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利用者:Cassiopeia sweet/DAL

歴史[編集]

1957年まで[編集]

ラブフィールド空港は、ダラスのバックマン湖の南東に、陸軍飛行場として開設されたのが始まりである。空港名称は、カリフォルニア州サンディエゴで航空事故により死亡したモス・リー・ラブ中尉[1]に由来する。民間への供用が開始されたのは、1927年にダラス市が用地を購入し、ナショナル・エア・トランスポート(後のユナイテッド航空)が旅客輸送を開始した時からである[2]。1932年4月9日には、舗装された滑走路の運用が開始されている[3]

第二次世界大戦中は、アメリカ陸軍航空軍の訓練用施設として使用されることになり、フェアチャイルドPT-19 (航空機)を使用して航空の基礎を教育するためにダラス航空学校が開設された。後にPT-17P-40 (航空機)も追加配備された。また、サンアントニオの航空機オーバーホール施設を補完する場所としても使用された。航空軍の施設は1945年8月の終戦時に閉鎖されている[4][5]

1943年9月、新滑走路2本の整備が終了した。1本は南北に向いており(滑走路18/36)、もう1本は北西から南東に向かう方向である(滑走路13/31)。1947年3月9日には、レモンアヴェニューターミナルが空港敷地東側に完成した。1948年、ダラス市は将来のラブフィールド航空の規模拡大に向けた基本構想を制定した[3]

1949年11月29日、46人の乗客を乗せてラブフィールド空港に寄港しようとしていたニューヨーク発メキシコシティ行きのアメリカン航空157便のダグラスDC-6が、滑走路36に着陸進入中に制御不能となり滑走路から逸脱、駐機中の飛行機や格納庫、飛行学校にぶつかった上に空港敷地脇のオフィスビルに衝突し[N 1]、23人が死亡した。この事故は、現在に至るまでテキサス州では最悪の航空事故として記録されている[6][7]

1950年、パイオニア航空がヒューストンからラブフィールド空港に拠点を移設した[3]

1952年3月26日、滑走路13/31を2363mに延伸する工事が完成した[N 2]。その後、新しいターミナルビルを建設するため、1954年6月1日に風用の滑走路07/25が閉鎖された[3]。これで、ラブフィールド空港はメインの滑走路13/31と、少し短い滑走路18/36という2本の滑走路を有することになった。

1957年から1974年まで[編集]

開港から3代目の現行ターミナルビルは、1957年10月20日に竣工し、1958年1月20日に供用開始となった[3]

ターミナルビルからは平屋のコンコースが3つあり、世界で初めて動く歩道が空港内に設置され、合計26の搭乗ゲートが設けられた[8]。アメリカン航空・ブラニフ航空・セントラル航空・コンチネンタル航空・デルタ航空・トランステキサス航空(後のテキサスインターナショナル航空)が業務を行なった。

1959年4月1日からはコンチネンタル航空が初めてターボプロップ機であるビッカース・バイカウントで乗り入れを開始、1959年7月12日にはアメリカン航空がニューヨークへの路線に初のジェット旅客機としてボーイング707を投入した。

1974年から1999年まで[編集]

2000年以降[編集]

将来の構想[編集]

空港施設[編集]

発着航空会社[編集]

アクセス交通機関[編集]

チャーター及びFBO[編集]

トラブル[編集]

発着便でのトラブルは以下の通り。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ The crash occurred in the neighborhood northwest of Love Field and southeast of Bachman Lake; many of the buildings and streets in this area were later removed to accommodate Runway 13R/31L.
  2. ^ Runway 13/31 was renamed Runway 13L/31R after the 1965 completion of the parallel Runway 13R/31L.

出典[編集]

  1. ^ Moss Lee Love
  2. ^ Payne, Darwin and Kathy Fitzpatrick (1999), From Prairie To Planes, Three Forks Press.
  3. ^ a b c d e http://www.dallas-lovefield.com/lovenotes/lovechrono.html
  4. ^ Manning, Thomas A. (2005), History of Air Education and Training Command, 1942–2002. Office of History and Research, Headquarters, AETC, Randolph AFB, Texas ASIN: B000NYX3PC
  5. ^ Shaw, Frederick J. (2004), Locating Air Force Base Sites History’s Legacy, Air Force History and Museums Program, United States Air Force, Washington DC, 2004.
  6. ^ Staff writers (1949年11月30日). “Worst Plane Crash In Texas History Takes Lives of 28”. The Dallas Morning News 
  7. ^ http://aviation-safety.net/database/airport/airport.php?id=DAL
  8. ^ A Look Back at Dallas Love Field”. Southwest Airlines (2010年1月29日). 2011年5月7日閲覧。