  • 1923年 三重県伊勢市生まれ
  • 1943年 名古屋高等工業学校(現 名古屋工業大学)卒業
  • 1943年 川西機械製作所 後に神戸工業に社名変更、現在は富士通テン)
  • 1962年 大阪大学より工学博士号を授与
  • 1966年 伊勢電子工業株式会社創業
  • 1998年 ノリタケ伊勢電子株式会社名誉会長
  • 2013年 三重県伊勢市にて他界

主な著書

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  • 『超高周波オシログラフ』
  • 『蛍光表示管とその応用』日刊工業新聞社
  • 『Vacuum Fluorescent Display』


参考資料

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外部リンク

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[[Category:日本の技術者]] [[Category:名古屋工業大学出身の人物]] [[Category:三重県出身の人物]] [[Category:2013年没]]