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セント・ジョージ
艦歴
運用者 Royal Navy Ensign イギリス海軍 
建造 ポーツマス工廠
発注 1774年7月16日
起工 1774年8月
進水 1785年10月14日
その後 1811年難破
戦歴 イエール諸島の海戦
コペンハーゲンの海戦
性能諸元[1]
クラス デューク級
98門2等戦列艦
トン数 1931bm
全長 砲列甲板:177ft 6in(54.1m)
全幅 50ft (15.2m)
深さ 船倉:21ft 2in(6.5m)
推進 帆走(3本マストシップ
兵装 98門:
上砲列:12ポンド(5kg)砲30門
中砲列:18ポンド(8kg)砲30門
下砲列:32ポンド(15kg)砲28門
後甲板:12ポンド(5kg)砲8門
船首楼:12ポンド(5kg)砲2門

セント・ジョージ (HMS St George) はイギリス海軍の98門2等戦列艦。1793年に英国海軍史上最高額の拿捕による獲得賞金を得たことで知られる。1811年にユトランド沖で難破した。

建造

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セント・ジョージはジョン・ウィリアムスによって設計され、1774年7月16日ポーツマス工廠に建造が発注された。海軍本部がこの船の名前を公表したのは1774年8月23日で、竜骨も同年8月中に敷かれ、進水は1785年10月14日だった。全ての艤装が完了したのは1790年9月11日だった。1777年11月までエドワード・ハントがこの船の建造の責任者であり、次に1779年4月までニコラス・フィリップスが引き継ぎ、その後建造完了まではジョージ・ホワイトが担当した。建造にかかった費用は艤装も含めて50,605ポンド16シリング6ペンスだった。

艦歴とエピソード

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!ここから未編集 アトラスは1798年から1802年にかけてテオフィルス・ジョーンズ艦長のもとで任務に就いた[2]。 1802年には74門艦に格下げされた[3]

1806年2月6日にはサミュエル・ピム艦長のもと、サン・ドミンゴの海戦 (en) に参加した。アトラスは戦死者8名、負傷者11名の損害を出した。

1808年にはカディス沖でパービス提督の旗艦を務めた。アトラスはフランスの砲台と何度も交戦し、合計で死傷者を50人ほど出した。また、この船はカタリナ要塞の破壊の任を帯びていた[4]

1813年から14年にかけてアトラスはポーツマス監獄船への再艤装を受けた。その後何ヵ月も火薬庫として用いられた[1]

この船は最終的に1821年に解体された。

脚注

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  1. ^ a b Lavery, Ships of the Line, vol. 1, p. 179.
  2. ^ The United Service Magazine. (1836). pp. 95–6. https://books.google.com/books?id=7fUbAQAAIAAJ&pg=PA95 6 July 2014閲覧。 
  3. ^ Winfield, Rif (2007). British Warships in the Age of Sail 1714-1792: Design, Construction, Careers and Fates. Barnsley, S. Yorkshire: Seaforth. pp. location 2040 of 22457. ISBN 9781-844157006 
  4. ^ http://www.ageofnelson.org/MichaelPhillips/info.php?ref=0246

参考文献

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  • Lavery, Brian (2003) The Ship of the Line - Volume 1: The development of the battlefleet 1650-1850. Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-252-8.
  • Winfield, Rif (2007). British Warships of the Age of Sail 1793–1817: Design, Construction, Careers and Fates. Seaforth. ISBN 1-86176-246-1 

関連項目

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